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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第29回 [2017年某月某日 私たちは瓦解し続ける]

更新日:2017/04/26

 この世は「進歩」するのではなく、ただ「変化」するだけである。
 そんな風にわかっていても、私たちはつい、今が過去よりも進んでいるという前提の下にものを見がちである。特に、今日のように科学や技術の進歩が盛んであり、文明を変える原動力になっている時代においては、過去よりも現在が、さらには未来が進んでいると思い込みがちだ。
 もちろん、一方では人類の歴史は堕落の連続であるというような見方もあって、中国において「尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)」の古代の治世が理想と見なされたり、あるいはエデンの園からアダムとイブが追放されたりといった見方の下では、この世界は常に堕落し続けているということになる。
 実際には、世界は進歩し続けているわけでも、堕落の連続であるわけでもなく、波打ち、様相を変えて進んでいくだけなのだろう。私たちの人生も同じで、最高の瞬間があるわけでもなく、落ち続けているわけでもなく、ただ、日々は続いている。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」
 松尾芭蕉は、『奥の細道』の冒頭でそう書いたが、人生の旅人は、進化することも、堕落することもなく、ただとぼとぼと今日も歩き続けている。
 このような視点に立つと、「今日」は「過去」と全く対等になる。散歩などをしていて、一歩ごとに経過する時間の流れをひしひしと感じていると、かつてもまた、このような時間が流れていたのだろうとしみじみ思う。時間の流れにおいて、日々は絶対的に平等なのだ。
 明治維新は、基本的に日本を近代化に導いた良きものと見なされることが多いだろうが、江戸時代が悪かったというわけではもちろんない。「封建時代」という言い方もあるが、その時の流れの中で人々は愛し、憎み、悩み、希望を抱き、そして死んでいったわけで、その人生の歩みが現代より劣っていたわけではもちろんない。
 維新を「瓦解」と表現しているのを初めて見たのは夏目漱石で、確か『坊っちゃん』だったのだと思う
 「この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。」
 坊っちゃんを大切にしてくれる「清」の紹介である。
 この文章に触れて以来、時折、江戸のことが何とはなしに懐かしく、また慕わしく思われる。坊っちゃんのことをあれこれと思いやってくれる「清」のイメージとも重なって、何か、人間の根っこにつながるような温かさとして感じられるのである。
 もちろん、江戸が理想的な時代だったとは思わない。西洋列強が押し寄せてくる中で、明治維新は一つの反応であったろうし、それによる近代化に成功したことが、今日に続く日本の「繁栄」の礎になったことも事実だろう。
 しかし、小説やドラマなどで、繰り返し志士たちによる「維新」の物語が前向きの明るい「進歩」として描かれてきたことには、歴史観としても、生命哲学の視点から見ても限界があるのだと思う。
 敢えて言えば「浅い」。
 江戸には江戸の生き方があったということの重みを、私たちはどれくらい受け止めて歴史を振り返っているのだろうか。
 明治維新は、一方では近代化の成功物語であると同時に、他方では古いものの容赦なき破壊であった。漱石が「瓦解」と表現したのも、そのような歴史的事実を背景としている。
 特に、江戸時代の城郭や町並みを、あれほどあっけなく破壊してしまったのは振り返ればもったいなかった。姫路城など、かろうじて残っている建築の精妙さ、見事さを見れば、失われたものの価値は取り返しがつかない。
 近代化とそれまでの歴史的遺産の継承を両立させることは、恐らくは可能だったし、そうするべきだったのだろう。漱石が「瓦解」という言葉の中に込めた皮肉と諦念は、私たちがもう少し真剣に向き合うべき問題であると感じる。この視点は、『坊っちゃん』という作品自体の理解にもつながっていくのだけれども。
 日本のあちらこちらで、明治維新、ないしは瓦解であっさりと破壊されてしまったお城の跡が、石垣やお堀だけ残っているのを横目で見ながら、ゆったりと散歩をすることがある。
 そんな時、お堀の外側に広がる現代の町並みと、内側にかろうじて残っているかつての雰囲気を比較して、なんとも言えない気持ちになることがある。
 江戸時代のある一日にも、今日と全く同じように時間が流れ、登城する武士や、行き交う町人たちが息づき、空にはひょっとしたら朱鷺(とき)が舞っていたのだ。
 そのようにしてかつて存在した時空を想いやり、自分が生きる「今、ここ」を相対化することは、かえって「今、ここ」の生を大切に慈しむことにつながるように、私には感じられる。
 瓦解するのは、時代だけではない。私たちのかけがえのない「今、ここ」も、常に、切れ目なく、瓦解し続けているのだから。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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