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Nonfiction

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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第15回 [2016年某月某日 キリストの歩行]

更新日:2016/09/28

 ある役者さんをめぐって、一つの当たり役のせいで、他の役柄を含めて、その人の演技の多様性に人々の目が行かなくなってしまう、ということはしばしばあることである。
 例えば、英国のコメディアン、ローワン・アトキンソン。老若男女を問わず受ける『Mr.ビーン』があまりにもヒットしてしまったがために、そのイメージが強くなってしまった。他にも、いかにも渋く、通好みの歴史コメディ『ブラックアダー』のシリーズがあるが、こちらを知っている人はあまりいないだろう。
 同じく英国のコメディアン、ピーター・セラーズもそうだ。『ピンク・パンサー』シリーズの、クルーゾー警部役が有名になってしまったので、彼と言えばこれ、というくらいに定着している。もっとも、映画好きならば、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』で、セラーズが大統領、大佐、そしてストレンジラヴ博士の3役を演じていることを思い出すかもしれない。
 加えて、映画『チャンス』での名演を思い出す人は、少数派になってしまうのだろうか。セラーズが、心臓発作により54歳で亡くなる前の年に公開されたこの映画は、ナイーヴで世間知らずの庭師が、彼自身の思わせぶりな言葉と、周囲の勘違いを通して、あれよという間に幸運をつかみ、「出世」していってしまうというシュールなコメディである。ついには、政界の黒幕たちによって、次期大統領候補にまで擬せられてしまう。
 この映画のラストシーン、件(くだん)の庭師が、人々と離れて一人散歩している。池があるのだが、そこを気にせずに、すたすたと、水の上を歩いていく。しばらく行ったところで、彼が持っている傘を水の中に入れていくと、案に反して、柄のところまで入ってしまい、そのあたりは水深がかなりあることがわかる。
 この場面は、庭師が実はキリストの再来であることを示すという解釈がある。キリストには、水上を歩くという「奇跡」の伝承があるからだ。
 そもそも、水の上を歩く、ということには、一体どのような含意があるのだろう? 子どもの頃、聖書のこの記述について知って以来、折りに触れ、考えてきた。
 水の上を歩く、と言っても、それが「奇跡」であるためには、静まり返った水面でなければならないように思う。激しい流れの川や、波立つ海面では、その上を歩いても、私たちの心を動かす奇跡としての質に欠ける。
 また、歩行は、『チャンス』のラストシーンにおけるように、半ば無意識になされる、努力を伴わないものでなければならない。地面から一つながりで、いつの間にか水面になっており、そのことに本人が気づいていない、というくらいのさり気なさで、水上の歩行がなされなければならないのだ。
 忍者もまた、さまざまな工夫を凝らして、水面上を歩行するものだが、あの手この手を尽くした技巧の結果では、奇跡とは言えない。あくまでも「無作為」の結果でなければならない。キリストは、忍者であってはならないのだ。
 また、本人が、水上歩行が周囲に与えるインパクトについて、あまりにも意識的では、奇跡としての意味がない。マジシャンならば、ほらどうですか、この通りと手を広げてみせるところだろうが、キリストにはそのような動作はふさわしくない。キリストは、マジシャンではないのだ。
 このように考えると、キリストの水上の歩行を「奇跡」とならしめている要素は、案外複雑なものである。それは、意識と無意識の境界に関わる何かであり、生命の源としての水との絶妙な関係に基づいている。キリストは、水の中に受け入れられそうになりながらも、ぎりぎりのところで、その境界で漂う存在なのだ。だとすれば、その姿は、心のどこかで海に憧れつつもなお、陸地に生き続ける人間の象徴であろう。
 湖の畔を行くときなど、キリストについて考える。水上の歩行の奇跡に思いを馳せながら、ゆったりと歩くのが好きだ。いかにも、誰かが、その上を歩いてしまいそうな、そんな静謐(せいひつ)な水面が広がる日は、特に深い体験が刻まれる。
 以前、ウィスキーの取材でスコットランドのアイラ島を訪れた時、ボウモアの蒸留場の横で、朝、海面が完全な鏡面と化したことがあった。地元の人も驚いていた。おそらくはゼロに近い無風の条件の下、波が打ち寄せず、湾の水が静止に近い状態になることによって、そのような、稀な現象が生じたのだろう。
 その海面を眺めながら、キリストが歩く水面とは、本来、地上のすべてを映し出す「鏡」のことだったのだと、思い至った。
 近代的な鏡を手に入れる前の長い時間、水面は人類にとっての鏡だった。キリストが水面を歩くとは、つまりは、現世の映し鏡の上を歩くことなのである。だからこそ、そこには「奇跡」としての感情の呼び覚ましがあるのだろう。
 今日、私たちもまた、自らを映す鏡を無意識のうちに求めて、水辺をさまようのかもしれない。もちろん、そんな大げさな感慨は、無意識の底に巧みに隠されている。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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