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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第20回 [2016年某月某日 神田から秋葉原。畳みかけるようにそれは]

更新日:2016/12/14

 先日、東京の街を歩いていて、神田から、秋葉原方面に抜けようとしていた。
 学生の頃から、何度も通ったルート。曲がり角や裏道がいくつもあって、その細部も熟知しているから、そぞろ歩きの猫のように、「自動歩行」モードで、あっちへ、こっちへと、気ままに裏街を彷徨(さまよ)っていく。
 可能なルートはたくさんあるから、そのエリアを通ったのは、本当の偶然に過ぎなかった。
 真新しい印象の、きらびやかなビルがあった。その下には、歩く人をのびやかにさせるに十分な大きさの広場があり、そこに足を踏み入れた時、私の無意識は、すでに準備が出来ていたのであろう。
 看板が目に入って、そこに書かれていた文字が、一気に、私を昔につれていった。
「交通博物館」
 そうだ、ここに、昔、交通博物館があったんだっけ。
 すぐに思い出されたのは、蒸気機関車と、0系の、いわゆる「だんご鼻」の新幹線だった。この二つの車体は、確かに博物館を象徴していた。あと、山手線の車両なんかも、あったのではないか。鉄道関係のそんな展示をする博物館が、かつてこの場所にあった。
 もっとも、そんなに頻繁に訪れたわけではなかった。子どもの頃、親に連れられていったのが、強烈な記憶の「地層」となっていて、それ以来、大人になってからは、せいぜい二度くらいしか行っていなかったのではなかったか。
 ただ、神田のこの場所を通る度に、交通博物館の昔ながらの姿に心を慰撫(いぶ)され、自分の子どもの頃を思い出し、まだ若かった親の姿がよみがえり、時の流れというものの不思議さ、その中で展開する、私たちの命のかけがえのなさを再確認する、そんな一つの「鏡」になっていたように思う。
 しかし、ある時期から、通りながら見る交通博物館の姿が、次第に薄ぼんやりとしたものになり、いわゆる「老朽化」した施設となってしまい、それを一つの「味わい」として感じながらも、いつかは消えてしまう運命にあるのではないかということを、一種の諦念とともに、予感していたように思う。
 そして、ある時、交通博物館の移転のニュースを耳にした。新しい、もっと広い交通博物館になってよみがえるという。今の、大宮にあるのがそれではなかったか。いずれにせよ、これまでの交通博物館がなくなってしまうと知った。
 そのニュースが流れてから、一度だけ、平日の昼間に、名残を惜しむために交通博物館を訪れたように記憶している。それも、もう、何年前のことだったか、定かではなくなってしまった。
 以来、生活のパターンが変わったこともあって、そもそも、神田から秋葉原に抜ける、その界隈を通ることもあまりなくなってしまった。交通博物館があったその場所を通るのが一体何時以来なのか、それさえもわからなくなっている。その間も、街の発展は続き、秋葉原は電気街からいつしか「オタク」の聖地になり、メイドカフェなども林立した。物珍しい日本のサブカルチャーを求めて、外国からの観光客も、彷徨するようになったらしい。
 いずれにせよ、たくさんの水が、橋の下を流れた。そして、私は、偶然、かつて交通博物館があった場所を通りかかった。そして、何ともいえない感慨にとらわれた。
 私は、かつて、間違いなくこの場所にいた。今も、また、疑いようもなくここに立っている。しかし、その二つの時の間にある断絶の深さは、絶望的である。その絶望も深いが、その絶望の縁を、記憶の糸がやすやすと飛び越えることができるという事実も、また深い。その深度は、私たちの生命そのものと同じである。
 私たちの意識は、その時々に認知し、記憶できる以上のものを受け止める。この「オーバーフロー」こそが、私たちの体験を特徴づける顕著な性質である。
 かつて交通博物館があった場所に立つ私の経験も、また、一つのオーバーフローとなった。それが、幼き日、この場所を訪れた経験と、「記憶」という細い銀の糸でかろうじて結びついて、日常の中での、感情の海となり、そして波が立っていく。
 ありありと感じられる。あふれるからこそ、その中に浸ることができる。明示的に計算できないからこそ、私たちの生命そのものとなる。生々しい意識の流れが、時の流れとともに乾燥し、よじれて、銀の糸となる。そんな糸にかろうじてすがって、私たちは世界を理解可能なものとする。
 もし、記憶の銀の糸がなかったら、都市の景観は、一体、どのように映ってしまうのだろう。
 外国の都市など、一切の記憶の手がかりがない景観を前にすると、私たちの心からは、情緒の盛り土が消える。少なくとも、想像する中で、架空の過去を作るしかなくなってしまう。その味わいは独特のものであるが、子どもの頃から過ごした都市を歩く一種の「探偵仕事」に比べれば、やはり重層感に欠ける。
 かつて交通博物館のあった場所に立ち、打ち寄せる感情のオーバーフローの中で、おおよそそんなことを、私の無意識は考えていたのだろう。数日経って、こうやって文章に定着してみると、どうやらそのように思えてくる。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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