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Nonfiction

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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第62回 [2018年某月某日 イデオロギーではなく]

更新日:2018/09/12

 日常生活のほんの小さなことの中に、本当はじっくりと考えるべき問題が隠れている。
 たとえば、車窓を流れる景色を、ずっと見ているべきかという問題。
 子どもの頃は、何もせずに、外を飽きずに眺めていることがあった。何しろ、初めて乗る列車なのだ。今まで見たことがない景色なのだ。
 列車が走っている間、切れ目なく眺めていないと、もったいないような気がしていた。そして、脳もまたそれを求めていた。
 私は世界についてまだほとんど知らず、世界もまた、私の好奇心を迎え入れる。乾ききったタオルが、水分を吸収するように出会う。
 そこには、不思議で幸せな共鳴の関係があった。
 ところが、成長するにつれて、旅先で列車の外の景色を眺めているということが、次第に「イデオロギー」になってきた。そして、実際にはそのようなことをしなくなってきた。
 たとえば、ヨーロッパに行って、おそらくは二度と来ないであろうルートを走る列車に乗る。駅を出てしばらくの間はよろこんで車窓の外を見ていたものの、やがてうつらうつらとし、はっと気づくと列車はもう見知らぬ郊外を走っており、その緑の光景もまた延々と続いてやがては大した変化もないと思えて、次第にまた意識が薄れてうつらうつら、いつの間にか周囲が暗くなっている。そんな時は、「イデオロギー」から生の軌跡が離れてしまっている。
 本当は、単調な景色の中に突然新鮮な光景が出現するものである。それは教会の尖塔かもしれないし、水清き川かもしれない。あるいは道行く赤いセーターの老人かもしれない。
 地球は常に私たちを不意打ちするのであって、ましてや人の手が入って長年経過した土地ならば当然のことであって、だからこそ、窓の外をずっと見ていなければならない。
 本当は、一瞬たりとも、気を抜いてはいけないのだ。ずっと車窓の外を眺め続けていなければならないのだ。ましてや、初めて訪れるヨーロッパの国。おそらくは二度と来ないであろうその土地。目を開けて、自分の体験の目撃者にならなければ、もったいない。重大な機会を失ってしまう。自分の生に対して、不誠実ですらある。
 そのような考え方は、筋が通っているようではあるが、もはや子どもの頃のあふれ出るような好奇心の泉ではなくて、一つの「イデオロギー」と化してしまっているのだろう。
 目撃すべきものを目撃しないということをどう考えるかは、人生において案外重大な問題のような気がする。
「是非とも見るべきだ」という心の縛りは、未知の世界への素敵な誘いであると同時に、一方では私たちの生を窮屈にする圧力にもなる。
 たとえば、今日の夜、皆既月食があると報じられているとする。是非にも見なくてはいけないような気もするし、どこか、面倒くさいような気もする。
 これが、皆既日食だったら万難を排しても見なくてはいけないと思うけれども、皆既月食だったら、またそのうちあるだろうから、今日見なくてもまあいいか、と思ってしまうこともある。そもそも、私が見ても見なくても、宇宙の進行には関係がないのだから。
 本来見るべきものを見ないということは、遠足の日の雨の経験に似ている。
 前々から楽しみにしていた遠足が、当日の朝に起きてみたら土砂降りの雨で、学校からも中止の連絡が来る。
 それで、心待ちにしていたのにと思いながら、寝転がって本を読み、雨だれの音を聞いている。そんな「ほっとした不作為」の底に、案外人生の純粋な味わいがある。
 素晴らしい評判のミュージカルがあったり、いかにも楽しそうなパーティーがあったりすると、無理してもそこに行きたいという気持ちの一方で、すでに、行かない理由を探している自分もいる。
 行かないことに決めて、自分の部屋にいたり、ホテルでくつろいでいると、これでも良かったのだと思えてくる。
 世界は広い。しかし、頭の中の方がもっと広い。
 一分間の過ごし方は、車窓の外を見ていても、皆既月食を観察していても、評判のミュージカルを観賞していても実は同じだ。
 歴史的な事件を目撃しているその人のすぐ横で、たまたま、全く別の方向を見ている人がいたとして、その人は決定的な瞬間を見逃して悔しいかと言えば、実はそんなことも本当はなくて、悔しいというのは一つの「イデオロギー」でしかなくて、どんな平凡な体験の流れの中にも、それぞれ固有の味わいがあるようにも感じる。
 つまりは、すべては等しく、同等の権利を持っているのであって、そのようなフラットなものの見方が出来たその上で、偶然に出会ったすばらしい光景に心を驚かせるというのが本来のあり方のような気がする。
 子どもの頃、夢中になって窓の外を見ていたあの時間の流れと、すべてを見るべきだとイデオロギーで外を見ている大人の時間の流れは違う。ここに、人生において考えるべき大切な問題があるように感じる。
 本当は、皆既日食だって、今日ここであると知っていて待ち構えていて出会うのではなく、昔の人のように不意打ちされるべきなのだ。
 もっとも、人生の中で皆既日食に不意打ちされるのは、とても難しい。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
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