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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第21回 [2016年11月某日 小林秀雄を追いかけた]

更新日:2016/12/28

 認知科学において重要な概念である「偶有性」は、概念として長い歴史を持っている。
 アンリ・ベルクソンの哲学においても、重要な意味を持った。そして、今、隆盛の人工知能も支える学習則において、本質的な役割を担っている。もっとも、偶有性の概念自体の含意は、人工知能の基盤となる機能的な領域を超えている。
 偶有性には、「偶然が必然になる」という意味合いがある。ここにこそ、私たちの胸を騒がせる甘美な可能性がある。偶有性こそが、生命の本質なのだ。
 私が私であるということは、もともとは偶然であるが、そうなってしまえば、必然でもある。理屈としては誰にでもわかるはずだが、それを直覚において悟る瞬間は、そう頻繁には訪れてくれない。やって来た時には、それは一種の僥倖(ぎょうこう)である。
 先日、私は、東京の丸の内を歩いていて、経験というものの意外な断面に撃たれた。一人の酔っぱらいが、通りをふらふら歩いていたのだ。
「酔っぱらい」といきなり紹介するのは、その紳士に対して失礼かもしれない。しかし、その人は、立派なスーツを着ながら、明らかに千鳥足で、丸の内のブランドストリートを歩いていたのだ。
 私は、その酔っぱらい紳士から、目が離せなくなってしまった。その佇まいに、尋常ならざる人品を感じたのだ。ふらふらと、今にも倒れそうになりながら、前傾姿勢で、しかし小走りで通りを行く初老のその人には、惹きつけて離さない魅力があった。
 通りは夕暮れで、仕事を終え、東京駅に急ぐ人たちで、それなりに混んでいた。その中を、酔っぱらい紳士は、世界を代表するブランドの店の前を通過しながら、今にも倒れそうで、しかし、ぎりぎりのところで安定を保っていて、つまりは命そのもののように、歩み続けていた。
 突然、私は奇妙な思いにとらわれた。
 あまりにも飛んでいるが、しかし、確信は限りなく強かった。
 あの人は、小林秀雄だ。
 小林秀雄を思い起こさせる、というのではない。あの人は、小林秀雄そのものだ。
 戦後の混乱期の中で、ホームから一升瓶を抱えて落ちて、九死に一生を得た小林秀雄。講演前には、何しろ恥ずかしがりだから、必ず一杯引っ掛けて上がったという小林秀雄。お酒を飲むと相手に絡んで、なかなか大変だったという小林秀雄。
 東京で飲んで、列車に乗って鎌倉に帰る、その道すがら、ふらふらと、今にも足をとられて倒れそうになりながら、しかし器用にバランスをとりながら歩いていく。まさに、あの酔っぱらい紳士のような姿で、小林秀雄は歩いていたに違いない。
 酔っぱらい紳士が歩く姿が、小林秀雄を思い起こさせる、というのではない。その人は、小林秀雄そのものだったのだ。私には、そうとしか思えなかった。
 偶有性とは、つまり、そういうことではないか。
 かつて、四国の人に聞いた話で、忘れられないことがある。お遍路さんは、最近でこそいろいろと整備されて、外国からもたくさん来る近代的な営みになったが、昔はそうではなかった。他所(よそ)で食い上げた人が、お遍路に出れば「接待」で取り敢えずは食えるからと、それを目当てに旅立つことも多かったのだという。
 当然、そのようなお遍路さんは、みすぼらしく、汚らしい格好をしていた。しかし、地元の方々は、丁重に扱った。なぜか。
 そのお遍路さんは、弘法大師だったからだ。その惨めなお遍路さんが、弘法大師を思い起こさせるというのではない。お遍路さんが、文字通り、弘法大師そのものだったのだ。
 いかに論理を超えていたとしても、偶有性とは、つまりそのようなことである。敢えて「信仰」という言葉を待つこともなく。
 話は丸の内に戻る。こみ上げるような懐かしさと、無限の敬慕。強い感情に突き動かされて、私は、ブランドストリートを行く酔っぱらい紳士をしばらく追った。しかし、やがて、その人は夕暮れの雑踏の中に、姿が見えなくなってしまった。
 列車に乗って鎌倉に向かったに違いない。ちゃんと目的の駅で降りられたかしら。
 それは、いつも不意打ちする。夕暮れに、見知らぬ街を歩いている時などに、偶有性の気配が最大になることがある。そんな時、私は、その街に暮らす人であることを確信してしまうのだ。
 生まれてから、私はずっとその街に生きてきた。その街で人と結びつき、生業(なりわい)を持ち、居を構えてきた。そのような確信のようなものが胸にわき上がって来る時、私は、ああ、今こそ旅している、と確信することができる。
 自分が自分であるということの確からしさなど、生命そのものの大きさに比べたら、何程のことであろう。揺らぐ時にしか、確かなものは確認できない。だからこそ、子どもは「高い高い」を喜ぶ。重力の魔に逆らって、偶有性の空を飛ぶ時にしか、私は私であることができない。
 そして、私はどこかで、あの丸の内の酔っぱらい紳士に二度と会えないであろうことを、知ってしまっているのだ。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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