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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第54回 [2018年4月某日 たとえば桜吹雪のあとに]

更新日:2018/05/09

 知性の本質とは何かと言えば、一面ではリスクの取り方だし、一方ではものごとのつながりを見通して未来を予想することにある。
 そして、この二つの側面はつながっている。自分の選択や行為がどのように世界に影響を与えるかを、その連関を通して予想できない人は、うまくリスクを取ることができない。危なくて仕方がない。
 小さなことで言えば、誰かに何かを言うというのはリスクを取ることであり、予想をすることである。もっとも、そのようなことを考える心の余裕がないこともある。発話は、多くは気持ちの問題であって、自分の中に一つの感情があり、どうしても言わないと気がすまないということもある。
 その一方で、ある言葉がその人の心にどのような反響をもたらすかを考えないと、思わぬ結果を招く。言ってしまってからああしまった、と後悔することは誰にでもあるだろう。
 それだけでない。その言葉を相手が受け取ったことで、さらに第三者に対する影響が広がる。言葉自体が伝言ゲームで伝播し、その過程で変形することもある。場合によっては「炎上」のようなことになる。
 発話の動機は多くの場合単純だけれども、それゆえに、私たちは、日常の中で自分の選択や行為の結末を驚くほど予想していない。後から考えれば、「ああするとこうなって」「それがこう伝わって」「こんな波紋を投げかける」ということがわかるし、それならばあらかじめ予想できたはずだと思うけれども、実際にはできない。
 だから慌てる。
 しまったと思う。
 そうなっても、もう遅い。
 一般に、世の中の波紋の広がり方をあらかじめ予想し切ることはとても難しいことだ。シャーロック・ホームズのようなフィクションの人物ならば、自分の行動がワトソン君などにどのような影響を及ぼし、どんな結果になるか予想できるかのように描かれている。しかし、現実には、作者のコナン・ドイルと言えども、その高い知性にもかかわらず、自分の行為の余波を完全に予言できたとは思えない。
 つまり、私たちは、目隠しをして群衆の中を歩くように普段から生きている。それでよくリスクが取れるものだと呆れるばかりだ。しかし、それは私たちばかりの責任だとは言い切れない。人間関係は一般的に非線形であって、少しの違いがやがて大きな変化につながる。蝶のはばたきがハリケーンの発生につながるような、「カオス」が至るところに存在する。
 結局、人生で、ある選択が回り回ってどのような結果をもたらすかと予想することは、答えのない「不良設定問題」なのであって、なるようにしかならない。
 俳優の植木等さんは、素はとても真面目な方だったらしいが、植木さんの演じる「無責任男」が、「社長、ぱーっと行きましょう」と後のことを考えないで行動するのも、世の中はなるようにしかならないという見極めの結果だと言えないこともない。真剣に物事を考えた結果取りうる最良の政策は、往々にして「刹那主義」である。
 結局、私たち人間は、どうなるかわからないままに日々を生きていくしかない。だとしても、私たちは、もう少しだけ、世の中がどのようにつながっているのかということについての想像力を巡らせた方がいいのではないだろうか。
 桜の季節になると驚くことが二つある。一つには、街を歩いていて、こんなところにも、あんなところにもと、意外なところに桜の花が咲いていること。もう一つは、桜の花が散ってしまった後は、人々の関心が急激に消えてしまうこと。散った後、葉っぱが出て、ピンクの跡が残っているその樹の近くを通っても、見向きもしない。
 桜にとっては、花を咲かせるのはその生命周期のごく一部分であって、地面から栄養を吸収し、日を浴び、有機物を蓄えていろいろなことを回していく、その全体があってこそ桜の花も咲かせることができる。一連のプロセス全体を考えなければ、持続可能な生命史は実現できない。
 人生もまた同じで、部分の問題を解決するためには、連関を辿って全体を想わなければならない。そうでなければ、なぜ眼の前にこの問題があるのかを究明できない。
 私たちは、目隠しをして群衆の中を歩いているようなものである。
 未来を予想することは不良設定問題である。
 そうだとしても、もう少し、私たちはものごとの結びつきというものを見た方が良いのではないだろうか。
 そのためのエクササイズとして、例えば、散ってしまった後の桜を見届けるのが良い。
 ものごとは、その存在の花火が消えてしまった後も、ずっと続いている。
 花も、私たちの言葉も、水に投げ入れられた小石も。どこまでもつながっている。
 そのような存在の連関に思いを馳せることは、私たちを「正解」には導かないかもしれないが、より広く、深い人にはしてくれる。
 つながりを自分の中に取り入れること。すべては、散った後の桜を眺め、想うことから始まる。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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