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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第11回 [2016年6月某日 赤土の泥道を、どうしようもなく歩いた]

更新日:2016/07/27

 南米、イグアスの滝に行った。
 生まれて初めてである。
 ノックアウトされた。とりわけ、一番「奥」にある、通称「悪魔の喉笛」と呼ばれる滝が、言語を絶していた。
 滝幅が4キロもあるイグアスの滝だが、手前側の滝には、ボートで近づくことができる。私自身も、「カメラも靴も全部しまえ」と注意された上で、それでもびしょ濡れになった。バケツをひっくり返す、という生易しい形容では済まないほどの、強烈な水だった。
 一方、悪魔の喉笛に近づくボート・ツアーは存在しないのだという。水の勢いがあまりにも凄まじすぎて、危険なのだそうだ。
 国立公園の中にあるメインの駅から、トコトコとゆっくり走る列車に乗っていく。降りた場所から、幅広の川の上に渡された橋を渡る。15分ほど歩くと、悪魔の喉笛に到着する。
 悪魔の喉笛に近づく橋は、のどかである。親子連れや、団体客、恋人たちがゆったりと歩いている。季節柄なのか、地元のアルゼンチンの人たちが多く、大声のスペイン語会話が飛び交っている。
 前方に水煙が立ってくると、ああ、あのあたりなのだなと思う。人々の気配が、ちょっと変わってくる。
 やがて、その姿を現す悪魔の喉笛。前に立つと、絶句するしかない。
 圧倒的な水量。すべてを巻き込んで流れていく、その形質運動の超越性。うねり、湧き出し、常に変化する。生成と破壊の、永遠とも思える繰り返し。映画『惑星ソラリス』で、意識に呼応して万物を生み出す、神秘の海の、あの水の表情を思い出した。「滝」という概念を超えた、ある種の「実在」であった。
 もともとは音の形容のようだが、「悪魔の喉笛」という名称を考えた古の人のセンスは、なかなかのものだと思う。
 さて、私自身の小さなドラマは、ここから始まる。
 イグアス滞在の時間も、だんだんと減ってきて、さて、どうしようと思った時に、なぜか、猛然と、もう一度だけ、悪魔の喉笛が見たくなった。
 タクシーの予約の時間があり、頭の中で計算して見ると、どうやら、急いで行って帰ってきて、ぎりぎりのようだ。
 悪魔の喉笛へ渡る橋の出発点には、先に書いたように列車もあるが、運行の時刻がどうもはっきりしない。そして、お客さんが多い時には、乗り切れないこともある。
 折しも、週末。人がかなり出ていた。おそらく、うまく来ても、次の列車、ということになってしまうだろう。
 鉄路に沿って、歩行者用の道もある。赤土がむき出しになっている。ところどころ水たまりもあり、かなり歩きにくい。
 さて、どうしよう。しばらく迷ったが、悪魔の誘いには勝てない。えいやっと、意を決して、歩き始めた。
 カップルが、前をゆったりと歩いている。追い越していく時に、明らかに、「なぜあんなに急いで」と思っているのが感じられた。
 二人が見えなくなったあたりから、走りだした。びちゃびちゃと水がはねて、靴やズボンが汚れる。それでも、どれくらいで着くのか、はっきりしない。どうも、間に合わないような気がする。
 そもそも、もう一度、あの凄まじい水の流れを見て、何がどうなると言うのだろう。決して、美しいわけではない。ただ、有無を言わせぬ現象がそこにあるだけのことである。
 泥道を走りながら、考える。
 どうも、私は、悪魔に魅入られたらしい。
 人生には、何故かは知らないが、ある文脈に追い込まれて、自分でもどうしようもないと思っているのに、愚かな行動を続けなければならない、そんなことがある。「もう一度悪魔の喉笛を」という思いつきに囚われたその時の私は、まさにそれだったのだろう。
 結局、ようやく橋が始まるその場所に着いた時には、どう考えても間に合うはずがない、ということが明確になった。
 これから、家族連れでにぎわう橋を歩いて、悪魔の喉笛に到着して、そこで一分だけいたとする。それから、走って戻ったとしても、タクシーの時刻を大幅に過ぎる。どうやら、赤土の泥道で、思いがけず手間どったらしい。
 仕方がない。
 引き返すことにした。
 とぼとぼと歩き始めた時、「あっ」とひらめくことがあった。
 それから、一瞬立ち止まり、横を流れる広々とした川の、その方角に向かって、目を閉じ、手を合わせた。
「遥拝(ようはい)」
 この、人類のさまざまな文化で見られる知恵が、どのような機微から生まれたのか、その実感が、人生の具体的な軌跡の中で、自分に訪れた、そんな瞬間だった。
 不思議な感覚だった。
 帰りながら、すべての歩行に、無駄はないのだということを考えた。何かに巻き込まれ、あがきながらも流され、そこで曲がり、穿(うが)ち、息づくことの中から立ち上がる、ある確かな何か。
 赤土の泥が続く道は、来る時の急ぎ足とは全く別の表情で、私の前に続いていた。
 悪魔の喉笛は、右の水面の、そのまたあちら側にあるはずだ。
 やがて、向こうから、例のカップルがやってきた。
 私は、ちょっとはにかんで、「オラ!」と小声で挨拶し、それから、また歩き続けた。
 呼吸が、少しだけのびやかになったような気がした。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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