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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第47回 [2017年某月某日 不忍池のエピファニー]

更新日:2018/01/24

 新しい考え、ものの見方に出会うと、思わず立ち止まってしまうような新鮮さを感じる。人生が刷新される。
 英語には、「エピファニー」(epiphany)という言葉がある。日本語で言えば、「ひらめき」とか「啓示」などと訳されるのだろうか。あるものごとの本質がわかったり、これからの道筋が見えたりすること。
 もともとは、キリストのこの世界への「顕現」を表す言葉でもある。それだけに、エピファニーには、深さと広がりがある。
 その気付きがあることで、さまざまな思考につながり、その後のものの見え方が変わるような一瞬のひらめき。それがエピファニーである。
 今から振り返ると、大学生の頃、友人と不忍池を歩きながら突然降ってきたエピファニーは、その後の人生の見方を確かに変えたと思う。
 なぜ、その時にそのような感覚がやってきたのか、わからない。とにかく、不忍池のほとりのある場所を歩いていた時に、次のような「手応え」が、ありありと自分の中にわき上がってきたのだ。

 この世界のほんとうのことは、どこにも書いていない。
 本にも、論文にも、辞書にも、どこにもほんとうのことは書かれていない。
 たとえ書かれていたとしても、それは、ほんとうのこととは、微妙にずれている。
 だから、この世界の実際、真実は、どこにも捉えられていなくて、ふわふわと、虚空に浮いている。
 ちょうど、この、不忍池のまわりに、空気の分子がふわふわと浮いているように。

 その感覚はあまりにも強く、また確信に満ちたものだったので、また、それまで友人と話していたこととはあまりにもかけ離れたことだったので、私は驚いてしまった。
 そして、この時以来、私は、世界に対してそんな見方で接してきているように思う。
 つまり、この世界のどこにも、ほんとうのことは書かれていないのだと。
 今でも、20歳を過ぎた頃のその冬の日のことをありありと思い出すことができるし、そのエピファニーが降ってきた不忍池のほとりのその場所も、はっきりと記憶している。
 大きな中華料理店が近くにある、ちょうどそのあたりだった。
 どこにもほんとうのことは書かれていないのだという感覚は、それまでの学校教育の中で教えられてきたこととは真逆だったかもしれない。
 不忍池のほとりのエピファニーの時から、「正しい」ことが書かれた「教科書」があったりとか、正解を知っている「専門家」や「権威」がいたりとか、そのような「フィクション」がまさに「嘘」でしかないこと、それにもかかわらず、世間はそのような「嘘」で動かされているということを、ずっと感じて生きてきた。
 そのことによって、話が通じなくなったり、一人になったりすることも多かったような気もするけれども、それで良かったような感じもある。
 何よりも、誰かと話していて、あるいは書かれたものを読んでいて、その人が「世界のどこにも、ほんとうのことは書かれていない」という感覚を持っているかどうかということを、敏感に受け止めるようになったように思う。ある意味では、この分水嶺こそが、その人と何かを共有できるかどうかを決める大切な決め手になっているようにも思う。
 だから、あのエピファニーは、やはり、人生の分かれ道だったのだ。
 どこにもほんとうのことは書かれていない。ただ、虚空にふわふわと浮いているほんとうのことの方向は何とはなしに感じることができる。

 だから、生きるということは、そのふわふわと浮いているほんとうのことを、きっとこっちの方だと追いかけていくことのような気がする。
 それは、文字で書かれるものではないから、わかりやすいスローガンではない。
 決まったルールなどでもない。
 ただ、常に変わる潮目のように、あるいは気配のように、何とはなしに追いかけていくべきものなのだ。
 このように書いてくると難しいことのようだが、実は身体性と結びついた、案外簡単なことのような気もする。
 とにかく、室内を出て外を歩くことで、そのような感覚が涵養(かんよう)されるように思う。徐々に、ゆっくりと、しかし確実に。
 部屋の中にいると、さまざまなことが、定まったところにあると感じる。そして、それらは自分が何かをしない限り動かない。世界のどこかにほんとうのことが書かれているとか、専門家とか権威がいるというものの見方は、そのような「室内感覚」に近い。
 一方、部屋の外では、すべてのものが動いている。空を行く雲も、飛ぶ鳥も、そよぐ草も、自分のほほをなでる風も。
 そこには、専門家も権威もいない。
 常に流れ、動いていく万物に包まれている自分という存在もまた、ゆれ動く生命だという、当たり前の事実を、外ではうまく思い出すことができる。
 だから、できるだけ、外を歩くことが大切なのだ。
 どこにもほんとうのことなど書かれていない。広大で常に流れているその世界の中を、どこまでも歩いていく、そんな生命こそ、祝福されてあれ。
 生命のほんとうのことは、一つの気配として、外を歩く私たちの身体にまとわりついているのだろう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
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