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Nonfiction

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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第12回 [某月某日 樹々の間を飛び移るように]

更新日:2016/08/10

 私は、歩くということは、一つの「芸術」だと思っている。
 つまり、足を前に進める、というその運動の中に体験することが、感覚を通した一種の芸術のようなものだと感じているのである。
 その際、五感を刺激する要素はたくさんあるから、歩行は、一種の「総合芸術」のようなものになる。
 通りを歩く、という経験の大部分は、意識の中にさえ上らないで、流れ去っていく。
 ただ、私たちの感情は、そのあふれ出しの「結果」を、確かにとらえている。視野の中にあるさまざまなものが、必ずしも認知されず、記憶にも残らないままに、私たちの心を形づくり、整え、磨いていくのである。
 その意味では、通りは、一つの「美術館」でもある。額装された絵こそなくても、歩くことで経験が生まれる。そのリズムが、生命の中に刻まれる。
 二度と戻らぬその時間が、空間の中で展開され、深まっていくその間合いこそが、歩くということである。
 そんな、歩くという体験の中に、私の場合、色濃く「街路樹」という存在がある。
 もともと、人間たちの祖先は樹々の間を歩いていた。森の中を抜け、樹々の気配を感じ、移動し続けた。
 街路樹は、そのような「太古の森」の空気を、現代によみがえらせる。そして、通りに街路樹が並ぶ、その空間性は、その街に住む人々の精神を醸成し、知らずしらずのうちに、文化のあり方まで、規定していくのかもしれない。
 それも、当然のことだろう。もともと、森は、すべてのものを育む存在であったのだから。
 ドイツの首都、ベルリンにある大通り、「ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden、直訳すると「菩提樹の下」)」のことを知ったのは、ご多分に漏れず森鴎外(「鴎」の字は、正しくはメ=品)の『舞姫』を通してだった。もっとも、鴎外はこの作品の中で、この有名な通りを「ウンテル、デン、リンデン」と表記しているけれども。
 菩提樹が並ぶ、大通り。『舞姫』を読んで思い浮かべたそのありさまは、やはり、生まれ育った日本の通りを投影したものだったのかもしれない。
 ドイツは、偉大な田舎の集合体だとしばしば言われる。東西分裂時代に西ドイツの首都だった「ボン」は、政治の中心でありながら同時に田舎であると、半ば賞賛を込めて評されていた。すべてが集まる大都会はなく、こぢんまりとした街が分散して存在するのがドイツという国家の特徴であると、噂には聞いていた。
 それでも、東西ドイツ統一後首都となったベルリンは、古来、政治、経済、文化の中心であり、『舞姫』にもすでに描かれているように、退廃的な気配もあるようであった。さすがに、この都市ばかりは、「偉大な田舎」という形容とは一線を画した景観を呈しているのだろうと、思い込んでいた。
 実際に、ベルリンの街を歩いてみるまでは。
 私の散歩は、ベルリン・フィルの本拠地である、フィルハーモニーのあたりから始まった。すぐ近くに、広大な森が広がっている。
 そこから中心部に向かって広がっているビル街は、さすがに大都会の喧騒を感じさせるものの、どこかのんびりと、そして広々としている。
 もっとも強い印象を受けたのは、ベルリン中央駅から国会議事堂あたりにかけての景観だった。
 茫然と、当惑するくらいの大きさの緑地が広がっている。緑の中に、スケールの大きな建物が並ぶその光景は、まるで現代アートのインスタレーションのようであり、およそ、「首都」、しかもその核心というラベルから連想されるイメージとは一線を画していた。地上に現れた、一つの新しい「元素」と言っても良いほどの斬新さがあった。
 そして、ウンター・デン・リンデン通り。
 確かに、菩提樹が並んでいた。その下を歩いていくことは、心愉しい経験であった。しかし、想像していたのとは、何かが違っていた。歩行体験は、すべてが身体から遠く、隙間があり、呼吸の自由が、ゆるやかなリズムとなって私の命をのびやかにした。
 森鴎外が歩いたのは、この「ウンテル、デン、リンデン」だったのだと納得した。小説世界が、目の前の風景と結びついた。
 似たような当惑を、サンクト・ペテルブルクの街を歩いていて感じたことがある。ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで想像していた、ラスコーリニコフが歩くあの「強迫的」街並みとはかけ離れた、あっけらかんと広い空間が、そこにはあったのだ。
 ヨーロッパには、「都市は自由にする」という格言がある。私は、ベルリンのウンター・デン・リンデンを歩きながら、そのことを思い出していた。
「自由」は、東京の新宿歌舞伎町ゴールデン街にもあるかもしれぬ。しかし、その「自由」の内実は、おそらく、微妙に違う。通じるものがあるかもしれないが、少しずれている。
 そのずれを修正して、人間にとっての普遍の、広々とした心の場所に向かうための縁(えにし)のようなものが、街路樹にはあるのかなと思う。
 ウンター・デン・リンデンでも、東京の丸の内でも、街路樹は同じ生命の奔放さを宿している。樹木は、人為によってそこに植えられながら、人為を超えている。
 だからこそ、私は、歩きながら、時々、まるで助けを求めるかのように、通りに並んだ樹々に、目をやるのだろう。私の魂は樹木によって救われる。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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