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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第49回 [2018年1月某日 目障りなものについて]

更新日:2018/02/28

 親戚の子どもなどで、しばらく会わないで顔を見ると、いつの間にか大きくなっていたり、すっかり成長していて驚くことがある。
 そのことを言うと、その子の親であるおばさん、おじさんは「そうかねえ。毎日見ていると気づかなくて」と笑ったりする。
 自然は飛躍しない。変化は、必ず連続して起こる。注意をずっと向けているとゆっくりと変わっていくのに、時折しか目を向けないから、突然目覚ましい変化が起こっているように見える。
 世の中で突然起こっているように見える変化も、実際には背後では連続したプロセスがある。この対照がわかるかどうかが、人生において本当に大切なことだと感じる。
 マスメディアは、ともすれば派手な変化を好むものだから、「期待の新星」、「彗星のように現れた」というような表現を使いたがるものだが、本人やその周辺の人たちは、生真面目で地味な積み重ねがあることを知っている。
 しばしば「下積み何年」などと言うけれども、本当は、スターとしてブレークした人でも、その後も下積みの部分がある。日々世間から見えないところで努力していなければ結果を出し続けることなどできない。つまり、その意味では下積みは続いていく。
 大相撲がブームになると、新入幕して活躍している力士が脚光を浴びる。テレビのキャスターが「凄い力士が突然現れましたね」などと言っているが、力士にしてみれば序の口から始まって幕下、十両と続く長い試練の日々があったのである。相撲好きはそのプロセスをずっと見ているから今さら何を言うのだろうと感じる。
 そんなことを、先日東京駅の丸の内口を歩きながら考えた。すっかり整備が終わって綺麗になった大きな広場。2020年の東京オリンピックに向けて、玄関口になってくれるだろう。
 一方、東京駅を日常的に使う者としては、随分工事が長かったなと、その感慨の方が今はまだ強い。ずっと工事をしていた。終わったかなと思うと次の工事が始まる。覆いがあったりクレーンが立っていたりと、東京駅丸の内口は長い間雑然としていた。
 それが、今はすっきりして綺麗になっている。これが設計者の意図した「あるべき姿」だったのだなと思うと同時に、ずっと何かをやっていたあの「かくも長き時期」が懐かしくなる。
 都市の景観という視点から見れば、工事中のあれこれは邪魔でもある。英語で言う「eyesore」(目障りなもの)である。
 ところが、都市の景観というものは大量の鉄やコンクリート、エネルギーを巻き込んだ一つの独立した「生理プロセス」であって、その「営み」が維持されるためには、定期的な工事がなければならない。綺麗に整った景観が望ましいと考えるのはものごとの一部だけに目を向けることである。目障りかもしれないが、工事があってこそ景観は生み出され、維持されることができる。
 夏目漱石は、『三四郎』(1909年)の中で当時の東京のことをこのように活写している。

どこをどう歩いても、材木が放り出してある、石が積んである、新しい家が往来から二、三間引込んでいる、古い蔵が半分取崩(とりくず)されて心細く前の方に残っている。すべての物が破壊されつつあるように見える。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるように見える。大変な動き方である。
 これこそが、発展しつつある都市の生理である。
 私は工事現場で働く方々の表情が好きだ。
 郊外のコンビニエンスストアに朝早く行くと、これから現場に行くのであろう作業着姿の人々が思い思いにパンやコーヒーを買っている。
 都心の工事現場でも、時折囲いの外と中を行き来する姿を見かける。通りを歩いている時には市井の人になっているけれども、囲いの中に入れば一気に変身してテキパキと作業をしていくのだろう。
 完成したものだけでなく、そのプロセスに目を向けるということは、人生全般で大切なことだと思う。
 子どもはがちゃがちゃしている。泣きわめき、走り回り、うるさい。大人たちは自分たちの完成された静寂の中で顔をしかめるかもしれないが、その自分たちもかつては子どもだったのだ。
「完成された」大人たちは、一見整った、破綻のない姿をしている。それが人間のあるべき姿だと思うことはもちろん可能だけれども、そこに一足飛びに行けるわけではない。
 立ち居振る舞いの立派な紳士にも、騒ぎ、走り回る子どもだった時代があったわけで、紳士の立派さを褒めるのならば、同時にそのとっちらかった子ども時代も引き受けなければならない。優雅な淑女を賞賛するならば、質問ばかりして大人たちを閉口させていた幼少期もその視野の中に入れなくてはならない。
 立派な大人にとっては、うるさい子どもは「eyesore」(目障りなもの)なのかもしれないが、それが、人間という生命体のあり方である。
 そして、目障りなものこそが、若さの象徴である。
 目障りなものに触れる力を失った時、人は年老いる。
 目障りなものを許容できなくなった時、社会は衰退する。
 目障りなものが排除される時、都市は発展を止める。
 そのことを肝に銘じて、工事に出くわした時に「またやっている」と迷惑に思わないようにしよう。
 電車の中で子どもが騒いでいる時に、しかめっ面をするような大人にはならないようにしよう。
 自分自身が時に目障りなものになってしまうことも、恐れないようにしよう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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