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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第56回 [2018年某月某日 暗闇に向かって放り投げられたもの]

更新日:2018/06/13

 小林秀雄さんの講演は、実に素晴らしい。
 語り口が志ん生のようである。時に深い哲学的問題に至り、また人生の機微に鋭く切り込んで、聞く者の心の奥の方まで響いてくる。多くの人が、小林さんの講演に耳を傾け続けている。
 ところが、この講演の録音は、本来残るはずのものではなかった。ご本人がそれを強く拒んでいたからである。
 小林さんが、自分の話が録音されることを嫌ったということは、何度か聞いたことがある。あくまでも文章を書く人だから、話すことは全く別のことで、一切残したくないと考えられたというのである。
 いわゆる「文士」の中でそういうことを言われる方は、時々いらっしゃるかもしれない。だから、小林さんが自分が話すことを残されたくないと考えられたとしても、そこまではあり得ることだとは思う。
 異例なのは、その意志の強さである。新潮社で小林さんの担当編集者だった池田雅延さんによると、録音装置を見つけると即座に話すのを止めてしまう程の強い思いが小林さんにはあったのだという。だから、小林さんの講演を録音するためには、器械を見えないようにして、隠れて収録するしかなかったのだそうだ。
 亡くなった後しばらく経ってから、こんなに素晴らしい話の内容を一般の方が知らないのはもったいないということで、ご遺族の許可を得て公開されるようになったということである。そのおかげで、私も小林秀雄さんの講演に触れることができるようになったわけだけれども、考えてみると全体として不思議な経緯だと思う。
 小林さんが熱く語るその言葉は、ご本人としては後世に残ることを意図しておらず、ただ、さまざまな経緯の結果、半ば偶然の積み重ねで残された。この一連の脈絡が、「偶有性」という視点から大変興味深い。
 残すことを意図していないものが偶然残って、その表現があまりにも強く、また突き抜けているものである時、私たちは深く心を打たれることがある。
 カイロのエジプト考古学博物館でツタンカーメンのお墓の出土品を見たときにも、不思議な気持ちがした。
 有名な黄金のマスクはもちろん、展示品のすべてが一級のものである。当時の信仰にもとづき、ミイラにするために取り出された若き王の内臓を入れる容器もこの上なく美しい意匠で、息を呑む思いがした。
 同行した中尾清一郎さんが、当時の人たちのツタンカーメン王に対する敬慕の念が窺えるとおっしゃっていたけれども、とにかく、容易には信じられないくらいの優美さにあふれている気がした。
 これらの副葬品を、当時の人たちは今日における意味での「美術」として作成したわけではもちろんなかった。一度地中深く埋めてしまえば、もう二度と人の目に触れないであろうと信じて、その上で心を込めてつくったのである。
 表現はつくる者が受け取る者に対して送るメッセージだと見なすこともできる。今日のように、「インスタ映え」が価値の基準になり、できるだけたくさんの人に「いいね」をつけてもらい、拡散してもらうことを目指す時代精神の中では、伝わってこそ表現の意味があると考えるのが自然だろう。
 しかし、ツタンカーメンの副葬品をつくった人たちは、そうではなかった。土に埋めるということは、つまり、不存在の暗闇に向かって放り投げるということだった。それが、偶然の積み重ねで私たちの目に触れることになった。この上なく美しいものたちを前に、言葉を失う。
 本来伝えられることが意図されていなかったものがたまたま伝わった時に感じる目眩(めまい)は、そこに顕れている根源的な存在の危うさゆえなのだろう。すべてが無私であり、無目的であり、やがて見られることの自覚を欠いている。だからこそ、その「表現」から世界の中に噴き出しているかに見える「原初のもの」の気配に、私たちは惹きつけられる。
 今やアウトサイダー・アートを代表する存在となったヘンリー・ダーガーの作品が後世に残ったのも、全くの偶然だった。この地味な人物が生きている間、彼が膨大な数の絵と、長大な物語を作成していることなど、誰も知らなかった。死後、大家さんが部屋に入って、初めて作品の存在が明らかになったのである。
 たまたま大家さん自身が写真家でダーガーの作品の価値を見抜いたためにそれは残ったが、もしそうでなければダーガーの作品は永遠に知られることがなかったろう。
 この問題は、案外普遍的なことだ。自分が経験していることを記憶しておこうと、私たちはどれくらい自覚しているのだろう。また、実際、どれくらい覚えているのだろう。
 時々刻々とあふれていく意識の流れがもし自然の「作品」だとしたら、そのほとんどは残されることを企図せず(そしてまた残らず)消えていってしまう。
 例えば、新緑の森の中を歩いていくある日の体験のように。
 残ることが企図されていないものが残ることの奇跡に私たちが心を動かされるのは、そこに体験というものの原初的あり方が顕れているからだと私は信じる。だからこそ、小林秀雄の講演を聞く度に、私は目眩を感じるのだ。自分の存在が漏れ消え、そして掬い取られるかのように感じられて。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
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