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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第43回 [2017年某月某日 思い立って坂道を登った]

更新日:2017/11/22

 いろいろな土地を走っていると、自然にランドマークのようなものを意識するようになる。
 その中でも大きなウエートを占めるのは、緑である。街中を走っていて、青々と繁った木々の梢が屋根の向こうに見えると、つい、踵(きびす)を返し、方向転換してそちらの方に向かってしまう。
 たいていあるのは公園だったり、学校だったりする。時には、個人の邸宅に大木が残っていることもある。
 私がふだん走るお気に入りの川沿いのコースがあって、いつも横に緑のシルエットが見えていた。だけれども、その川がとても気に入っているので、わざわざコースを外れてそちらに向かうということをしないでいた。一つには、その緑のシルエットに向かう道に上りの傾斜がついていた、ということもある。
 ある時、思い立って坂道を登っていった。息が切れ、途中で家々の屋根の向こうに隠れて、その緑が見えなくなった。
 やがて辿り着いたのは、一つの大きなお屋敷だった。おそらく、そのあたりの地主さんか何かだったのだろう。今ではすっかり住宅地になってしまったが、かつては広々とした光景があったに違いない。
 そして、その家の入り口の門の横に、一本の大きなケヤキがあった。樹齢数百年もあるのだろうか。見上げるとくらくらする程の高さがある。
 このあたりの土地はすっかり変化してしまって、景観の継続性を保っているのは、このケヤキの木くらいなのかもしれない。江戸時代にも、あるいはもっと前にも、この木はここに立って行き交う人々を見てきたのだろう。
 あるいは、そのあたりに、同じくらい大きなケヤキはたくさんあったのかもしれない。他の木は切られてしまって、たまたまこの地主さんの家だけが大切に保存して、かろうじて今日に伝えられているのではないか。
 かつて、東京や近郊に広がっていたかもしれない緑あふれる光景を、私たちは今では想像するしかない。縄文には強く惹かれるが、あの時代に関東にあった光景は、今とは全く違った、鬱蒼とした緑の広がりであったことだろう。
 子どもの頃、私はそのような自然環境を人間が破壊し続けてきたことに対して、ある種の義憤を抱いていた。慣れ親しんだ雑木林にブルドーザーやその他の重機が入って更地にしているのを見ると、仲間といっしょに睨みつけたりもしていた。
 自分の家が欲しい、そのために土地があったらと考えるのは人間の自然な欲望なのだろうし、そのようなことのために森林が切り開かれるのはある意味では仕方がないことなのだろうけれども、子どもの頃、そのような行為に対して、強い反発を感じていたことも事実である。
 ノルウェーの哲学者アルネ・ネスが提唱した「ディープエコロジー」の考え方によれば、自然の生態系の中で人間は何ら特別な地位を占めているのではない。ただ、他の生きとし生けるものと同等の、一つの生物種としての地位しかない。
 あるいは、人間の進化や、人間の知性について、それは何ら特別なものではなく、宇宙の中の事象としては全く凡庸なものであるという、「凡庸性の原理」(mediocrity principle)という考え方もある。
 ディープエコロジーや、凡庸性の原理は、それに触れる度に、どこか肝がすっと冷えていくような、そんな思いがある。人間だから、誰しも自分がかわいいし、自分たちが特別だと思いたがるけれども、宇宙全体、自然のすべてから見たら、どう考えても自分たちは特別だとは見えない。
 そのような認識が生まれる瞬間の、足元が崩れていくような、ひんやりとした存在解体の感覚が、子どもの頃から怖いようで実は好きだった。
 都会の中にかろうじて残った一本のケヤキを見上げ、その樹皮に触れながら、将来、何らかの理由で人類とその文明が滅びても、かえって地球にとっては新しい生態系の発展のチャンスになるのだろうという思いが浮かぶ。
 アメリカでは、「白人」たちの一部に、自分たちの優越性を主張するという奇妙な動きが見られるという。もともとは自分たちがお客さんだったのに、いつの間にか主人公になってしまっているのである。
 そのような心理を説明する時に、元々住んでいた人たちを追い出してしまったという、ある種の「原罪」の感覚と、それをかえって覆い隠そうとする意識があるのではないかとされる。同じことは、人間と自然の関係全般に言えるのではないかと思う。
 神社の森や、屋敷森など、どのような形であれ、その土地をかつては覆っていたであろう緑の一部が残されていることは、つまりは私たち人間の贖罪(しょくざい)の意識の表れなのだろう。
 畏れは人間にとって大切な感情である。自分を超える何ものかを、その何ものかの残滓を敢えて立てることでコントロール可能なものへと変えていく。そのような意味での「神社」は、すっかり文明に包まれてしまった私たちの生活のあちらこちらに、未だに息づいていると思う。
 そして、神社には、必ず、鎮守の森がつきものである。
 都会に残された緑を大切に思うことは、めぐりめぐって、現代社会の課題である多様性の尊重という人間価値につながっていくような気がしてならない。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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