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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第31回 [2017年4月某日 葉桜を見ないわけ]

更新日:2017/05/24

 桜の花が散る季節になると、いつもある種のショックが私の心を襲う。
 あんなにたくさんの葉っぱが出てくるなんて!
 特にソメイヨシノだと、花がまず咲いて、それが散り始めると「葉桜」となり、すっかり散ってしまうと、後は勢いのある葉っぱで枝が覆われてしまう、あの変貌が何度経験しても慣れることができない。
 そして、これは私だけのことなのかもしれないが、少なくとも桜の花の記憶があるうちには、あの勢いのある葉っぱを敢えて見ないようにしているように思う。
 もちろん、これが初夏くらいになって、蝉の鳴き声が響くその空気感の中で、桜の木が葉を繁らせている光景はそれなりに心の中に着地してくれるのだが、桜の花の記憶が鮮明なうちは、葉っぱを見ることを、どうも避けているように感じるのである。
 内田百間(「間」は正しくは門構えに月)は、停まっている列車と動いている列車は別物で、それを一つで間に合わせようとするから難しい、と書いているが、それと同じような違和感を、花を咲かせた桜と葉を繁らせた桜の間に抱くことがある。
 なぜ、桜が散った後に、繁ってくる葉っぱを見るのをためらうのだろう。
 そこには、「生命の舞台裏」を見てしまったという後ろめたさのようなものがあるのではないか。
 ソメイヨシノの人気の理由の一つは、葉よりも花が先に咲く点にあることは疑いない。ソメイヨシノに人気が集中していることを、いろいろと批判する意見もあるけれども、「大衆的人気」という意味においては、ソメイヨシノが圧倒的支持を集めていることは確かである。
 なぜ、ソメイヨシノが人々の心を惹きつけるのか。花だけが先に咲く、その純粋さに理由があるように思う。あたかも、花という精華が、その背後にある生命のさまざまな作用とは無関係に、浮遊して存在しているかのような、そのような錯覚を与えるところに、ソメイヨシノの価値があるように思う。
 その意味では、花だけが先に咲くソメイヨシノの魅力は、水面を行く白鳥のそれに似ている。すいすいと滑るように移動していく白鳥の姿は優美である。しかし、しばしば指摘されるように、水面下では白鳥の足は激しく動いている。そのような「努力」を見せないところが、白鳥の美学だとされる。
 むろん、白鳥という生物にとって、自分の移動を優雅に見せようという意識はないに違いない。激しい水面下の動きを見せないことに、捕食者の回避やなわばり争いにおける利点があるのかもしれない。あるいは、水面下の足の動きは見えないようにすることが、水面上を移動する時の流体力学的な効率を最大にするのかもしれない。いずれにせよ、それは、「美意識」とは直接関係ない。
 ソメイヨシノの花が、葉が繁る前に先に咲くことも、美意識とは直接関係のない生物としての営みであろう。それに、どのような生存上の利点があるのか。たとえば、いち早く咲くことで、受粉を媒介する生物を独占できるということがあるのか(ソメイヨシノは自家受粉はできないが、他の種の桜があれば実をならせることはできる)。少なくとも人間たちによってその性質が好まれ、多く植えられることで個体数を増やしてきたことは事実である。その意味では、人間との「共生」を通して、花が先に咲くという性質が「適応的」になった。
 花は、もちろん、一つの生命作用として咲くのであり、物質的には、土から吸収される養分や、光合成によってつくられるデンプン、およびそれ由来のエネルギー源によって支えられている。ソメイヨシノが春先に咲くのは、一つ前の年の葉っぱが繁っているうちに光合成でつくられ、樹木内にたくわえられていたエネルギー源を原資としている。
 あるいは、その原資が補給されるのは花が散った後に繁る葉に起こる光合成によると考えれば、花を咲かせるエネルギーは、将来の光合成の成果を「前借り」しているのだとも言える。
 あれだけ華やかに花が咲くからこそ、そのエネルギー収支のつじつまを合わせるために光合成する。だからこそ、勢い良く葉が繁る。だったら、本当は、花と葉を一緒のものとして愛でるのが、生命の間尺には合っているのかもしれない。
 春先に郊外を歩いていると、山を覆う新緑のあちらこちらに、ふわーっとピンクの点が散らばっているのを見ることがある。ああ、山桜かと思う。
 新緑は淡く、やわらかくそして穏やかに山をつつんでいて、その中にピンクの色がにじみ出たように広がっているのは、とても美しい光景である。
 ひょっとしたら、昔のひとが愛でていた桜とは、こんなものだったのかなとも思う。自然の作用としての新緑があり、その新緑の中に、生命の営みとして花が奇跡のように顕れる。その様子を、愛していたのかとも思う。
 もちろん、ソメイヨシノが悪いというわけではない。一斉に花が咲く、あの様子が心をときめかせることは確かだ。しかし、山桜や、そのほか、さまざまな花のあり方を見て心を平らかにしておくことが、バランスとして必要なのかとも思う。
 また、人として、花を咲かせるために必要な時に必死な努力は、自分の中でも、あるいは他人の中でも、決して目をそらせてはいけないことだとも、考えるのである。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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