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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第27回 [2017年某月某日 リンボの橋]

更新日:2017/03/22

 人生には、そこを行くともう戻れないというような道がある。
 ほんとうのことを言えば、人生というものは、すべての「時々刻々」がもれなくそうなのであろう。時が流れて二度と戻らないというのは、特別な瞬間でなくても、常に成立する「真実」である。
 それでも、句読点のようなものがあると感じることがある。入学式や卒業式もそうだろうし、大人になってからの出会いや別れもそうだ。
 むしろ私たちは、そこを過ぎたらもう二度と戻れないというような区切りがないと、時間をそれとして知覚できないのかもしれない。地球は太陽の周りを公転し、自転し、昼と夜が変わり、季節も移る。私たちは呼吸し、心臓が鼓動する。そのような引き延ばされた連続の時間の中で、「ああ、これでもう区切りだ」と感じるような特別な「切断面」があってこそ、私たちは初めて「ああ、時間は流れているのだ!」と感じられるのだろう。
 一日にだって、本当は終わりも始まりもないのだけれども、「午前0時」というかたちでそれに切れ目を入れる。なにも真夜中にその時点を置かなくても良さそうなものだが、草木も静まり返るその頃に一日の終わりと始まりが置かれているのは、そのような区分の心理的な落ち着きの良さゆえなのだろう。
 同じように、一年の始まりと終わりが、冬の真ん中の、しかも冬至が終わって一日一日次第に日が長くなっていく地点に置かれていることにも、私たち人間の心の問題としてそれなりの「座り」の良い理由があるのに違いない。もっとも、これは、グレゴリオ暦が制定された北半球に限られた事情であるが。
 「始まり」と「終わり」がどのような順序関係にあるのかということは興味深い問題である。数学的に言えば、終わり=始まりであり、両者は一つの点を占めている。終わると同時に始まるのであり、始まるとともに終わるのである。
 しかし、私たちは、心理的には、ものごとの「終わり」がまずあるのであって、その後に、少し遅れて「始まり」があるように感じているように思う。一日にせよ、一年にせよ、まず、何かが徐々に終わりに近づいていく。そして、その終わりに向けた勢いのようなものが頂点に達したところで、ものごとは本当に終わってしまうのであって、そのほんの少し後に、次の何かが始まるように感じているのではないかと思う。「昨日」が終わったちょっと後で、「今日」が始まると感じるように。
 終わりと始まりは、間髪を入れないのであって、合理的に、あるいは数学をモデルとして世界を考えている人ほど厳密に「終わり=始まり」だと感じているように思う。しかし、心理的には、「終わり」と「始まり」の間に、何にも属さない、幽霊のような時間が存在しているように感じられることもある。
 英語で言う「リンボ」(limbo)の状態。宙ぶらりんで、どこにも属さず、生命のいきいきとした営みが止まってしまっているような人生の「エアポケット」。そんなリンボにおいてこそ、自分の存在を確認できるように感じることもある。
 昼が終わり、夜が始まるその間の時間を、日本人は「たそがれ時」と呼んできた。「誰そ彼」(そこにいるのは誰ですか?)。すべての人が、リンボに宙ぶらりんになるようなそんな時間。たそがれにおいてだけ、確認できる自分の身体の確かな存在感、温もりがある。
 通常は「終わり」の方が「始まり」に先行するけれども、時には、「始まり」が「終わり」よりも先にあることもあるのかもしれない。たとえば、一つの恋の始まりと、もう一つの恋の終わり。あるいは、一つの熱狂の終わりと、もう一つの熱狂の始まり。時には、一つの「終わり」が具体化する前に、時空や心の隙間をするりとくぐり抜けて、もう一つの「始まり」が忍び入ることもある。
 それにしても、私は、どうして「始まり」と「終わり」のことを考えていたのだろう。そうだ。最初は、時間の区切りというものは、「扉」であるよりも、むしろ「橋」なのではないかと、そんなことをぼんやりと想っていたのだった。
 「扉」が開いて、もう一つの世界に行く。そのようなメタファーもしばしば使われるけれども、私は、むしろ、一つの世界から一つの世界への移行を、「橋」でとらえることの方がしっくりと心にはまるような気がする。
 一つの世界が終わり、もうひとつの世界が始まる。その過渡をもたらす橋の上で感じる、ゆらぎ、足もとの覚束なさこそが一つの味わいであると思うのだ。
 どこにも属さない「リンボ」としての橋。生きている世界から死んでいる世界へと移行する時にも、そのような「あわい」の領域を通り過ぎるのではないかと思う。
 まだ経験したことはないけれども、いつかは経験するだろう。
 どこかを散歩していて、橋があると、胸が高まる。「吊り橋効果」はすべての橋において起こる。
 橋を渡るときには、少し前から、もうその気分になっている。「終わり」の前から、もう「始まり」の気配につつまれはじめるのだ。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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