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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第32回 [2017年某月某日 流木のような人]

更新日:2017/06/14

 以前から、流木というものに心を惹かれている。
 お店のディスプレイなどで、流木がセンスよく使われていると、つい見てしまう。レストランならば、店に対する好感度が上がる。
 浜辺などを歩いていて、本当に小さな流木が落ちていると、思わず手にとって眺める。人が腰掛けられるくらいの大きな流木ならば、しばらくその上に座って、潮騒に耳を傾ける。
 もっとも、バランスをうまく取るには、独特のコツがいるけれども。
 流木には、さまざまな使い方がある。今のように自然保護や環境問題についての意識が高まっている時代に、適切な流木の使い方というものがどのようなものなのかわからないが、そのようなことを取っ払えば、概ね、次のようなことである。
 流木は、まず、ディスプレイやインテリアの要素として使うことができる。うまく加工すれば、家具にもなる。風合いを活かすと、忘れがたい印象を持たせることができる。
 流木は、また、浜辺でキャンプをする時などに、燃料にすることができる。確か、椎名誠さんのエッセイに、そのようなことを書いたものがあったと思う。炎の勢いが弱まってきた時に、周辺を歩いて流木を拾った者が戻ってきたら、その人はヒーローになるだろう。
 流木を水槽の中に置くと、魚たちが泳ぐ空間が、一気に自然に近づく。
 私は、なぜ、流木に惹かれるのだろうか。
 流木は、世界が「つながっている」ということの証しである。流木が生み出されるプロセスにはさまざまあるだろうが、いずれにせよ、どこかで木が倒れ、水流に巻き込まれたのであろう。場合によっては、嵐や洪水などの災害が絡んでいるのかもしれない。
 水に流れた木は、波に揉まれ、潮流に運ばれながら、長い旅に出る。流木は、そのようにして、一体どれくらいの時間を過ごしてきたのか。やがて、砂浜に打ち上げられ、今、目の前に転がっている。
 流木の中には、海の沖へと運ばれて、やがて分解して溶けていってしまうものもあるだろう。その過程で、鳥が休む足場になったものもあっただろう。
 近くの林から出てきた場合もあるだろう。遠くの森から届くこともあるだろう。そのようにして、世界の中を突き動かされて移ろってきた一つの流木が、今、私の目の前にあることは、奇跡である。
 そして、自分自身のことも、考える。
 人間もまた、流木のようなものかもしれない。私は、この世に生まれてから、いろいろなところを経巡り、今、この海岸に来た。その過程では、さまざまな運命の分岐があった。左に行くところを右に行っていたら、あの時首を縦にふらなかったら、時計の針を見ていたら、私は今ここに立っていないことだろう。
 流木は、自ら動かない。自然界のさまざまな力によって、動かされていく。
 そして、これが肝心なことなのだが、人間も、恐らくは、そんなに変わらない。
 私たちは自由意志というやっかいな幻想を持っていて、それなしでは、平静を保てないほどなのだが、おそらくは、流木のように、人間もまた、その生活時間の多くの部分において、小突かれ、誘われ、そのことに気づかずに流されていく存在でしかない。
 人間には、おそらく、自由意志はない。
 人間は、一つの流木である。
 そして、流木の風合いこそが、その魅力の核心だ。
 あの、すべての激動が去った後の、静かな朝のような流木の表情に惹きつけられない者がいるだろうか。
 流木は、私にとって、一つの理想の表象である。そして、流木のような人間になることは、どのような生まれつきの姿かたちを持った人にとっても、目指すことのできる目標なのではないか。
 遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシ監督が映画化した『沈黙 -サイレンス-』に出てきた神父たちは、流木のような表情をしていた。
 日本を目指すために、まさに海流に乗ってきた彼ら。当時の宗教弾圧の中で、揉まれ、摩耗し、苦悩し、突き抜けて、そして流木のような風合いになった。
 流木性は、もちろん、外見のことだけではない。
 流木のかたちとは、つまりは、「本質」のことなのではないか。ぶつかり、せめぎ合い、摩耗しているうちに、自然に、その人の芯のようなものが露わになってくる。
 若い時は過剰なエネルギーに満ちていて、無駄なことをし、浪費し、それはそれで悪いことではないが、人生いろいろなことがあって、挫折し、復活し、転がり、佇み、息づき、酸いも甘いも噛み分けたその中で、やがて浮かび上がってくる「かたち」がある。
 その「かたち」に出会うためにこそ、人は、苦闘するのかなとすら思う。
 人生は、自分の中にある「流木」に出会うためにある。
 浜辺に行って、砂の上に転がっている流木を見たときに私たちの心の中に巻き上がるのは、自己認識の甘美な嵐なのだろう。
 流木は、一つの「鏡」である。
 磨き上げられた個性とは、砂浜の上に転がっている一本の流木のような存在なのだ。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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