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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第6回 [2016年4月某日 花下逍遙、否、ヨーヨー]

更新日:2016/05/11

 歩く、ということで私がしばしば思い出すのは、アメリカ生まれの作家、ビル・ブライソン(Bill Bryson)のA Walk in the Woods(邦訳『ビル・ブライソンの究極のアウトドア体験——北米アパラチア自然歩道を行く』仙名紀訳、中央公論新社)というエッセイである。
 ビル・ブライソンの名前は、もともと、The Mother Tongue: English and How it Got that Way(邦訳『英語のすべて——ことば この不可思議にして魅力ある世界』小川繁司訳、研究社出版)あたりから知ったのだけれども、ちょっとふとっちょで(これはあくまでもイメージで、本当に体重が多いかどうかは知りません)、ユーモアに満ちたこの作家を、いつしか愛読するようになった。
 ちなみに、英語の本は、基本的に私は原語で読む。すぐれた翻訳は、確かに、それ自体一つの文化だと思う。一方で、英語という言葉の森を歩くのも、私は好きだ。英語には、英語だけのクオリア(質感)がある。
 以下では、A Walk in the Woodsを、原題に近い『森を歩く』という名前で仮に呼ぶことにする。
 『森を歩く』を読んだのはしばらく前で、詳細は曖昧なところもあるのだけれども、とにかく印象に残っているのは、「アパラチア自然歩道」が、距離が長く、また危険も多いということである。
 アメリカ東部を縦走するこの自然歩道、なんと全長が約2200マイル(3500キロメートル)。森の中を行き、山を越え、川を渡って進む。この全行程を歩く人が、毎年千人単位でいるというから、驚きだ。しかも、往復することもあり、そのような行為を「ヨーヨー」と言うのだという。
 『森を歩く』の作品としての魅力は、何と言っても、このワイルドな自然歩道を歩くのが、筋肉ムキムキの「アウトドア派」ではなく、中年太りで、少しくたびれた作家と、それ以上に運動不足で、根性もない体重過多の男だという意外性、そして、そこから生まれる化学反応の中にある。
 パートナーとなって歩き始めた男は、リュックの中に役立たずのものをたくさん入れて来る。そのことに気づいて、ビル・ブライソンは、茫然とする。最初からこんなことで、果たして踏破できるのか。読者は心配になるが、この「凸凹コンビ」が「アパラチア自然歩道」をなんとか歩き切ってしまうのだから、人生は面白い。そして、人間は計り知れない。
 アパラチア自然歩道の何が危険なのかと言えば、なんといっても「熊」との遭遇である。熊に出くわしたらどうするか、どうやって逃げるか、といった思惑が、歩いている時の作者の頭のかなりの部分を占めることになる。そのあたりの臨場感あふれる記述が、読者をぐいぐい引っ張っていく。
『森を歩く』に表れている著者の態度は、人生へとつながる。例えば、ユーモアのセンス。人生には、いろいろと思うように行かないこととか、失敗すること、トホホと思うようなことがある。そのかなりの部分は、自身の情けなさに起因している。立派でも、かっこよくもない自分。そんな自己を見つめるという態度が、「歩く人」にはそもそも必要なのではないかと思う。
 ニーチェは、『悦ばしき知識』の導入部において、「悲劇の時代は終わり、これからは喜劇の時代になる」と書いた。思春期にこの文章を読んで、非常に感銘を受けた。私が今も歩き続けているのは、そのようなニーチェの時代認識と関係しているとさえ思う。
 つまり、歩くということは、人生における喜劇的程度の、一つの表現だということだ。

 歩いている間、悲劇的に進むよりは、喜劇的に道をたどる方が、よほど良い。自分の不幸にひたるナルシシズムよりも、自分の「ありのまま」を外から見て、いわば「切り離し」、「突き放し」て、そして笑うくらいの方がいい。歩くということは、そのような生に対する向き合いかたと響き合う。
 歩くということ自体が、一つの喜劇的「態度」である。目的地に向かって、しゃかりきに、一番効率よく進む、というのではない。むしろ、過程を慈しむ。歩くこと自体が、目的となる。それは、人生の「今、ここ」を愉しむという叡智につながる。

 喜劇的文脈における「歩く」は、必ずしも、身体運動としての「歩く」に限らない。たとえば、内田百間(うちだひゃっけん、「間」は正しくは門構えに月)の『阿房列車』は、列車に乗りはするが、一つの「歩く」である。
 東京と大阪の間を往復する(「ヨーヨー」する)という、たったそれだけのことを、何の意味もなく、また目的もなくこなす内田百間。その時、作家は、間違いなく人生の達人であるが、真面目な顔をした道学者としてそうなのではない。
 歩くという行為には、根本的に、どこか、躁的な狂気が潜んでいる。スポーツとしてのウォーキングからは、そのような要素は排除されているが、ビル・ブライソンはスポーツとして「アパラチア自然歩道」を歩いたのではない。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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