謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。
熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。
(株)集英社
謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。
東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。
(株)集英社
読み物
第14回 [2016年某月某日 緑の沃野はゆったりと]
更新日:2016/09/14
少年時代、蝶を追いかけていた。
今思えば、私は、蝶を採集して、標本にするのがうれしい「コレクター」タイプではなく、どちらかと言えば、生きている蝶が飛んでいるのを見るのを好む、「行動観察」の志向を持っていたように思う。
今でも蝶は好きだが、採集することはない。ただ、蝶が飛び、吸蜜する、そのありさまを見ているだけで、満足するのである。
小学校の夏休みは、ほとんど、野外で蝶を求めて過ごした。
そのうちに、蝶の行動について、いくつかの「常識」のようなものが私の中で形成されていった。
蝶の飛び方、特にその速度は、環境によって異なる。好適な環境、たとえば緑が多かったり、花が咲いていたりというような場所では、蝶はゆったりと飛んでいる。一方、コンクリートや、池の上など、蝶にとって好適とは言えない環境にたまたま来てしまったような場合には、蝶は速く飛ぶ。あたかも、一刻も早く、その環境を逃れたいと思っているかのように。
好ましい環境ではゆっくり飛び、好ましくない環境では速く飛ぶという蝶の行動は、合理的である。彼らは、必ずしも、環境の地図を認識しているわけではない。でたらめな方向に飛んだとしても、いわゆる「ランダムウォーク」(でたらめ歩行)の理論により、上記の行動から、好ましい環境に出会う確率を上げることができる。
飛行速度の「緩急自在」は、生きものとしての蝶の「知恵」の核心にあるものと、子どもの頃、野外で、身体に染み込ませていた。そして、そのような認識は、次第に、メタファーとして、人生の中に染みこんでいった。
人間は飛ばない。人間は歩く。歩く時に、緩急自在であれば良い。
自分にとって好適な環境にいる時には、ゆったりと歩けば良い。そうでない場合は、速く歩けばいい。そのように行動することで、人生全体を見渡す「地図」を手にしていなかったとしても、結果として、自分にふさわしい場所にたどり着く確率を上げることができる。
緑の中では、ゆっくり歩め。
先日、南ドイツのバイロイトを訪れた時も、そんなことを考えていた。
バイロイトは、作曲家リヒャルト・ワグナーの作品が上演される音楽祭が開かれる街である。
『ニーベルングの指環』4部作を聴いた。『ラインの黄金』、『ワルキューレ』、『ジークフリート』、『神々の黄昏』。休演日を含んで、6日間バイロイトに滞在しなければ、サイクルを巡ることができない。
上演は、比較的短い『ラインの黄金』を除いて、16時から始まる。それから、休憩を含めて、22時まで。すべての生活サイクルは、『ニーベルングの指環』を聴くその時間のために、準備され、そして経過していく。
朝起きて、食事をして、それからバイロイトの郊外を走る。それが、私の日課だった。
バイロイトはもともと、小さな街で、少し外に行くと、緑野が広がる。
その緑野の中を、ゆったりとした気持ちで走っていくことは、実に、精神の静養のために良かった。濃密なワグナーの音楽とのコントラストにおいても、特筆すべき体験であった。
そもそも、私が生涯で初めてきちんと観たオペラは、カール・マリア・フォン・ウェーバーの『魔弾の射手』である。しかも、特殊な出会いをした。高校の文化祭で、自分たちで上演したのである。私は、演出のうち、照明を担当した。
このオペラの中に、主人公マックスが絶望して歌う、有名なアリアがある。緊迫する曲想の中で、ゆったりとしたテンポになるのが、マックスが、緑野の中を歩く回想の部分である。
Durch die Wäder, durch die Auen...
(森を抜けて、緑野を抜けて……)
バイロイト郊外。私は、まさに、この「Auen」(緑野)という形容がぴったりの、川沿いのやや低湿の緑地の中を、走っていた。
走っているうちにふと、冒頭に述べた、蝶の飛行の「緩急自在」のことを思い出した。
私は立ち止まった。両手を空に上げて、深呼吸して息を整え、そして、ゆったりと、周囲の緑野を見回してみた。
人間は、快適な環境では、ゆったりと歩くことができる。
このモットーが、身体に染みこんでいった。
その瞬間、私は幸せだった。
人生、こうでなければならない。
しかし、この話は、ここで終わりではない。
バイロイトの郊外の緑野での、至福の「ゆったり」をつかむためには、私は、多くのことを通り抜けなければならなかった。
日常の仕事、さまざまな締め切り、一週間日本を留守にすることに伴う、さまざまな配慮、手続き、連絡。
そのような行動の過程を、私は、きっと、コンクリートの上を飛ぶ蝶のように、速いテンポで、通りすぎていたに違いない。
緑野の休息を得るためには、鉄とコンクリートの中の「競歩」を経由しなければならない。
緑野の安らぎの中だけに、人生の真実があるのではない。
歩行の「緩急自在」こそが、人生における、唯一の、依って立つべきモットーなのだ。
だからこそ、人生は、音楽に似ている。

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)
1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。