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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第58回 [2018年某月某日 恒星の距離から]

更新日:2018/07/11

 ものごとをクリアに見る必要があるのは、それが自由への道だからという気がする。
 以前から、私は「世代論」が嫌いだった。年上の人が「最近の若者は……」というのも嫌だし、若者が「じじいは」などというのも嫌だった。
 人間というのは、複合的なものだと思う。おじさんの中にも、若者がいるし、子どももいる。子どもの中にもおじさんやおじいさんがいる。それを一つに決めつけるのが嫌だ、というのがまず第一。
 統計的な問題もある。ある年齢、ある世代の人たちが均一の性質を持っているということは、あり得ない。ばらついているし、傾向があるとしても、例外がある。だから、ある年齢、世代で語ること自体に、無理がある。
 大切なのは、政治的な正しさとか、観念的な平等、対称性といったものにとらわれることなく、物事をクリアに見ることだと思う。美しい理想は、それ自体は現実を明るく照らす光であるが、一方で輝きあるがゆえにすべての階調を飛ばしてしまうこともある。
 細やかなニュアンスは、とらわれることなく、ありのままに見ることでしか得られない。「年齢」とか、「世代」とか、大文字の言葉は私たちを誤らせる。感情は大切だが、感情から離れて、恒星の距離から自分たちのことを眺める必要があるのだ。
 以前、ドイツのある小さな村を訪れた時、その教会にあった文字に心を打たれた。その村で生まれ、死んでいった人たちの生年と没年が記されていた。そして、没年の方に、おそらく十字架を表すと思われる記号が添えられていた。
 その時、人の一生というものが、真っ暗闇の宇宙にある時現れ、しばらくの間輝き、そして消えていく、そんな星のようなものであると感じられた。二度と戻らない時間の進行の中で、ぱっと明るくなり、やがて無に帰する。そんな光の筋がさーっと流れて見えた。
 宇宙開闢(かいびゃく)以来の無限とも思える時間の中で、人類誕生からの気が遠くなるほど長い歴史の中で、生まれ、死ぬ人の群れの中で、同じ時代を共有しているというのは偶然であるとも言えるし、奇跡であるとも言える。
 年齢の差がどのようなものであれ、向き合い、同じ空間を共有しているということ自体が、一つの「福音」であると考えなければならない。
 そんな中、ある人から見れば別の人が「年寄り」に見え、別の人から見ればある人が「若造」に見えるのかもしれない。それは、素朴な印象に基づいた認知であるが、すべては明らかにはされていない。
 年寄りであること、若いことは、その人の固有の属性ではない。強いて言えば、「今、ここ」におけるかりそめの属性ではあるかもしれないが、その人にユニークな資質などではない。
 本当に起こっていることは、時間軸がずれているということである。ひとりの人間が生まれ落ち、そして育ってきた。その中で年を重ねて、やがて老境に達した。
 そこに、若者がやってきた。その若者から見れば、目の前には一人の老婆がいるのかもしれないが、その老婆も、言うまでもなくかつては赤ちゃんで、うら若き乙女だったのである。年老いているという属性は、決して固定のものではなく、ただ、時間がずれて進行しているというだけのことである。
 そのことをきちんと認識すれば、年の差という「属性」は、平等な「ずれ」となる。喜びも悲しみも、すべてが人間という器に盛られて、私たち一人ひとりは、人生という祝宴のより良き器になることができる。
 列車に乗っていたら、突然、緑の水田の横に茶色の風景が広がり、はっとして見たら、それは「麦秋」だった。
 これから稲は育っていく、すべての生きものが盛りを迎える、そんな初夏に、麦は逆に生命のサイクルを終えて、秋を迎える。
 すなわち、初夏は、「麦秋」。
 この美しい言葉をタイトルに映画を撮った小津安二郎さんは、心優しい人だったと同時に、ものごとを明らかに見る人だったのだと思う。
 ある人にとっては若い人生の盛りであるが、別の人にとっては老境で、そろそろ人生の店じまいである。そんなある意味では残酷な「生きること」と「生きること」の交錯を、ありのままに見たのが、小津安二郎という人だった。
『麦秋』のラストシーンは、麦の穂が揺れる中を花嫁行列が通っていく。
 小津さんは、冷静な観察者でもあったのだと思う。確か、スタッフの一人の親が脳卒中で倒れられて、ちょうど『東京物語』の撮影中で、映画の中でも母親が倒れるシーンがあって、やっぱりあんな感じか、と確かめられた、という話があったように思う。
 優しさに至る道は、ものごとをありのままに見ることであり、とらわれないことである。
 そして、それはまた、自由への道でもある。
 生命の盛りの稲田もまた、いつかは枯れる時が来る。その横で終焉を迎えている麦も、かつては勢いよく伸びていた。そんな生命の巨大なサイクルの有様をありのままに見つめる時、人はほんとうに自由になれるのだと思う。
 とらわれちゃいけない。たとえ、自分のことでも、あたかも宇宙の果てからのように、眺めてみる。そうすることが可能な時には。
 そういうひとに、私はなりたい。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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