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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第26回 [2017年某月某日 花束の並木道]

更新日:2017/03/08

 人は、人以外の何ものかになることがある。
 ある時、私は木々の間を歩きながら、そんなことを考えた。
 私が歩いていたのは、並木道であった。両側には木々が立ち並んでいたのだが、枝や葉が、通常ではあり得ないくらい迫ってきていて、親密で温かい空間をつくっていた。
 人は、人以外の何ものかになることがある。
 それは、植物かもしれないし、オブジェかもしれないし、あるいは「道」かもしれない。
 それに似たような感触を、ツルゲーネフの『初恋』を読んだ時に、確かに受け止めたのだった。だいぶ前なので記憶が曖昧だが、主人公が女性の姿を見て恋い焦がれるその瞬間、その女性は生身の人間ではなく、何か別のものになっていたように思う。
 それをプラトンの言う「イデア」というか、あるいは崇拝の対象たる「アイドル」というのか、私にはわからないし、恋する青年にもわからないことなのだと思うが、とにかくその場の記述に強い印象を受けたことは事実である。
 人が、人以外の何ものかになることがあるということは時に深刻な問題をはらむが、しかし味わい深いことで、そのような瞬間が周囲の人に訪れることで、私たちは何か別の世界の感触をつかむのだと思う。
 一瞬、エキゾティックな風が吹くように。恋だけのことではない。
 人は、人以外の何ものかになることがある。
 時には、周囲の人がいっせいに人間以外の何ものかになることがある。
 きっかけになるのは、満員電車のおしくらまんじゅうだったり、エレベーターに乗ろうと並ぶ列、あるいはスマートフォンをいじりながら歩く人々の群れだったりする。そのような光景に出会う度に、私は「同胞」たる人間という、普段は抽象的にしか捉えていない人々の存在を実感する。
 ふしぎな感触が、いつまでも肌のひりひりや火照りとして残るのだ。
 私は中学校や高校を訪れて、生徒たちに話をすることがある。大抵は体育館が会場である。脳をテーマに喋る一方、彼らの話も聞いて、愉しい時間を過ごす。
 帰る時になって、生徒たちの真ん中を通っていけと言われることが時々ある。その方が生徒たちもよろこぶと校長先生に言われたら、断ることなどできない。
 しかし、あれは恥ずかしいものである。中学生たちが、笑いながら、あるいは手をたたきながら、こっちを見ている。私は針のむしろに座ったようないたたまれない気持ちで、その間を抜けていく。時々握手を求めてくる子もいる。一人に握手すると、あっちからもこっちからも手が伸びてくる。うれしいような、恥ずかしいような、奇妙な気分である。
 ある日、さらにふしぎな仕掛けが用意されていた。会場となった体育館の入り口に向かって、生徒たちがアーチをつくった。両側から手を伸ばして、それを天蓋のようにして、その中をくぐっていけというのである。
 私は、消え入りたいくらいに恥ずかしかったが、それでも、少し身を屈めて、アーチの下を通っていった。歩いている間、ずっと、周囲が桜の花に包まれたような感覚があった。頬を赤く染めて、息を弾ませながらようやくアーチを抜けると、ほんとうにほっとした。ようやく、周囲の空気が動き出すような気がした。
 人は、人以外の何ものかになることがある。
 柔らかく動いていたものが固まり、逆に固まっていたものが動き出す。嗚呼(ああ)、人間という存在のなんと不思議なことよ。
 根本的な問題は、私たちが身体を持っているということだ。私たちの精神はふわふわとしていて、あちらこちらと漂うというのに、その精神が宿っている私たちの肉体は、ある定まった場所と時間を占めている。
 人が、人以外の何ものかになるというパラドックスが気になるのは、それが私たちという存在の本質に関わるからだろう。
 どうしても気になって、『初恋』の該当の箇所を読み返してみた。一人の少女が、崇拝者たる青年たちを周囲に立たせて、彼らの頭を花束で叩いているのだった。それを見て、主人公は恋に陥ってしまうのである。
 なぜ、このシーンが私の心を打ったのだろう。可憐な女が、花束で人の頭を叩くという、その絵の中に強く惹きつけられる何かを感じたのだろうか。なぜ、この場面を、並木道を歩きながら思い出し、そして、中学校の体育館で、生徒たちによって作られた手のアーチの下をくぐって歩くという体験を連想したのだろう。
 私の心の中では、どうやら、ツルゲーネフが描いた花束で人の頭を叩く少女と、手のアーチの下を歩く体験が、結びついてしまっている。「今、ここ」を生きることの逃げようのない事実とともに。
 私たちの心はふわふわしているが、身体はある場所を占めている。そのことの切なさ、愛しさが、『初恋』のあの場面では描かれていたのだと思う。そして、あの花束を持つ少女に至る並木道は、人生の至るところにある。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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