集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更

  • Facebook
  • Twitter
  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 渡辺淳一恋愛小説セレクション【全9巻】
  • 集英社国語辞典[第3版]
  • 集英社ビジネス書
  • e!集英社

Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第48回 [2018年1月某日 かつてその小さな公園は]

更新日:2018/02/14

 子どもの頃熱心に読んでいた本の中に、『アインシュタインの世界』(講談社ブルーバックス)がある。
 これは、一時期共同研究をしていたインフェルトによる、アインシュタインはどういう人だったかという一種の回想録である。
 この本の中に、「人生の最後の時になったら、静かにベッドに横たわって死んでいく」というような意味のことをアインシュタインがインフェルトに言う場面がある。
 子ども心に、この言葉が不思議に響いて、どのような意味だろうと考えた。
 それから、生きてくる中で、折りにふれ、アインシュタインのこの言葉を思い出していた。
 覚悟なのだろうか、諦観なのだろうか。それとも、アインシュタイン独特の哲学に基づいているのだろうか。
 最近になって、またこの言葉を思い出していて、ひょっとしたら、時間の本質を考え抜いた人は、そのような死生観に達するのかもしれないと思い至った。
 アインシュタインは、生涯にわたって「時間」の本質を考え続けた人である。
 ティーンエージャーの頃に、光を光の速度で追いかけたらどうなるか、ということを着想したらしい。そこから、1905年のいわゆる「奇跡の年」の相対性理論の論文発表まで、約10年。アインシュタインはずっと時間の本質を考えることとなった。
 アインシュタインが着目したのは、「同時」であるということはどういうことかということである。通常、私たちは「同時」であるということを自明なことだと考えている。アインシュタインはそうではなかった。どのようにしたら、「同時」であることを、観測を通して保証できるかと考えた。
 このような思考の結果、アインシュタインは時間や空間の概念を書き換えることになった。時間は空間と一体の「4次元時空」になったのである。
 そんなアインシュタインにとっても不可思議だったのは、時間に「今」があるという事実そのものだった。アインシュタインの物理学では、現象は4次元時空の中で起こる。極端なことを言えば、宇宙の全歴史は、最初から4次元時空の中の「パターン」として存在している。
 ところが、私たちは、明らかに、時間を「今」の連続として経験している。しかも、この「今」は、常に移ろい行く。
「現在」はやがて「過去」になり、「未来」はやがて「現在」になる。このような時間の流れは決して止まることなく、ずっと続いている。
 歩くことが特別なのは、このような時間の流れを経験できるからなのではないか。そのように思うことがある。歩いているうちに、「今」が移ろい行き、「現在」がやがて「過去」になり、「未来」がやがて「現在」になる、そのような時間の流れを、他の活動をしている時よりも混じり気のない純粋なかたちで経験できるように思う。
 アインシュタインの相対性理論の時空では、「今」の特別な意味を説明できない。アインシュタインに限らず、現代の物理学のすべての理論は、「今」に特別な意味を与えることができない。
 時間の流れの神秘は、物理学の外にある。何故かわからないけれども、時間は流れていってしまう。過去は、どこかに行って、二度と戻らない。それは、一秒前でも、一万年前でも、一億年前でも、同じことである。
 アインシュタインがインフェルトに語った「人生の最後の時になったら、静かにベッドに横たわって死んでいく」という言葉は、このような時間の流れの本質を考え抜いた人ならではという気がしてならない。
 たとえ100歳まで生きた人でも、もう十分だから死んでもいい、とはならない。ここまでの100年の時間の流れは、すでに過ぎ去ってしまってもう戻らない。意識にとって把握可能なのは、「今」だけだ。
 その「今」が、常に過去へと流れて失われてしまうものだとしたら、何年生きても死を取り囲む時間の性質は同じなのであり、死がいつ訪れたとしても、それが私たちの生に及ぼす印象は、同じである。
 結局、死がいつ訪れたとしても、それは、時間の流れの性質として、同じなのではないか。だとしたら、ジタバタしても仕方がない。アインシュタインの言葉には、そのような背景があるように思う。
 それにしても、時間の流れはやはり不思議だ。
 ほんの小さなことで、それを思い出すことがある。都内を走っていると、時折、元々は邸宅の敷地だったと思われる小さな公園に出会うことがある。おそらくは相続の際に自治体のものになったのだろう。
 そこでかつては家族の生活が営まれていたということを思う。子どもたちの歓声が響き、夕食の団欒、来客のさざめき、夜の静寂、さまざまな時が刻まれたことだろう。
 それが今はすべて流れてしまって、公園として残っている。私が歩くその「今」という時間もまた、流れていってしまう。
 もしこの文章が100年後も読まれる機会があるのならば、かつて東京に存在した、私が今まさに生活している時間の流れも、また薄ぼんやりとした過去として、読者に想像されるだけだろう。
 やはり、時間は不思議だ。アインシュタインのような時間の達人にとっても、その神秘は乗り越えがたいものだったことだろう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.