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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第60回 [2018年7月某日 クラクフの川沿いを歩く]

更新日:2018/08/08

 ずっと以前から実はそうなのではないかと疑っていることがある。
 それは、この世界は、根底において「無意味」なのではないかということだ。
 世の中では、様々なことについて、意味があるかのごとく議論が行われている。人々はそのような価値の体系に従って生活している。もちろん、この私も。
 しかし、真実を明らかに見るという立場から見れば、本当は何の意味もないのではないか。すべての行為は、虚しいのではないか。人生は、成功しようが失敗しようが、夢が叶おうが叶うまいが、つまりは同じことなのではないか。
 そして、そのような認識は、実は、人間を晴れやかにそして自由にするものである。
 そんな気がしてならないのである。
 思春期、近頃でこそ忘れられた思想家などと言われているが、実は偉人であるに決まっているジャン=ポール・サルトルの名前をしばしば聴き、目にした。
 そのサルトルの小説に『嘔吐』というのがあって、青年が存在の無意味さに戦慄して嘔吐の衝動にかられる、というようなシーンがあった。
 通過儀礼として、アルベール・カミュの『異邦人』も読んだ。この主人公もまた、無意味ということに戦慄していたのだった。
 当時の私にとって、またおそらくは時代精神として、無意味に向き合うことはきわめて人間的な営みであると同時に、それは「不条理」なことでもあった。
 この「不条理」という言葉の響きに、私は強く惹きつけられるとともに、脅かされた。
 その頃夢中になって読んでいたフリードリッヒ・ニーチェの中にあった表現だと思うが、「世界の背骨が外れた」状態の中に私たちは生きている。
 そんな無意味や、不条理や、世界の背骨が外れた状態において、私はこれからどうやって生きていけばいいのだろうと案外真剣に悩んでいた気がする。
 それから時が流れ、世界が根本的に無意味であるという感覚は変わっていないが、それが精神にもたらす作用についてはだいぶ違った感触を持つようになった。
 無意味だからこそ救われるし、解放されるという気持ちが徐々に強くなってきたのである。
 日本語の「不条理」は、英語で言えばabsurdityだが、後者のニュアンスはだいぶ違う。
 不条理が重いとすれば、absurdityは軽やかで、時に滑稽な気がする。
 英国のダグラス・アダムスが書いた『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中には、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」をスーパーコンピュータが計算するという話が出てくる。750万年かかって出したその「答え」は、「42」だった。
 ところが、この「42」が答えとなる「究極の質問」が何だったのかがわからない。わからないままに、「42」という答えだけが私たちの前に提出されている。
 これは、軽やかな宇宙的スケールの無意味、不条理だろう。
 人生が究極において無意味だからと言って、私たちは投げやりになったり、どうでもいいとすべてを放棄すべきなのではない。
 投げやりになったり、すべてを放棄したら、そのような精神態度自体が意味を持ってしまうだろう。
 成功や立身出世、栄誉にとらわれている人が「意味」の病にかかっていることを見ることはやさしい。
 その対極で、すべては虚しい、どうでもいいと投げやりになっている人もまた、別のかたちで「意味」の病にとらわれていると言うことができるだろう。
 だからこそ、フリードリッヒ・ニーチェの「舞踏」という概念が尊い。
 踊ることに意味があるわけではない。しかし、だからこそ踊りたい。踊ることで、自分の生命が躍動し、燃える、そんな時間を持ちたい。
 そのようなことを、先日、学会に出席するために訪れたポーランドの古都クラクフで、川沿いの名もなき道を歩きながら思っていた。
 人々が川遊びをしている。クラクフの市民が船に乗っている。
 かつて、この街で生まれてローマ法王になったヨハネ・パウロ二世でもなく、労働運動からポーランドの大統領となったレフ・ヴァウェンサ氏でもなく、ただ市井に生き、生活を楽しむ人たちが船に乗っている。
 そして、それは、最高の意味でのニーチェの舞踏である。
 この世のすべてに、意味はない。
 成功してもしなくても、有名になっても無名でも、いずれにせよ意味などない。
 だからこそ、無意味だからこそ、成功したければ努力すればいいし、有名になりたければがんばればいい。
 人生のすべての時が終わった時に、そこに残るのは虚無だけだから、だからこそ、生きることは尊いし、「今、ここ」を大切にしたい。
 そのようなことは、普段からどこでもいつでも考えていることだけれども、旅に出て、ポーランドの古都クラクフの川のほとりで、万感胸に迫ってくるのは、つまり旅が時にそのような形で私たちの心の鏡になるからだろう。
 無意味は、心の鏡に映ることで、私たちの生命にとっての「意味」となるのだ。
 その時、鏡の中の私たちは踊っている。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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