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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第38回 [2017年8月某日 そこになぜ傾斜があるのか]

更新日:2017/09/13

「傾斜」というのは、人生において、常に考えるべき問題だと思う。
 少しでも上り坂だと苦しいし、下り坂では身体が軽くなった気がする。
 心にかかるのは、生きる上での「傾き」の問題である。私たちは、いかに傾きを感受し、それを自分の人生の中に取り入れているのだろうか。
 斜面の傾きを上っているとき、私たちの足にかかる負荷は、何か、自分の知らない未知の世界へ誘うエンジンそのものであるようにも感じられる。実際、新しい世界へ通じる道は、往々にして、ある傾斜を持っている。
 神を祀る社が、多くの場合「傾斜の向こう」にあるのは、そのような「遷移」という「通過儀礼」の向こうに、信仰の舞台を置くためだろう。
「戸隠(とがくし)」という名称には以前から慣れ親しんでいたが、その名前が、「天岩戸(あまのいわと)」を隠した、ということに由来することを知ったのは、夏合宿で戸隠神社に向かっている時のことだった。もっとも、以前に聞いて忘れてしまっていたのかもしれないが、天岩戸を投げ飛ばして、それが戸隠山に至った、という印象深い話をそう簡単に忘れるとは思えない。
 戸隠神社に近づくにつれて、「へえ」という驚きと、「やっぱり」という納得があった。
 以前、天岩戸神社がある宮崎県高千穂町を訪れたことがある。峻厳な山を想像していたら、むしろ里山のような景観に、ああなるほど、と思った。また、そうでなければいけないとも感じた。日本の心のふるさとであるならば、それがふさわしい。
 戸隠神社に向かう道で、周囲が次第に穏やかで、そしてゆったりとした雰囲気になっていくのを見て、ああ、確かに高千穂とつながっていると思った。
 一方、戸隠山の山容には厳しいものがあり、ここが、古来、修験道の中心地だったことを思い起こさせた。人山の穏やかさと、峰々の峻厳さと。このコントラストが戸隠の魅力だと感じた。
 それにしても、天岩戸が、宮崎の高千穂から、遥か長野の戸隠まで飛んでいくのは、さすがにかなりの距離だと思うが、もともと神話というものは時間とか空間とかいった次元にあるものではないのだろう。
 中社に立派な拝殿があって、ここで終わりかと思ったら、さらに奥社があるという。どれくらいかかるのか、と聞いたら、前に行ったことのある友人が、「一時間くらいかな」と答える。
 その男の言葉が、どうも要領を得ないもので、同じような木が両側にたくさん並んでいるとか、最後の階段で一時間くらい並んで大変だったとか、へんなことばかりを言う。
 聞いている限りは、どうにも、奥社に行く気が起こらなかったのだが、彼はもともと素数や数式が好きな男で、文学的な修辞などとはおよそ縁のないやつだったから、ひょっとしたら、奥社にあるはずの「何か」が彼の言葉を通しては伝わって来ないのかもしれなかった。
 私の心の中には、延々と続くきつい階段のイメージがあった。そこを、たくさんの人が列をつくって上がって行く。そんな幻を胸に抱きながら奥社への道をたどり始めたが、人生における多くの「予期」が出会う運命と同じく、実際に待っていた経験は全く違うものだった。
 ずっと、なだらかな、ゆっくりと傾斜していく山道が続いていた。そこを、一歩一歩足を踏みしめながら歩いていく。
 両側には、立派な、杉の並木がある。江戸時代に植えられ、整備されたものだという。確かに、私の友人が言うように、「同じような木が両側にたくさん並んでいる」それにしても美しく、荘厳な「神殿」のようだ。同行していた、歴史に詳しい別の友人が、「こんなに立派な杉並木は初めて見ました」と言った。
 やがて、遥かに「随神門」が見えてきた。屋根の上に緑がなしている。
 ここをくぐると、本格的な石段が始まって、そこをしばらく登ったところにようやく奥の院があった。
 奥の院の裏は、岩に「はまる」格好になっている。「この後ろに天岩戸がある、という見立てなのでしょうね」と、歴史に詳しい友人が言った。
 強く心を打たれたのは、「随神門」に至る、長いゆるやかな傾斜であった。それは、人の身体を通して表現された、一つの「芸術」であると感じられた。
「随神門」への道を上りながら、私は、広島の平和記念公園にあるゆるやかな傾斜を思い出していた。丹下健三さんの発案により、気づかないくらいのほんとうにささやかな傾斜がつけられている。そのことによって、慰霊碑に近づく人たちの心が、次第にそこに収斂していくように工夫されている。
 傾斜が見事なのは、空間が時間に変換されるということである。一歩踏み出すごとに、私たちは少しずつ違った人間になっている。
 それぞれの場所によって異なる、心への負荷を通して。
 参拝を済ませて、ゆったりと下る私の心は、晴れやかだった。一度変わっても、人は戻る。しかし、らせん階段のように、同じところに戻ったと思っていても、実は少しだけ違うのである。人生そのものについた傾斜のように。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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