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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第104回 [2020年5月某日 ホモ・センチエンス]

更新日:2020/06/10

 人工知能の能力はどんどん発達して行っていて、「知性」に関していえば、人間は簡単に凌駕されそうである。
 記憶力や計算能力はもちろんのこと、分析したり、概念形成をしたりする能力においても、人間は人工知能にかなわないという日が近そうだ。
 そんな中、人間の存在意義は何なのか、仕事が奪われるとか、そのような意味ではないところで問われる日が近づいているような気がする。
 人間は「ホモ・サピエンス」(Homo sapiens、賢い人間)という学名を自らにつけたくらいだから、「知性」こそが自身を定義する大切なポイントと思っていることは確かなようだ。
 しかし、その「賢さ」の多くの顕れにおいて、人間は人工知能に凌駕され、そのアイデンティティを失い始めている。だとしたら、人間は、自分たちの存在のユニークな意義をどこに追い求めればいいのだろう?
 アメリカの物理学者、マックス・テグマークは、その著書『LIFE 3.0――人工知能時代に人間であるということ』の中で、「ホモ・サピエンス」ではなく、「ホモ・センチエンス」(Homo sentiens、知覚する人間)として人間存在をとらえる方が良いのではないかという提案をしている。
 賢いこと、知性があるということよりも、感じ、体験する存在であるということの方が、これからの時代における機械と比較しての人間のユニークな価値に結びつくとテグマークは考えているのだ。
 確かに、人間が人間であることの歓びや生きることの意義は、その多くが、自分が「感じる存在であること」、「経験する存在であること」から生まれている。そして、人間が「ホモ・センチエンス」であることは、「知性」そのものについて考える時にも、重要な意味を持ってくる。
 イギリスの数理物理学者、ロジャー・ペンローズは、1989年に原著が出版され、その当時の人工知能研究を徹底的に批判した著書『皇帝の新しい心』の中で、「理解」(understanding)することを人間の知性の中心に据えた。
 そして、ペンローズは、「理解」することは「覚醒」(awareness)を要求し、「覚醒」のためには「意識」(consciousness)が必要であると書いた。(ペンローズの人工知能研究に対する厳しい批判は、そのまま、現在の人工知能研究にも当てはまる。)
 ペンローズが、「知性」の本質を「理解」であるとしたことには、「ホモ・センチエンス」としての人間にとって、重要な洞察が含まれているように思われる。
私たちは、何かを「理解」したと感じなければ、本当の意味でその問題を解決したことにはならないという直観を持っている。
「理解」したという感覚は、私たちの意識の中で、ある「クオリア」として経験される。それは、脳のさまざまな回路にわたる情報処理で、その対象が自分のものになった、腑に落ちたという身体感覚を伴う「納得」に至ったということである。
「理解」が生まれなければ、どれほど知識を積み上げても、計算をしても、論理を積み上げてもどこか虚しい。それは、雑多な「知」の集積になってしまう。
「理解」した時に、初めて、自分にとって「持ち運び」ができる「叡智」となってくれる。ペンローズは、車椅子の天才物理学者、スティーヴン・ホーキングと一緒に「アインシュタインの一般相対性理論で記述される時空には必然的に(ブラックホールのような)特異点が存在する」という定理を証明するなどのすぐれた業績を上げてきたが、そのような自身の思索の経験から、「理解」こそが大切だという結論に達しているのだろう。
 人工知能はどんどん発達し、その客観的に見たパフォーマンスは人間に追いつき、あるいは凌駕しようとしている。しかし、「理解」という点においては、果たしてどうだろうか。
 囲碁、将棋、チェスでは、人工知能は人間を遥かに超える力を持つに至っているが、果たしてそこには「理解」は伴うのか。
 かつて、羽生善治は、私との対談の中で、「将棋の神さまがもう少しで見えるような感じがしたことがある」と告白したが、将棋に生涯を捧げてきた羽生のような棋士が「ホモ・センチエンス」として体験することを、人工知能もまた体験していると言えるのだろうか。
「ホモ・センチエンス」としての人間の矜持は、ひょっとしたら、最後は「芸術」によって担保されるのではないかとも思われる。
「知性」の本質としての「理解」は、細部だけでなく全体、部分の関係性、全体のバランス、すべてを貫くモチーフなどを把握することで立ち上がるが、これは、すぐれた芸術作品に人間が向き合う時に必要となる認知要素ではないだろうか。
 仮に、将来、人工知能が芸術作品を生み出したとする。絵画であれ、音楽であれ、文学であれ、それに触れた人間が感動したとして、そこにはある種の虚しさがないだろうか。
 すぐれた芸術作品を生み出すために苦闘する芸術家の魂、そこには「ホモ・センチエンス」としての生きる切なさ、止むに止まれぬ魂の衝動があるけれども、そのようなものが(必ずしも)ない人工知能による芸術作品の制作過程そのものには、砂を噛むような味気なさがあるのではないだろうか。
 たとえ、生み出された作品が、「結果として」人間を感動させたとしても、それは、偶然の事故のような意味しか持たないようにも思われる。
 単なる客観的なふるまいではなく、それに伴う経験というものを命題としてとらえた時、「ホモ・センチエンス」としての人間にとって、現状のアプローチでの人工知能には、原理的な限界があるように思えてくる。
 経験においては、人工知能は人間には遠く及ばない。そのような認識は、私たちをほっとさせる。では、人間には何ができるのか、これから何が求められるのかを考えると、そこで問題になるのは、人工知能のような外部の「手助け」とは関係のない、「私」自身の苦闘であり努力であるように思われてくる。
 結局は、「ホモ・センチエンス」としての「人間」そのものに戻ってくるのだ。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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