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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第3回 [某月某日 Coal Harbour Seawalkを歩いたり走ったり]

更新日:2016/03/23

 「歩く」と「走る」というのは、かなり印象の異なる運動である。
 「走る」ことは、すべてのスポーツの根幹である。オリンピックでも、100メートルからマラソンまで、さまざまな距離の競技がある。ハードルのように、障害物を飛び越えながら走る種目もある。トップ・アスリートたちがいろいろな「走り」のかたちにしのぎを削っている。
 一方、「歩く」ことは、スポーツ界においては例外的である。「競歩」という種目があるけれども、かなり特別な身体運動だ。ルールの一つとして、常にどちらかの足が地面についていること、という要求がある。両足が離れると、「ロス・オブ・コンタクト」という反則になるという。加えて、前に踏み出した足が真っ直ぐに伸びないと、「ベント・ニー」という反則をとられる。
 歩くことは、走ることに比べて楽だと思いがちだが、競歩をやる人たちは立派なアスリートである。競歩のすぐれた競技者はフルマラソンの距離を、3時間を切るタイムで「歩く」というから、もはや決して遅いとも、走るよりは楽だとも言えない。
 歩くことと走ることは、運動として、単純にスピードやその大変さでは比べられないことだと思うが、私たちは、両者を峻別することに慣れている。そのことが、いろいろとやっかいな問題につながっているような気がする。つまりは、歩くのか、走るのか、区別し過ぎるがゆえに、かえって行動が不自由になっているように思うのである。
 私は、走るのが趣味である。折を見てよく走っているけれども、何しろ基本的にいい加減だから、途中で疲れたり、良い景色のところに来たりすると、歩く。
 極端なのが「旅ラン」で、地方に行った時など、観光を兼ねて未知の土地を走るけれども、興味のある風景に出会うと、スピードを落として、歩いてしまう。時には立ち止まって、しばらくぼんやりとしていることすらある。
 あるいは、神社仏閣のように、そもそも走るのは失礼だから歩く、という場所もある。神社の場合、鳥居の前で立ち止まって、息を整え、歩いて本殿に参拝する。帰りは、鳥居の外に出た段階で、「さて」と一呼吸置いて、走り出す。
 走っている時に歩き出し、歩いている時にまた走り出す。それで、何の問題もないように思うが、実は、心の中では葛藤がある。
 まずは、走っている状態から歩きに移行する時に、心の中で、「ああ、さぼってしまっている」という罪悪感のようなものが浮かぶ。ウォーキングだって立派な運動だから、力を抜いているとかそういうことではないはずなのに、なんとはなしに、後ろめたい。
 逆に、歩いている状態から、走り出す時も、実際以上に大変なチャレンジをしているような、そんな先入観を持ってしまう。だから、心が構えてしまう。走っていて、途中で歩いてしまって、その時に、リラックスし過ぎると、再び走る際に、えいやっと気合を入れなければならない。ほんの少しだけ、コツがいる。
 世の中には、歩くことと走ることを峻別している人が多い。「運動していますか?」という質問に対して、「ランニングをしています」とか、「ウォーキングをしています」と答える人は多いが、「歩いたり走ったり、適当に混ぜています」という人には、なかなか出会わない。
 走る人は、途中で歩いてしまうことに罪悪感を持ち、歩く人は、走るなんてとんでもないと思っている。どうやら、世間では、歩くことと、走ることの間には、かつてのベルリンの壁のような、確固とした障壁があるようなのである。
 最近は、スマートフォンで、距離や、所要時間を計測し、移動したスピードを地図上に色で表示してくれる便利なアプリがある。しかし、このITの世界でも、歩くことと走ることは区別されている。「ウォーキング」用のアプリと、「ランニング」用のアプリは違うのである。
 私のように、両者を混ぜていい加減に走ったり歩いたりしたい者にとっては、走り出す時、あるいは歩き出す時に、「はて、どちらのアプリにしよう」という迷いの元になる。まるで、スマートフォンに、これから「走る」のか、「歩く」のか、どっちかはっきりしろ、と迫られているように感じてしまうのである。
 「歩くこと」と「走ること」の間にある、認識の壁。これは、もったいないことだと思う。両者を融合して、混ぜてしまった方が、面白い世界が広がるように感じるからである。
 ぽかぽかした陽光が差す春の日などに、トコトコと気持ちよく走って、タンポポが咲く川沿いなどに来たら、ニコニコと歩き出すのは実際天国にいるような気持ちである。しばらく歩いて汗が引いたら、またゆっくり走り出す。そのうちに、走ることと、歩くことが、渾然一体となった何とも言えない境地に達する。生きるって、いいなあと思う。
 歩くことと走ることを、区別しているからこそ、不自由になっていることに気づくべきではないか。これは、運動だけでなく、人生全般に通じることだと思う。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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