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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第44回 [2017年某月某日 月見の季節に]

更新日:2017/12/13

 最近、歩きながらふと考えてみたことの一つは、果たして、テレビモニターやスマートフォン、タブレット端末で見る映画は、映画館で見るそれと同じなのだろうか、ということである。
 もちろん、同じ部分も、違うところもあるに決まっている。問題は、そのことに対してどんな態度をとるのかということだ。
 小学校低学年の頃、公園で子ども会が主催した映画会は楽しかった。今でも、その質感を鮮明に思い出すことができる。
 夕方、まだ明るいうちにお兄さんたちが公園に白いスクリーンを張り始める。あっちがたるんでいる、ああ、外れてしまった、もっとこっちを引っ張れと大騒ぎ。
 そんな大人たちの奮闘をちらちらと見ながら、子どもたちは、やがて始まる楽しき時間を想いながら、公園のあちらこちらで遊んでいる。
 やがて、夕暮れがくる。いつもは日が落ちるのが残念でたまらないのだけれども、今日だけは待ち遠しい。暗くなった公園の中で、カタカタと映写機が回り始める。
 魔法の時間。今の機器に比べれば明るさも足りないし、音も割れているけれども、子どもたちの想像力がその欠陥を補っている。
 映画の内容など、ほとんど覚えていない。ただ、振り返れば、あの時間がとてつもなく贅沢に思えてくる。暗闇の中、白いスクリーンに蛾が集まってきて、映像の上にたくさんの「句読点」が打たれたことも、カブトムシが飛来して、その瞬間、子どもたちが映画どころではない驚喜の争奪戦に突入したことも、すべてはなつかしい思い出である。
 スマートフォンで映画を見るのならば、布団の中でひとり、こもって実行できる。公園での上映会はそのようなわけには行かない。住環境が変化し、地域の絆も移ろってしまった今では、それは、もはや実現の難しい夢なのではないか。
 一つの「文化」が、様々な要素によって支えられているというのは私たちが忘れがちなことである。それは、デジタル情報のように持ち運ぶことができない。時に、一つの生態系全体が育まれ、維持されなければ立ち上がることのできないものさえある。
 以前、俳人の黛まどかさんと対談した時に印象的なことがあった。担当編集者がいささか強引に、ここで俳句を詠んでください、と黛さんに依頼した。黛さんは、「無理です」と即座に断った。その理由が鮮烈だった。
 対談場所は、広大な庭園の附属したホテルだった。庭園には、木も、池も、流れもある。さわやかな風も吹いている。しかし、黛さんは、そこでは俳句は詠めないのだと断言した。
「俳句というのは、ある場所で、長年に渡って、人々が生活を続けてきたという、その積み重ねからにじみ出る風情があって、初めて詠むことができるのです」と黛さんは言った。
 それを聞いて、私は、一つのことに長年取り組んできた人の魂からしか発せられない、烈しい雷鳴のようなものに接した気がした。
 提案した編集者は、どこかシュンとしていた。まあ、誰にでも油断はあるものである。
 今、あの時の黛さんの発言を思い出すと、自然に、子どもの頃の上映会のことが想起される。あのような心愉しき映画会は、そこでたくさんの子どもたちが遊んできたという、その遊興の時間の積み重ねがなければ、成立しないのではないか。
 何事も合理的に切り離して考える現代人は、風情などはデジタルに立ち上げ、持ち運べるくらいに考えている。しかし、実際にはそんなことはできやしない。時には、世界そのものを一緒に引きずっていかなくては、灯すことのできない文化だってある。
 環境を整える上で最難関の一つは、「お月見」であろう。
 月見を心地よくできる、その風情を生み出すことは、現代ではほとんど不可能になってしまった。
 月満ちた夜、風がそよぐ縁側に座って、その方を見やる。月が見えるのを邪魔するような、そんな建物があってはいけない。
 ススキの穂が揺れていて欲しいし、虫たちの鳴き声も聞こえてくるのが望ましい。生活の雑音や、自動車の走行音など聞こえず、あくまでも、漆黒と同じような静寂の中で、時折、虫たちが真空の通奏低音のような鳴き声を響かせてきたら最高である。
 しかし、そんな理想のお月見の設(しつら)いが、今の世のどこにあるというのか。
 考えてみると、物質的には今ほど恵まれていなかったとしても、お月見が気軽に出来た昔は、どれほど豊かな時代だったことだろう。
 ものの見方を変えれば、現代は決して豊かな時代ではない。
 むしろ、「風情」という環境因子を、私たちは徹底的に排除して暮らしてきてしまった。
 思えば、あれは奇跡の夏であった。公園で映画の上映会をして、その少し後で、ススキの中に虫を探した。俳句を詠みこそしなかったけれども、心の中には常に俳味があった。
 あれこれと考えていくと、いまだに詠み継がれている俳句が、過ぎし世のレクイエムのようにさえ思えてくる。
 いや、そんなはずはないと、歩きながら、つい名残のススキを探す。いつしか、足の運びが少年の日のそれに重なっていく。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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