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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第36回 [2017年7月某日 私のドッペルゲンガーとしてのもぐら]

更新日:2017/08/09

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
 このように書いたのは、高村光太郎だった。
 詩集『道程』の中のこの詩は、人生の道が、自分で切り開いていくしかないものであることを示しているのだと感じられる。
 確かに、道は、必ずしも見えているわけではない。どこに何があるのかわからない中を闇雲に歩いているうちに、やがて、後からそこに道があったとわかることも、多いように思う。
 そして、「開拓者」と言われる人たちにおいては、自分が歩いたその跡にこそ道ができるのだ、と気づくということもあるのだろう。
 先日、私は街を歩いていて、奇妙なことを考えた。
「僕の下に道はない。僕の上に道はできる」ということもあるのではないか。
 道の上を歩く、というよりは、道の下を歩く、ということも考えられるのではないか。
 そんな奇妙なことを考えたきっかけは、「無意識」にある。
 一般に、人間の意識よりも無意識の方が広大なのであって、しかも、無意識のほとんどは、直接見ることができない。
 ある理由で行動していると、本人も周囲の人も思っている場合でも、本当の理由は全く別のところにあったりする。
 しかも、その真の事情を知らないからこそ、それが隠されているからこそ、より強く支配されてしまうということすらあり得るのだ。
 道の上に見えているものは、意識されているものである。そこには日差しが当たり、見晴らしも良い。
 一方、道の下には、何があるかわからない。魑魅魍魎(ちみもうりょう)がうごめいているかもしれないし、掘り返して日を当てようとすると、正体が霧消してしまう可能性もある。
 道の上にあるものは、立派である。それは社会的に存在を認められたものたちであり、行き届いて設計がされている。きちんと、メンテナンスも行われている。私たちは堂々と、「ほら、こんなものがあるでしょう」と語り合うことができる。
 散歩をしながら見える風景というのは、つまり、道の上にある公式なものたちである。その佇まいには隠し立てをするようなところもなく、誇らしげに胸を張って、白日の下にさらされている。
 ところが、道の下にあるものは、暗い情動であったり、人には見せられない欲望であったり、嫉妬であったり、強い野心であったりする。自分でもそのような感情があることを認めたくない、裏舞台である。
 道の下では、思わぬもの同士が結びついている。あそこがあそこにつながるのか、と思うような脈絡がある。人は、意識下にあるそのような連係に気づかずに、しかしだからこそ支配されて、誘われている。
 本当の動きは、道の下にある無意識で決まっているのに、それを、私たちは道の上の論理で説明する、ということもしばしばあることである。何しろ道の上には標識がある。信号機がある。なぜ行くのか、と問われて、だってあちらと書いてあるではないですか、信号機が青ではないですか、などと言い募るのは簡単である。そのような説明だったら、誰もがにこやかに受け入れることができる。
 しかし、道の下の事情について考え始めると、物事はとたんにやっかいになる。目を背けたくなるようなことがそこには隠れている。しかし一方で、生命のあり方の本質はそこにある、とでも言いたくなるような、ひんやりとした、心を落ち着かせる安らぎも、道の下にはある。
 問題は、自分は道の上を歩いていると考えるのか、それとも道の下を歩いていると思うのかということである。
 道の下を歩く、などということはおよそ不可能である、と考える人も多いだろう。確かに、もぐらではないのだから、土を掘りながら進むのは難しそうだ。しかし、自分の無意識に少しでも注意を払う人は、道の上を歩くと同時に、自分は道の下をも歩いているのだという事実に気づくことができるだろう。
 道の上を歩くと同時に、道の下を歩く。そんな意識を持ったら、歩くという行為が、よりバランスのとれた、全人格的な営為に変貌するに違いない。
 そんなことを考えながら歩いていたら、なんという僥倖か、国電のガード下に出た。
 いや、今は国電と言わないのだ。JR山手線のガード下。そこには、店舗があり、レストランもあり、お酒も飲むことができる。
 過密都市東京の経済情勢と、人々の工夫がもたらした、ガード下の世界。その店に入って杯を傾けていると、時々、電車の騒音と振動が聞こえてくる。
 ガード下の赤提灯で飲む時の、ちょっと後ろめたいような、しかし心を安らがせるあの感じは、間違いなく、道の下を歩くという裏事情から派生している。
 そんなことを考えていたら、ガード下の風景がとてつもなく魅力的に思えてきて、しかし私はまだ所用があり、道の上を歩く人でい続けなければならなかったのだった。
 それにしても、自分の分身(ドッペルゲンガー)は、道の上を歩く人間ではなく、道の下を掘り進めるもぐらであると考えることは、どんなに豊かなことであろう。 
 都会の道の下を、たくさんのもぐらたちが進んでいると考えることは、私の心を深いところで癒やしてくれる。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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