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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第40回 [2017年某月某日 人間ひとり分の道幅]

更新日:2017/10/11

 毎日ランニングするコースの途中に池があって、夏にはよくアメンボが泳いでいる。
 見ていると、スイスイ、スイスイと常に移動していて、忙しいものだなと思う。
 彼らが動き回っているのには理由があって、小突き、小突かれているのである。一定の場所に留まっていようとしても、他のアメンボが来てしまう。
 観察していると面白く、ある場所に浮かんでいるアメンボが、他の個体が来ると、「あっ、こっちに来るな!」とでも言うようにあわてて移動していく。あるいは、他のアメンボがいるところに、「おい、ちょっとどいてくれ」という感じでアメンボが進んでいく。
 つまり、アメンボの世界には、「指定席」のようなものがない。水面を「所有」しているということがない。だから、どのアメンボも、いつもキョロキョロ、オドオドしている。自分の居場所が確保できずに、いつも変化の中にある。
 もっとも、アメンボにとっては、このような「存在論的不安」は、いわば空気のようなもので、生きている限り、小突き、小突かれ続けるのだと思う。
 さて、人間の世界はどうだろうか?
 自分の指定席はここである、とばかりにどっしりと座っていると、それが当然の権利のように思えてくるけれども、実際にはそんなものはない。「所有」だって、人間の社会の都合でつくられた概念であって、本来、この地上にあるさまざまなものを誰も自分の専有するものとして主張する権利など持たない。
 そんな、「アメンボの眼」とともに街を歩いていると、地表のありさまが、人間の所有欲、自己主張の結果であるように思えてくる。もちろん、お互いの権利を認め合うことで社会は安定し、だからこそ人間らしい生活を営めるのだけれども、根本に立ち返れば何の根拠もないのである。
 今は、生物種の人間の影響による大量絶滅の時代だと言われている。人間たちが、より良い生活を求めて経済活動をする中で、自然が破壊されていった。人間活動に起因する地球温暖化の影響が、異常気象などのかたちで私たちの生活を脅かすようになってきた。
 こんな時代に、私たちは「分」をわきまえることを学ぶべきなのかもしれない。
「菫(すみれ)程な小さき人に生れたし」
 夏目漱石のこの句に見られる感覚が、私は好きだ。
 大した人物、影響力のある人間と自分のことを見なすよりは、「菫程な小さき人」でいい。世間に迷惑をかけたり、波乱を起こしたりする生き方よりも、むしろ、片隅でひっそりと生きていたい。
 そんな漱石には、恐らくは「アメンボの眼」があったのだろうと想像する。
 人間の欲望、対抗、敵愾心(てきがいしん)の発展として、戦争がある。
 随筆『硝子戸の中』の中で、漱石は「去年から欧洲では大きな戦争が始まっている」と第一次世界大戦に触れつつ、あくまでも「硝子戸の中にじっと坐っている私」から見た、小さく、ひそやかなことを綴り続ける。
 そのような漱石のスタンスこそが、生命の本質に寄り添っているように思う。
 現代人は、皆、誇大妄想になっているのかもしれない。自分の生活の小さな領域に浸ることでは満足できずに、大きな世界のこと、遠い社会のことにまで口を出そうとする。ネットで、評論家を気取る人が続出する。自分の領分を、忘れてしまっている。そのような世相は、漱石がもし生きていたらどのように映るのだろうか。
 人間が、生きる上で必要なことはそんなにあるわけではない。どんなに多くのものを所有していたとしても、死んでしまえばそれまでのことである。墓場まで持って行けるわけではない。
 トルストイによる『人にはどれだけの土地がいるか』という民話では、土地をたくさん手に入れようとがんばった男が、無理をし過ぎて死んでしまう。結局、彼が必要としたのは、その身体を埋めるだけの土地だった。
 トルストイは、人間の本質を見抜く眼を持った人だったが、過大に膨れ上がった欲望がいかに人間を迷わせ、生命を傷つけるか、そのことを『人にはどれだけの土地がいるか』で描きたかったのだろう。
 現代には、自分が所有できるものをたくさん手に入れようとがんばっている人がたくさんいるように思う。その結果、命を失うまでにはいかなくても、魂がすり減っていないか。
 イノベーションが社会をどんどん変えていき、私たちが見る世界が広がっていく現代だからこそ、一つの魂の「対位法」として、漱石やトルストイのような謙虚さが必要になるのだろうと思う。
 街を歩いていて、人ひとりがようやく通れるような道を見つけると、ほっとする。人間にとっての道の本来のサイズは、これくらいだったのではないかと思う。
 とりわけ、道の両側に緑があると、心が安らぐ。自分の身体がしっとりと包まれるような、生命の芯がうるおうような、そんな感じがする。
 だから、人ひとりが通れるような小さな道を歩くことは、バランスを回復する上で、良き効果をもたらすことなのかもしれない。
 自分の身体があり、ひとり歩く緑の道があれば、人生には、それ以上のものは、あまり必要ない。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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