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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第17回 [2016年9月某日 都市と森のオマージュ]

更新日:2016/10/26

 大学の授業って、一体何なのだろうと、自分自身も学生たちに話をしながら時折考えることがある。
 高校までは、カリキュラムが比較的きちっと決まっていて、大学入試というプレッシャーの構造もあり、脱線したとしても、すぐにフェアウェイに戻るというような、そんな安定感があった。
 ところが、大学になると、学問が「オープン・エンド」(限りがないもの)になるから、極端なことを言えば、どんな話をしても、授業として成立してしまう。
 もちろん、ニュートン力学を学ぶとか、民法親族編をやるとか、そのようなある程度きちっとした体系が想定される場合は別であるが、限定がなければないほど、大学らしい、学問らしい、ということになるのだと思う。
 もっとも、最近は、大学も「就職予備校化」して、エビデンスがどうのこうのと、随分と世知辛くなっているようではあるが。
 私が学生の時に受けた授業で、印象に残っているものの一つは、西洋史の木村尚三郎先生の講義である。教養課程で、なんとなしに惹かれて、選択した。
 ご専門はフランス中世史だったように記憶しているのだが、ふらりと教室に現れて、90分の授業の間、ずっと「雑談」をされていた。それが、滅法面白かった。
 話題は現代社会批評にも及んで、電車に乗っていて、隣のつり革に長髪の青年が来たりすると、「しっ、あっちに行け!」と言いたくなる、というような、他愛もない話だったのだが、なぜか教室は爆笑の渦であった。
 木村先生自身は、額がとても広く、その上に白髪が印象的なヘアスタイルであったが、そのことと、「男の長髪嫌い」に関係があったのか、なかったのか、それはわからない。
 もちろん、ずっと社会漫談ばかりをされていたわけではなく、ヨーロッパの歴史の話もされた。中世フランスの王族ベリー公ジャン一世がつくらせたという『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(じとうしょ)』の話だけでも、2、3回は続いていたのではないかと思う。それくらい、強度と継続性のあるお話だった。背景には膨大な学問の裏付けがあったのだろう。
 強く心に残ったのが、「都市」の話であった。「都市の空気は自由にする」という古い格言は良く知られている。もともとは、身分に関する法的な考え方だが、都市は、多くの人にとって、封建の軛(くびき)から逃れる手段だった。中世ヨーロッパの人々にとって、都市がどんな存在だったのか、なぜ、都市の周りに城壁があったのか、という話を木村尚三郎さんはされたのである。
 極端なことを言えば、「都市」という「発明」がなかったら、ヨーロッパの精神はだいぶ変わっていたのではないか、文化も花開かなかったのではないか、そんなお話だったように思う。
 「都市の自由」は、現代に続く、人類の一大命題だと思う。私自身も今、東京という都市に住んで、その自由の空気を謳歌している。都市は自由でなければならないと思う。若者が都市にあこがれるのも当然だろう。逆に言えば、どこに住んでいても、「都市」に住んでいるのと同じ空気感が出せないものかと思う。インターネットや人工知能の研究の一つの課題だろう。
 木村尚三郎さんは、「都市の自由」を論ずる一方で、「森」について話された。ヨーロッパの人たちにとって、「森」は、一つの畏怖の対象であったと。
 今でこそ、人類は文明によって自然を克服し、逆に脅かす存在になってしまった。だからこそ、環境保護思想も必要になってきた。
 中世では、逆に、森は、「都市」という人間の営みの根拠地を常に脅かす存在であったと、木村さんはおっしゃっていた。シェークスピアの『マクベス』で、「バーナムの森」が迫ってくるのは、一つのメタファーであると。そんな話をされていた。教室に座って木村先生の話を聞く、二十歳に満たない私の横顔も懐かしい。あの時間は、一体、どこにいってしまったのだろう。
 最近、東京の大手町には「大手町の森」という森が出来ている。大変素晴らしい試みだと思う。
 ビルの横に、雑木林が人工的につくられたのである。先日歩いていると、虫の声が聞こえた。
 かつては、油断をすると人間の存在を脅かしていた「森」が、今は、人間の厚意、愛情によって、かろうじて大都会の片隅で息づいている。時の流れの不思議さを思う。
「大手町の森」は、すでに周辺の方々の憩いの場になっていて、横に設けられたベンチでは、よく、座って佇んでいる人を見かける。本を読んだり、ランチを食べたり、恋人同士で語らっているのも見る。
 私も、大手町付近を歩く時は、わざわざ少し遠回りして、「大手町の森」の横を抜けていく。心なしか、頬をなでる風がやさしい気配であるようだ。
 かつて、都市は森に囲まれた存在であったが、今や、森が都市に囲まれて息づくようになった。そんな人類の歴史の不思議さ、自然の営みの奥行きを感じながら、「大手町の森」の横を抜ける。そして、時々、木村尚三郎先生の面影を思い浮かべる。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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