集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更

  • Facebook
  • Twitter

文字サイズを変更

Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第59回 [2018年6月某日 無限と有限のあいだに]

更新日:2018/07/25

 小さなものだと思っていたのが、実は奥行きや広がりがあるということがある。これでわかったと思っても、興味を持って調べると、さらに先にさまざまなものが隠れている。それで、ついまだ、もっと深く、と求めていくうちに、終わりがないことに気づく。
 このような認知と気づきの過程の意義については、時々議論されることもあるし、また、私自身もしばしば思いを致すことがある。
 葉っぱの上の小さな水玉の上には、世界が映っている。そんな詩的な言葉で気づきの機微が語られることもある。
 あるいは、宇宙の中のものは、すべてのスケールで繰り返し類似の秩序を示すという「フラクタル」の考え方によれば、芥子粒のようなものの中にも、限りない構造がある。
 私たちの心が、小さく見えるものの前で油断してしまいがちだとすれば、その向こうに無限があるかもしれないということを予感することは、魂の清涼剤になるだろう。
 眼の前のコップ一つに対しても、油断してはならない。眼の前のコップ一つからも、存在の哲学を語り始めることができるのだ。
 かつて、パリのカフェで、サルトルが感動で青ざめたように。
 しかし、その一方で、逆の事情もまた、この世には存在する。大きく、広く、ほとんど無限に見えるものが、別の視点から見れば有限である。
 頼りないほどに小さい。
 無限は実は極小であるという事物の縮小作用もまた、私たちにとって貴重な栄養剤となる。
 無限は、私たちを小さなものとは別のかたちで油断させるものであるから。
 私は、明治神宮の参道を歩いていた。両側から繁り、張り出した緑があった。
 緑の間には、青空が広がっていた。梅雨の晴れ間。雲も途切れ途切れにしかなくて、限りなく思える空が、どこまでも、続いているように見えた。
 空は、地上の私たちの卑小さとの比較において、大らかで深いものの象徴としばしば見なされる。限りがないもの、無限の可能性のあるものの象徴として、空は私たちの上にずっと広がってきた。
 地上でモノを燃やして、その煙が上昇していっても、空にはそれをすべて吸収してなお余りある「容量」があるものと私たちは考えてきた。それが間違っていたことを、公害による光化学スモッグや、地球温暖化などの事象によって、私たちは知ることになった。
 今では、「空」、ないしは「大気圏」は、有限のものであるということを私たちは半ば常識としてわきまえている。空が、人間活動の影響をすべて吸収してくれる無限の「ゴミ捨て場」でないことは、小学生でも知っている。
 それでも、私たちが空を見上げた時のその青さと広さがあまりにも圧倒的なものであるために、空が実は有限の存在であるということを私たちは感覚として納得していない。その知識が、身体化していない。
 だからこそ、私たちは、これだけ地球環境の問題がクローズアップされている今なお、理屈ではなく実感の部分ではなお、空=無限であるかのように振る舞っているのだ。
 空が、実は有限の存在であることを身体のレベルで知るには、宇宙に行くしかないのだろう。
 国際宇宙ステーションに滞在した野口聡一さんや古川聡さんにお目にかかった時、言葉にはし難い経験をされてきたのだということを強く感じた。
 宇宙は、通常、高度100キロメートルのところにある「カーマン・ライン」から始まるとされる。ここから上は宇宙空間であり、下は大気圏である。
 国際宇宙ステーションは、高度約400キロメートルの宇宙空間にある。この原稿を書いている時点で、野口さんは177日間、古川さんは167日間の国際宇宙ステーション滞在経験を持つ。
 国際宇宙ステーションは、約90分で地球を一周する。一周ごとに、日の出と日の入りが繰り返される。
 宇宙から見ると、大気、すなわち空は、地球という惑星の上に薄くかかった、青い「膜」に過ぎないのだという。その膜の中に、私たちが皆生きている。そのことのかけがえのなさ、不思議、そしてはかなさを感じるのだという。
 私たちの上に無限に広がっているかのように見える「空」は、実は薄い「膜」である。
 このような認識の転換と、それがもたらす衝撃こそが、私たちの未来には必要なのではないかと感じる。
 空を見上げた時、ああ、そこに薄い膜があるんだ、その膜の下で私たちは息づいているんだと実感することができるか。そのことで、私たちは、それこそ足元から変わっていくのではないか。
 そのような覚醒は、人生なんてずっと続くとばかりに油断している日常の中で、実は、人生の時間はいつか簡単に終わってしまうということを認識することに似ている。
 自分の先に、ずっと広がっているように見える未来の時間。しかし、視点を変えたら、自分が息づいているのは、本当に狭い、時間の「膜」の中だけのことである。
 目を凝らして未来の方をよく見れば、自分の時間を区切っている「膜」が見えるはずだ。少なくとも感じられるはずだ。
 そのことを実感できた時、私たちの身体化された時間は変容する。私たちは地上で星の時間を歩き始める。
 そして、逆説的なことに、そうなって初めて、私たちの上には、再び無限とも思われる大きな空が広がり始める。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 渡辺淳一恋愛小説セレクション【全9巻】
  • 集英社国語辞典[第3版]
  • 集英社ビジネス書
  • e!集英社

Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.