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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第42回 [2017年某月某日 命の境目を歩きながら]

更新日:2017/11/08

 最近は、地球環境のことをいろいろ考える人が多くなってきているようで、そのこと自体は結構なことだと思う。
 一方で、文明の便利さを手放したくない、という人間の本音のようなものもあって、なかなか難しい。快適さへの固執は、突き詰めれば人間的な世界に対する信頼と特別視だろう。
 一つはっきりしていることは、私たちが今歴史上でも極めて例外的な時代を生きているということだ。
 人口増加のカーブや、エネルギー消費、さまざまな指標を見ても、現代は特異な時期である。急速に増大したものは、やがて同じように急速に減る。自然現象を見ても、そのようなケースが多い。果たして今の文明が持続可能なものなのか、疑わしいと言わざるを得ない。
 もちろん、楽観論もあって、人類の科学・技術の発展はまだ限界が見えないから、これから訪れる困難も乗り越えられるだろうという人もいる。それはそれで、合理的な予測ではある。いや、そのような信仰がなかったら、私たちは未来へ向かっての「理性」を保つことができないだろう。
 しかし、この、「持続可能性」ということも、よくよく考えてみないと、結局人間にとって都合の良いものになってしまうような気がする。人間にとっての心地よい環境を維持した上での「持続可能性」に過ぎないと思うからだ。
 宇宙全体を見渡すと、また、ビッグバン以来のその歴史を振り返ると、人間が誕生したのは単なる危うい偶然の結果であると思われる。その偶然が、どれくらい継続するのか、本当のところはわからない。
「フェルミのパラドックス」は、宇宙にもし知的生命体が存在するならば、私たちはなぜ遭遇していないのか、という点を問う。もちろん、恒星の間の距離は大きいから、異なる恒星のまわりにある惑星から地球まで移動するのは大変かもしれない。それにしても、何らかのシグナルで交信して来ても良いはずなのに、何故か今まで見つかっていない。
「フェルミのパラドックス」の一つの説明として、地球のようにある程度文明が発達した惑星は、やがて環境破壊や核戦争によって知的生命体自体が滅亡してしまうのではないかという考え方がある。宇宙のあちらこちらで実際には知的生命体は進化しているのだが、その文明の自滅までの時間があまりにも短いので、私たちはそのシグナルを受け取ることができないというのである。
 随分と寂しい発想だが、昨今の国際情勢を見ていると、あながち荒唐無稽とも言えない。私たちは大いに自省すべきだろう。
 結局、人間の、自分たち自身に対する視線の厳しさが問われている。
「持続可能な」は技術的なニュアンスがあってまだ良いが、「地球にやさしい」などという表現には、人間中心主義や、思い上がりが感じられなくもない。地球にやさしいも何も、地球や宇宙は、人間のことをそんなに気にしてはいないだろう。人間は自然のご主人ではない。思い上がってはいけない。
 ノルウェーの哲学者アルネ・ネスによって提唱された「ディープ・エコロジー」の考え方では、環境保護などを、人間中心の視点ではとらえない。生態系の中で、すべての生物を対等のものとして俯瞰する。人間は、森羅万象のうちの、ごく一部分に過ぎない。そもそも、人間を特別視すること自体に意味がない。
 ディープ・エコロジーは、生物学的な視点から地球を見た時には、ある意味自然な発想だろう。そして、「持続可能性」ということも、人間を外して考えるとより本質が見えてくるように思う。
 地球はかつて全体が氷雪に覆われたことがある(スノーボールアース)。多くの生物が死滅したが、その後の温暖化で一気に生物種が増えた(カンブリア爆発)。
 それほど大きな気候変動ではなくても、毎年の冬を生物たちは何とか乗り切っている。種で待つもの、卵でやりすごすもの、冬眠するもの、さまざまなやり方で春を待つ。そこにこそ、本当の意味での生物の強靭さや、持続可能性がある。
 一方、すっかり文明に飼いならされてしまった人間たちは、四季を通じて一定の温度を保つことを、あたかも自分たちの生命に固有の権利として要求するかのようなありさまだ。「持続可能な」経済が、もしそのような人間都合の内容を指すのであれば、そこには「人間都合の」という限定詞が付かなければならないだろう。
 とにかく人間という限定を外して見なければ、生命の本質は見えない。そんなことを、たまたま訪れた母のふるさと佐賀県で、一方は刈り入れ前の、他方は刈り入れ後の水田のコントラストの中を歩きながら考えていた。
 これはゲーテが『ファウスト』の中で示唆していることだけれども、真実はおそらく人間の魂には都合の良い形にはなっておらず、直視することが難しい姿をしている。「持続可能性」という概念についても、その真実を突き詰めていくと、私たちにとって耳触りの良いこと以外のさまざまな音が聞こえてくるのだと思う。
 本当は、そのような音の群れに包まれることの方が、私たちの魂を根底から慰撫してくれるのだと思うのだが。
 自分を超えた何ものかに向き合うのは、常に難しい。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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