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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第34回 [2017年某月某日 美しき静けき水辺に思う]

更新日:2017/07/12

 これは、しばしば頭をよぎって、しかし未解決の問題なのであるが、なぜ、人間は、「すべて」か「ゼロ」かという形式でものを考えがちなのだろうか。
 特に、若い頃は、今まで自分が生きてきた軌跡が取るに足らないものに見えて、履歴を全否定したり、どこか他のところに行ってしまいたくなったり、あるいは誰か他の人になりたくなってしまう。
 ドイツのロマン派において、『若きウェルテルの悩み』を書いた頃のゲーテらの文化運動を特徴づける言葉として著名な「疾風怒濤」。「今すぐ全てを!」「ここではない、どこかに!」という衝動は、時に、今の自分を全く別の何かに置き換えたい、という願望として顕れる。
 現実には、そんなことは可能ではない。私たちはすぐには別の存在にはなれないし、世界もすぐには別の場所にはなれない。
 かつては、社会の中に変革へのエネルギーが満ち溢れたことがあった。私が子どもの頃に吹き荒れた学生運動では、現実の社会を変えたいという理想に燃えた若者たちが、街にあふれ、バリケードを築いた。
 よくその意味がわからないで、テレビ画面を見ていた、東大の安田講堂の攻防戦。放水される中、学生たちが抵抗する様子を、映画の一シーンであるかのように眺めていた。その時、私は小学校一年生に上がる直前。善悪もわかるはずがなかった。
 時代が流れ、自分たちが社会を変えられる、という熱気が学生たちの中にあふれることは、あまりなくなってきた。安保法案におけるSEALDsの活動は、かつてとは別のかたちでの運動の再興とはいえたが、安田講堂の攻防戦の頃とは、時代背景も、人々の心も変わってしまった。
 今では、「ここではない、どこかに」という衝動は、若者たちの胸の中に、一人ひとりの人生に関することとして、静かに、控えめにしまい込まれているように思う。
 全てを変えてしまいたい、という気持ちがなくなってしまったわけではない。私は時折、十代の若者たちと話したり、彼らの相談事を受けることがあるけれども、現状に満足せず、全てを変えてしまいたい、という強い衝動や情熱に触れて、びっくりすることがある。
 それは、すっかり穏やかになってしまったと思っていた世の中にふつふつと滾(たぎ)っている、マグマのような熱である。それは、おそらくは愚かな、そして実現の見込みのない企てなのであるが、一方で、気持ちの純粋さ、という意味においては、これ以上のものはないようにも感じられる。
 真実への帰依にせよ、愛にせよ、あるいは変革への思いにせよ、私たちの心の中の衝動が純粋になればなるほど、その現実への着地が困難になるのは、どうしてなのだろうか。
 古今の文学作品の多くは、この、心の純粋な衝動と、現実の間の不整合をテーマにしているようにも思われる。現実の側から見れば、心の衝動は愚かで的外れなものに見えるのであり、しかし、衝動にとらわれている側から見れば、世界の方が不条理であり、不当な弾圧を加えてくるようにも感じられる。
 年齢を重ねるにつれて、逆に問題になってくるのは、心の中に、そのような純粋な衝動がなくなってきてしまうことだろう。
 誰でも、胸に手を当てれば、ティーンエイジャーの頃の自分がいかに愚かな思いにかき立てられていたか、わかるはずだ。そのような衝動がなくなることを、人は「成長」とか「成熟」とか言うかもしれないが、それは逆に、生命のマグマが熱を失いつつあることを意味するのではないだろうか。
 成熟が、すべてが美しく整った水辺の風景のように、精妙な生命のバランスを示しているのであれば良い。そこには水があり、空があり、緑がある。さまざまなものが息づき、生命の多様性が複雑で豊かに脈動している。そんな人生であったらいい。
 しかし、同時に、私たちは、そのような成熟の年齢になってもまた、胸の底にちろちろと燃えている、無軌道な情熱の残り火を求めずにはいられないのではないだろうか?
 エッカーマンが『ゲーテとの対話』の中で描く作家は、すっかり円熟した人のそれであるが、注意深く読めば、そこには、『若きウェルテルの悩み』で世の中に挑戦状を叩きつけた、無謀な若者の衝動の残滓が、感じられるはずだ。
 ゲーテの臨終の時の最後の言葉は「もっと光を!」だったと伝えられている。この言葉を、生命の衝動に対する消えることのない希求と解釈することは可能ではないだろうか。
 若者は、自分の衝動ばかりに目を向けずに、世界の他者性にもっと開かれた方がいい。純粋だからといって権利が与えられるわけではない。人生の解は、往々にして複雑である。
 そして、成熟した大人は、もっと、自分の中にいる愚かな「若者」に水をやった方がいい。「疾風怒濤」は時に的外れだが、その「残り風」があってこそ、人生という航海の最後まで、元気に帆を張った船であり続けることができるのだ。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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