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Nonfiction

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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第61回 [2018年7月某日 水たまりの魚]

更新日:2018/08/22

 人生の不思議なことはたいてい時間に関わっていて、私たちは時間の本質を理解しないままに、自分に与えられた時間を使い切ってしまう。
 そして、時間の浸透力は、一見それと関係ないところにまで入り込んでくるものだと思う。
 だから、油断してはいけない。
 グローバル化の波が荒れる中、「伝統」が重視されるようになっているのは世界的な傾向だろう。
 誰もが同じ地球文化に収束するのでは必ずしもない。むしろ、それぞれの地域の歴史の特性に根ざした「伝統」が大切にされる。
 そして、そのプロセスにおいて、伝統は時に「捏造」される。
 より穏当な表現を使うとすれば、伝統は「つくられる」。
 必ずしも、そこに作為や悪意があるとは限らない。むしろ、多くの場合介在しているのは無意識の偽善だろう。そこには善意さえあるかもしれない。そして、背景には常に、時間のふしぎな性質がある。
 時間の本質について十分な考察をしていないと、私たちは不意打ちを受ける。特に、「伝統」に関しては。
 子どもの頃、よく夏まつりに行った。盆踊りにも、毎年のように参加していた。
 今でも、季節になって、あちらこちらに盆踊りのやぐらがつくられているのを見ると、一生懸命踊っていた頃のことを思い出す。昔踊っていた時のように、やぐらの周りをぐるぐると歩いてみる。
 もう、自分が踊ることはないけれども。
「盆踊り」というのは、お盆になって、先祖が戻ってくるのだという「趣旨」のようなことは理解していた。もっとも、子どものことだから、それ以上のことはあまり考えなかった。
 ただ、盆踊りというものが、ずっと昔から受け継がれてきたもので、その意味での「伝統」であるということは、何とはなしに前提として理解していた。
 盆踊りでは、いろいろな曲がかかるのだった。だいたい21時くらいまでは「子どもの時間」で、子どもたちが好きなアニメの主題歌とか、童謡がかかる。やぐらの上には「お手本」を示す大人たちがいて、真面目な顔をして踊っている。
 そして、21時を過ぎると、「大人の時間」になる。子どもたちは、アイスキャンディーか何かをもらって、解散させられてしまう。
 もっとも、私もそうだったが、子どもたちの中にはそれでも残っていて、近くの鉄棒やぶらんこのあたりで様子を見ている。やがて、大人たちに混ざって、一緒になって踊る者もいた。
 みんな近所の人なので、そんな時にはおめこぼししてくれる。
 背伸びをすることのよろこび。ほんのちょっとだけ無理をして、大人たちの仲間に引き上げてもらった。あの時のふわふわとするような気持ち。次第に空気がひんやりとしてくる夏の宵。
 そんな時間の流れは、ずっと昔から続いているのだろうと、子どもの私は素朴に信じていた。
 夏には盆踊りだけでなくて、さまざまな祭りがあった。たとえば、お神輿(みこし)。昼間の間は子ども神輿だが、夕方からは本格的な大人神輿。
 小学校高学年になると、背伸びして大人神輿に参加した。担いでいる肩が痛くなった。それでも、坊主、がんばっているなと言われるのが誇らしかった。
 大人神輿が担がれる前に、大人たちが所在なさげにそのあたりに座っている感じも好きだった。さぼっているというよりは、これから始まる難行苦行に備えているのである。
 そんな時、誰がかけているのか、ずっと祭り囃子がエンドレスでかかっていた。そんな風情も、「伝統」なのだと素朴に思っていた。
 今考えてみれば、私が子どもの頃信じていた「伝統」は、そんなに古いものであるはずがない。そもそも、レコードやテープレコーダーが、一般に普及してからそんなに時間が経っていたはずがない。
 確認したわけではないが、ひょっとすると、私が盆踊りで踊っていた子ども向けの曲をかける風習は、私がものごころつく数年前に始まったものなのかもしれなかった。大人たちが所在なさげに座っているところにかかる祭り囃子(ばやし)もまた、せいぜい10年くらい前からのことなのかもしれなかった。
 いずれにせよ、根拠などないし、はっきりしたことはわからない。ただ、百年も二百年もさかのぼる伝統ではないことは事実だろう。
 それでも、人間は、素朴に「伝統」を信じてしまう。
 悪意でもなく、怠惰でもなく、そのように認知されてしまうということが、時間というものの持つ不思議な性質なのだろう。
 逆に、伝統だと思っていたものが、いつまで続くのかわからない。来年も、と思っていたら、その年が最後になった、ということもある。
 伝統とは、時間の流れの中に一時的にできた水たまりのようなものなのだと思う。その中を私たちという魚が泳いでいる。太古からある湖と信じているが、実際にはつい最近の雨でできて、やがて干上がってしまう水たまりに過ぎない。
 グローバル化の中、世界の至るところで「伝統」が捏造されている。魚たちが水たまりの中を泳ぎ回っている。
 子どもの頃、私もまた、水たまりの中を泳いでいた。そして、そこが大海だと思っていた。
 盆踊りのやぐらを見る度に、なぜか、そんなことを思い出す。
 私もまた、水たまりの中の魚だったのだ。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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