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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第22回 [2016年某月某日 人の道の行き帰り]

更新日:2017/01/11

 吉本隆明さんのご自宅をお訪ねして、何度かお話をうかがったことは、今となってはすっかり貴重な、そしてかけがえのない思い出になってしまった。
 とにかく、玄関を上がったところに水槽があって、そこに大きな金魚が泳いでいて、その近くで猫が眠っていた、というイメージが残っている。金魚と猫が、お互いに近くにいて、平和である、というのが、吉本さんというお人柄にぴったりな気がして、どこかで記憶がデフォルメしているのかもしれないけれども、私の中でもはや一つのアイコンとなって光っている。
 吉本さんにはいろいろなことをうかがったが、その中でも、親鸞(しんらん)が言ったという、行きと帰りのお話が忘れられない。吉本さんは、確か、こう話した。ある巡礼の親子が、行きにもの乞いに遭遇したから、施しをした。ところが、帰りには、またもの乞いがいたけれども、今度は何とはなしにそのような気持ちにはなれなくて、施しをしなかった。それでいいのだ、それが生きるということだと、親鸞さんはおっしゃったと、吉本さんは言うのである。
 その話をうかがったのは、吉本さんの家の、居心地の良い、しっとりとした雰囲気の居間だったと記憶している。
 私は衝撃を受けて、以来、時折、そのお話を思い返してみている。その話で、吉本さんは、「人の道」というのはいつも同じことをしなければいけない、というわけではない、ということを教えてくれていたようにも思えるし、生命というのは行き当たりばったりで、気まぐれで、しかし、そんないい加減なことでもいいのだ、ということを保証してくれているような気もする。
 そんな話をにっこりと笑いながらしていた吉本さんの面影が、なつかしい。
 気になるのは、「行き」と「帰り」のことである。どこへの旅路にせよ、「行き」と「帰り」では見える風景が異なる、ということは、私たちの誰もが経験することではないだろうか。
 たとえば、ある目的地に向かうその道は、何しろ、いろいろと想像するし、楽しみなこともあり、あれやこれやと、期待に胸をふくらませることもある。
 やがて、昂奮は到着によって、頂点を迎える。それまで想像していたり、期待していたに過ぎないことが、目の前に現実化して立ち上がる。それは、宇宙の創成と同じような感激を私たちに与えてくれる。
 しかし、すべての昂奮は、やがて終わりを告げる。清新さは、慣れと退屈へと変わっていく。精神の目はいつしか閉じる。宇宙を創った後に休まれたという聖書における神さまの記述は、つまりはそのようなことだったのではないか。
 帰り道は、基本的に、下り坂のように認識される。とぼとぼと、私たちは歩く。足に疲れもある。もう、魂は、休息のことを考え始めている。だから、行きと、帰りでは、見える風景が違う。行きに施しをしても、帰りにはもうしない、ということは確かにあるのだろう。
 施しをする、しないということは、自分自身の人生についての、態度でもあるように思う。
 たとえば、80歳まで生きた人の人生を、行きと帰りに分けてみよう。行きは、40歳まで。帰りは、40歳から。すると、行きと帰りで見える風景は、ずいぶんと違うようにも思える。
 行きは、何しろ元気である。新しい発見が、毎日のようにある。特に、人生を歩み始めてしばらくの間は、新鮮なことばかりである。そんな中、角を曲がる度に心をときめかす出会いがあり、自分を変えてしまうような成長がある。
 一方、帰りは、ずいぶんと心の目が煤けてきてしまう。目新しいことがないように感じてしまうし、出会いも種が尽きてくるように感じる。
 それでもなお、私たちは生き続ける。「惰性」という名のエンジンに、背中を押されながら。
 吉本さんのお話で、巡礼の親子が出会ったのは、実は彼ら自身なのではないかと思う。施しをするとは、つまり、その人の生のありさまに十分に関心を向け、慈しむことである。私たちは、いつしか、人生の帰り道で、世界の誰よりも大切な自分という存在に、十分な関心を抱かなくなってしまっているのではないか。
 本当は、素敵なこと、目新しいことがたくさんある自らの人生を、なんだかつまらないもの、平凡なものであると、思い込まされているのではないか。
 親鸞は、そのような、凡夫のあり方をやさしく受け止めつつ、しかし、そうではない人生のあり方、その可能性をも、示唆してくれているような気がする。
 そう考えると、あの日の吉本隆明さんは、ひょっとしたら、親鸞の生まれ変わりだったのかもしれない。
 いや、きっとそうなのだろう。
 お寺などにお参りする時も、行きよりも、帰りの方が難しいし、ほんとうは意義深いような気がする。油断して、ぼんやりと歩いているその間にこそ、私たちの人生にとって大切なことは深く潜行しているのであろう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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