読み物
第118回 [2020年12月某日 システムという巨壁]
更新日:2021/01/13
私は、2006年の12月30日からユーチューブの自分のアカウントを持っていて、ここのところ、ほぼ毎日、動画を投稿している。とは言っても、自分では「底辺ユーチューバー」だと思っていて、とても人気アカウントのような再生数やチャンネル登録数はない。
別に数を追っているわけではないから、それでもいいとずっと思っていたし、今でも思っている。自分の伝えたいことを話すことができればいい。
先日、仕事の合間に少し暇になって、ふと、ユーチューブの再生数はどう決まるのかと少し検索してみた。それから、自分のチャンネルの普段はあまり見ない統計数字を見てみた。その結果、愕然とする「気づき」があった。
まず、再生数を決める上で最も重要なのは、ユーチューブのシステムの「アルゴリズム」が各チャンネルや動画をどのように扱うかということらしい。その「最適化」を図るためのさまざまな「テクニック」が書かれていたが、私は「そうなのか!」とチャンネル開設以来14年、初めての驚きをもって読んだ。
それから、自分のチャンネルの動画が、どのようなルートで再生されているのかのデータを初めて見てみた(私は科学者だから、本来はそういうデータはもっと早く精査すべきなのだろうけれども、ぼんやり生きているところも多いのでこうなる)。すると、私が自分の動画を見る「主要な」ルートだとずっと信じていたツイッターでの告知からたどって再生する人は、むしろ少数派であるという驚くべき事実を知った。大多数の人は、私のチャンネルに登録しているか、あるいはユーチューブの「推奨動画」からアクセスしていたのである。
ユーチューブが、ツイッターなどの他のソーシャルメディアから独立した、閉じた世界を作っているということは以前から時々耳にしていた。しかし、だいたい数分くらいの間に知った、上のような事実から、私はその噂が本当で、「世の中は実はそのようにできている」ということを初めて知ったのだった。
ユーチューブは一つの「独立国」のようなもので、そこで「システム」が個々のチャンネルや動画をどう扱うかが大勢を決めてしまうのである。
これだけのことならば、売れない「底辺ユーチューバー」が自分のことを反省したというだけで終わるのだけれども、私はこの気づきからさらに現代における個人とネットワークの痛切な「身体性」のようなものに思い至らざるを得なかった。
コンテンツの人気が出るかどうか、その質が評価されるかどうかは、その内容次第だというナイーヴな思い込みがある。小林秀雄も、講演で、「若いときはすぐれた人は世に出るものと思っていた」という意味のことを言っているが、私自身もそんな風に信じているところがある。
ところが、実際にはそうでもないのではないか。ある作品、表現の「質」がどうであるかという次元の話があり、一方でそれがどのように流通するかという問題がある。流通を決める「システム」側には、独自の論理、アルゴリズムがある。賢い人はそれを「ハック」する。
人間の社会というものは、一つひとつのコンテンツとじっくり向き合うようにはできていない。規模の問題があるし、経済の要請もある。その結果、ユーチューブのアルゴリズムが支配しているように、個々の表現者の運命も、作品の実質ではなく、システム側の論理が決めるところがある。
私の手元には、読売新聞文化部記者の鵜飼哲夫さんが編纂した『芥川賞候補傑作選』という本がある。その鑑識眼を心から尊敬する鵜飼さんが選んだ作品群だから、面白いに決まっているけれども、受賞には至らなかったこれらの作品が受賞作と同じ注目を集めることはおそらくはないだろう。
文学の価値が、一つひとつの作品の質に即して決まるというのはおそらくナイーヴな信仰で、実際には文学のシステムの側のアルゴリズム、動作でほとんどが決まってしまう。ユーチューブと同じだなと思う。
もちろん、時には例外もある。ピコ太郎さんの「PPAP」はユーチューブのアルゴリズムの壁を突き破って世界的なヒットとなった。芥川賞もすぐれた作品が受けるケースの方が多いだろう。しかし、個々の資質、クオリティとシステムの動作の間に原理的にずれがあることには変わりがない。
個人の前に立ちはだかる「システムの壁」。話を広げれば、一人ひとりの学びの実質と、「出身大学」の知名度、偏差値、そしてその後の就職などにおける扱いの違いといったあたりにもこのような壁はあるだろうし、男女差別、国籍差別、年齢差別にも同質の構造がある。
つまりは、一人ひとりの集合体としてのコミュニティという以上に、社会やネットワークの側に固有の生理や筋道があることが問題であり事実なのである。それは悪ではなくただ事態である。私たちは向き合わなくてはならない。
一人ひとりの魂の打ち震えるリアリティなど、システムの側から見れば熱揺動、ノイズに過ぎない。私たちが「システムの壁」の前で感じる頼りなさは、多細胞生物の一つひとつの細胞の無力感ときっと通じている。
そして、宇宙はそのようにできている。

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)
1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。