集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更

  • Facebook
  • Twitter

文字サイズを変更

Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第5回 [某月某日 際(きわ)を選んで歩く]

更新日:2016/04/27

 私には、歩くなら、「際」でこそ、と思っているところがある。
 二つの世界の間で、移ろいゆくところ、半ばするところが、どうも好きなようなのである。
 もともと、風が吹いているのがしっくり来る。歩くことで、自分自身の風を起こすことができると思っている。そして、二つの「領域」の間の「際」でこそ、素敵な風が吹く、と思うのである。
 一つの場所に、どっしりと落ち着いているよりは、揺れ動くことが好きである。芝生があったら、その真中よりも、道との際を歩く傾向がある。物理的な場所ばかりではない。状況としても「間」が好きだ。パーティーでは、室内にずっといるのは耐えられない。外に出て、夜風に吹かれ、それから元に戻る。だから、どうしてもふらふらする。
 ある時、養老孟司さんと、二人で夜更かししたことがあった。
 養老さんが、ぼそっと言った。
「茂木君は、お酒は、飲むの?」
「はい、時折」
「一人でも飲む?」
「いいえ。あまり」
「そうか。じゃあ、お酒自体が好きなんじゃないんだね。他人と飲む、雰囲気が好きなのであって」
「そういうものですか?」
「そうだよ。お酒が好きな人は、たとえ一人でも、夜、部屋の中で、段ボールの中に膝を抱えていようが何だろうが、飲むんだよ」
 それじゃあ、確かに、私は、お酒自体が好きなのではないのかもしれないと思った。
 養老さんは、しばらく黙った。養老さんとこうやってお酒を飲むのは素敵だな、と思いながら杯を傾けていると、養老さんは、突然言った。
「歩くのなら、塀の上だよ」
「そうですか」
「しかし、塀の向こうに落ちちゃダメだよ。塀のこちら側も、つまらない。塀の上を歩くんじゃないと、人生はダメだ」
 そう言ってから、養老さんは、煙草をふっと吹かした。
 煙が空気の中をくるくる回りながら上がっていった。
 私は、ただ、何だかわからないけど、ありがたかった。
 その夜からしばらくして、東京の街を歩きながら、角を曲がった時に、私は、思った。
 実際、養老さんの言う通りだ。
 私は、きっと、お酒そのものが好きなのではないんだ。お酒の味が、とことんまで身体に合う、というのではないのだ。
 少し歩いてから、また考えた。
「塀の上を歩く」ことが、確かに大切である。しかし、塀の上を歩くのは、なかなか難しい。
 ちょうどその上を歩いていると思っていても、つい、どちらかに偏ってしまう。ふらふら、倒れそうになってしまって、おっとっとと体勢を立て直そうとしたりする。風が吹いてくる時もある。追い風とは限らない。横殴りの雨が降ることもある。
 一番問題なのは、本人は真っ直ぐ歩いているつもりで、傍から見ると傾いている場合である。そんな時が、一番あぶない。ひょっとしたら、私自身も、そんな状態になっていないとも限らない。
 いずれにせよ、人生という「広野」において、塀の上を歩くことの難しさを知っていたからこそ、あの時、養老さんは「塀の上を歩く」ことの大切さを言ったのだと思う。
 学生時代から通っている大学近くのバーに、養老さんも通っていたと、マスターに聞いたことがある。
 養老さんが、医学部の教授をされていた頃だったという。
 ある時、養老さんが、一人でお酒を飲んでいて、ふっと姿を消してしまったのだという。
 あれえ、養老先生、どうされたかな、と思って、マスターが店の外に出ると、養老さんは、店の外の道路に大の字になって寝ていらした。
「養老先生、どうされました?」
 とマスターが声をかけると、養老さんは、大きな声で応えたのだという。
「いやあ、空の星が綺麗だねえ」
 養老さんは、やはり、人生の塀の上を歩く人なのではないかと思う。
「際」ということで面白いのは、何と言っても海岸である。
 波打ち際を歩くのは、常に変化する動的過程の中に、自分を置くことである。
 生命が起源した「泉」の中に還っていく。そんな運動の「際」を、ぐるぐると経巡るその時間は、本当に素敵だ。
 そんな時、養老さんの言う「塀の上を歩く」ということは、つまり、海に入らずに、砂浜を歩くことを意味する。
 靴が濡れるということもあるだろう。水が冷たいということもあるだろう。だから、なかなか思い切れないけれども、砂浜を歩くことには、独特の、「塀の上を歩く」歓びがある。
 ある時、合宿で、沖縄の島に行った。
 夜、海岸でお酒を飲んでいて、ゆっくりと、気分が盛り上がっていった。それでも、海と私たちの間には距離があった。
 やがて、何かがきっかけで、誰かが海に落ちた。それを合図に、むちゃくちゃになってしまった。誰もが、一斉に、お互いを海の中に投げ込み始めたのである。
 もちろん、私も、ずぶ濡れになった。一度水に入ってしまうと、もう、どうでもいい感じになってしまって、勇気とは、ちょっとしたきっかけで生まれるものだと知った。
 あの時のことを思い出すと、本当は、養老さんの言う「塀の向こう」にこそ、無限の大海があるのではないかとも思うが、今のところ、それを確かめる機会がない。
 沖縄の島の一夜の狂乱は、なかなか、人生全般には波及しない。
 このまま、一生、塀の上を歩いて終わるのではないかと思う。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 渡辺淳一恋愛小説セレクション【全9巻】
  • 集英社国語辞典[第3版]
  • 集英社ビジネス書
  • e!集英社

Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.