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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第33回 [2017年某月某日 時にはしゃがみ込むこと]

更新日:2017/06/28

 私は最近思うのだが、傑作と駄作の差というものは、もちろん、大切だし、存在するのだろうが、実は、大したことでもないのではないか。
 美意識を磨いて、傑作と駄作を見分けられることは価値あることだ。そんな風に思いやすいし、また、それは実際に多くの場合意味があるのだろうが、しかし、本当は、究極的には、すべては無意味なのではないか。
 もちろん、私は、何かを諦めたわけではないし、これからも、自分が大切だとみなす分野での「傑作」をつくりたいと思う。相対主義を唱えているわけでもない。実際のところ、差異は存在するのだと思う。ある文脈に依存するかたちで。
 しかし、私が最近気になってしょうがないことは、人間による同一性と差異の判断は、案外いい加減だということだ。つまり本当は違うものを同じだと思っているし、差異があると思っていることは案外そうでもない。そんな曖昧な認識の上に、傑作と駄作の区別があるとすれば、そのようなものを重大視することもないのかなとも思う。
 今年の春がそろそろ終わる頃、外国の街を歩いていたら、チューリップが揺れていた。黄色い花が、土の上に並んでいる。ああ、チューリップがたくさんあるな、と思って通り過ぎようとしたが、いや、待てよ、そんなことだからダメなんだと思った。
 同じチューリップが数十並んでいる。本当にそうなのか。遺伝的には近いのだろう。しかし、一つひとつ見れば、色とか、形とか、それなりのバリエーションがあるのだろう。それを同じチューリップだと見るのは、一つの暴力なのではないか。ささいなことだが、私は、これは、案外真剣に考えてみるべきことだと思う。
 外国に行って、日本人と一括りにされると、文脈によってはうれしいこともあるが、いや待てよ、と反発することも多い。日本人と言っても、いろいろな人がいるから。しかし、日本人とアメリカ人の差に比べたら、小さいだろうとも重ねて言われる。しかし、本当にそうだろうか。
 科学的にこのようなことをきちんと説明しようとすると、「粗視化」という概念になる。最もミクロなレベルで見れば、差異があるのに、粗視化することで同じに見えてしまう。例えば、箱の中の空気の中の分子の配列はいろいろあるのに、すべて同じ「空気」に見えてしまう。
 粗視化することには、それなりの機能的な意義がある。そう片付けないとやってられないというか、ものごとが進まないし、生きていることもできない。だから、私たちは、粗視化することで生きている。
 物理的概念としての粗視化には、もちろんきちんとした数学的形式があるが、ここで問題にしている認知の粗視化は、もう少しいい加減な話である。将来的には何らかの数学的な形式化ができるかもしれないが、今はとりあえず、黄色いチューリップがすべて同じに見えてしまう、外国人から見れば、日本人がすべて同じに感じられる、ということの持つ暴力性について考えるきっかけになれば良い。
「男」や「女」だと片付けられて憤慨したり、ある年齢で一括りにされたり、学校や、勤め先などによって決めつけられて傷ついたり、そのようなことはしばしばある。私たちは、あまりにも頻繁に、安易な「粗視化」の罠に陥ってしまうのだ。
 学ぶとは、粗い「同一」を細かく見分けていくことである。そのためには対象に愛を向ける必要がある。最初は同じに見えていた灰色の背広を来たオフィスワーカーの群が、実は、豊かな個性をもった多様性の森であるということを見知る必要があるのだ。
 つまりは、個性は、「採掘」されなければならないのであって、そのために必要なのは、丹念で綿密な注意と関心の持続である。
 生きるスピードを、時にはスローモーションにしなければならない。ああ、チューリップが数十本並んでいる、という風に通り過ぎてしまうのではなくて、そこで、しゃがみ込み、一つひとつのチューリップを丹念に眺め始める。四葉のクローバーのように、わかりやすい個別性の指標があるとは限らない。個々のチューリップの差異は、もっと繊細で、気づきにくいものであろう。
 しかし、そのような小さな違いに気づくことで、私たちは、ようやく、存在という「洞窟」のさらに奥に向かう精神運動を始めることができる。
 もちろん、テンポ設定は重要である。いつも、チューリップの横にしゃがみ込んで、一つひとつの違いを眺めているわけにはいかない。時には、早足で通り過ぎなくてはならない。存在自体に気づかない場合もあるだろう。視野の中で流れる黄色い現象でしかないこともあるだろう。
 しかし、存在の個別の深淵に気づかされたものは、そのあと、きっと、簡単には傑作と駄作を区別しないはずだ。人を属性で決めつけないはずだ。少なくとも、時にそのようなことをしてしまう自分を恥じるだけの謙虚さを持つはずだ。
 そのような、足元に揺れるチューリップから始まるささやかな「革命」が大切な時代に生きているような気分が、このところ、なんとはなしにしている。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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