知と創意のエンタテイメント 集英社 学芸編集部

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Nonfiction

読み物

名画の中で働く人々

第6回  侍女

フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター『女官たちに囲まれたウージェニー皇后』
トロフィーム・ビゴー『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』

更新日:2021/03/17

「侍女」という仕事は、絵画でどんなふうに描かれてきただろう? いや、まずその前に、侍女とはどんな仕事なのか?
「侍」という文字は「はべる」と読み、上位の者の傍にいることを言う。貴人を護り、貴人の用を果たすため、常に側近く控えているという意味だ。「さむらい(侍)」がまさしくそれで、武芸をもって主君に仕えた。
 実は中世まで、侍とは幕府の御家人や将軍に仕える上級職だったのだが、戦国時代になって武士一般を指す言葉となった(イギリスで、ある時期から「紳士」が激増したのに似ている)。
 ということは、侍女ももしや?
 然り。侍女の範囲は――日本語訳という問題もあるが――そうとう広く、しばしば上級職の女官も侍女と呼ばれる。本来、女官は女王、王妃、王女といった最高位の女性たちに仕える身分(ベラスケスの『ラス・メニーナス』も「宮廷の女官たち」の意)で、高位貴族に属し、時には王族とつながりもあった(貴族もピンキリ)。
 王族以外の貴族女性に仕える侍女であっても、ランクの低い貴族だったり富裕階級出身だったりで、誰でもなれるというものではない。雇われてはいても召使や使用人とは截然と区別され、彼らからは女主人とほぼ同等に扱われた。仕事は女官と同じような日々の補佐(化粧や衣装管理、話し相手など)である。
 そのうち貴族ではない富裕層の女主人に仕える平民まで侍女と呼ばれるようになったのは、侍やジェントルマンと同じ流れだ。

 最高位の侍女から見てゆこう。
 ドイツ人画家フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター(1805~1873)作『女官たちに囲まれたウージェニー皇后』。


Portrait de l'Impératrice Eugénie entourée de ses dames d'honneurFranz Xaver Winterhalter(1855)
©Artothek/アフロ

 対象をかなり美化して描くことでヨーロッパ中の宮廷御用達となったヴィンターハルターは、ここでもフランス皇帝ナポレオン三世妃ウージェニーとその女官たちを深い森の中に配置することで、あたかも月の女神ディアナとその取り巻きのニンフたちのようなイメージをうまく醸し出している。
 ただし男嫌いのディアナの従者は皆処女だったが、ウージェニーの侍女たちはほとんどが既婚で、バッサーノ公爵夫人、ラスマリス侯爵夫人、ラトゥールモブール侯爵夫人、モンテベッロ侯爵夫人、レザイ=マルネシア子爵夫人、ピエール男爵夫人、マラレット男爵夫人、エスリング公女。
 誰が誰か、わからない? 
 それもそのはず、画家はウージェニー皇后(画面左上、両隣の侍女からの視線を浴びている)の特徴的な垂れ目と長い下がり眉をしっかり描いて目立たせる一方、取り巻きたちは非個性的で紋切型の美しさの中に押し込めている。
 この、「いずれアヤメかカキツバタ」の侍女らは、只今絶賛仕事中。どんな仕事かと言えば、皇后を引き立てる飾りとしての役目だ。宮廷や外交においてもこのように最新流行のヘアスタイルと大きく広げたクリノリン・スカートで華やかさを演出し、なお且つ「クリノリンの女王」の異名を取る皇后より目立ってはならないという、あんがい難しいお仕事ではある。
 スペインの小貴族出身だったウージェニーは、世継ぎの皇太子を産むまでは宮廷でいろいろ辛い目にもあったのだろう、半世紀以上も昔の、やはり異国の花嫁だったマリー・アントワネットにシンパシーを感じ、宮廷で初のアントワネット展を催している。だがアントワネットがポリニャック夫人に盛大に貢いで宮廷人から嫉妬と憎悪を買ったことも承知しており、そのような轍は踏むまいと、女官たちの誰か一人を露骨に贔屓することはしなかった(それでも結局はウージェニーも命からがら亡命する憂き目にあうのだから、歴史の怖ろしいくり返しと言うしかない)。

 ポリニャック夫人よりはるかに厚遇されたのは、十八世紀前半イギリスのアン女王に仕えた女官サラ・チャーチル(かのウィストン・チャーチルとダイアナ妃のご先祖様)だ。仕えた、というよりむしろ女王を精神的に支配し、操った、と言われている。
 サラは王室女官最高位の衣装係になったばかりか、自分の夫を初代マールバラ公爵にしてもらい、公爵家として年額五千ポンド、さらに王室歳費から特別に年額二千ポンドを加えてもらう。おまけに夫がスペイン継承戦争で将軍として武勲をたてた時には、オックスフォードシャーにある王家の広大な土地(東京ドームの一七〇倍)とそこに建てるブレナム宮殿建設費二十四万ポンドを賜った。
 これらは全て、アン女王がサラの心を引き留めるための贈与と言ってよかった(ちなみにウィンストン・チャーチルはこのブレナム宮殿で生まれた)。
 ヘンリー八世の時代には、王妃キャサリンの侍女となったアン・ブーリンが王妃の座を奪い、やがて自分の侍女ジェーン・シーモアにその座を奪われている。因果はめぐるというよりも、この時代の高位女性の立ち位置の危うさがよくわかる。
 ルイ十四世の寵姫(ちょうき)モンテスパン夫人は、知り合いの貧しい未亡人を取り立てるという親切を施したばかりに、彼女(後のマントノン夫人)に王を寝取られてしまう。全く油断も隙もあったものではない。ウージェニー皇后が侍女にはできるだけ既婚者を集めようとしたのは一理あろう。
 もっとも既婚者でも安心は禁物だ。ポンパドゥール夫人はルイ十五世の寵姫になるため、夫を容赦なく捨てた。気の毒に、彼は残りの生涯を「フランス一有名な寝取られ夫」と揶揄されて暮らさねばならなかった。また宮廷に入ったポンパドゥール夫人を、ルイ十五世はひとまず自分の正妃マリー・レクザンスカの女官に就けている。妃と寵姫の仲は良好だったとされるが、誰がそれを信じられよう。

 ハプスブルク家フランツ・ヨーゼフ皇帝に嫁いだ美妃エリザベートは、切れ者の姑に意地悪されて大変だったということになっている。実際にはエリザベートの女官たちのほうがもっと大変だった。皇后が公務から逃げ回ったからだ。
 女官たちにしてみれば、華やかなウィーン宮廷には長く留まれず、国外への旅から旅に随行せねばならない。おまけにエリザベートが自らの体形維持のため日課にしていた速足散歩にもついてゆかねばならず、アスリート的能力まで要求された。エリザベートが取り巻きをマジャール人(現ハンガリー人)でほぼ固めたのは、オーストリア貴族の子女から敬遠されたのも一因ではなかったか。
 とはいえエリザベートの女官は死に直面しなかっただけまだましと言えよう。フランス革命が勃発した時、女官長だったランバル夫人は最後までアントワネットのもとに踏みとどまる道を選び、結果として暴徒に惨殺された(一方あれほどアントワネットから寵愛されたポリニャック夫人は、機を見るに敏でさっさと亡命している)。
 さて、では自分の女主人から、人を殺しに行くのでついて来るように、と言われた侍女はどうすべきか?
 断らずについて行った献身的な侍女の例が、旧約聖書外典『ユーディト記』に記されている(ユーディトとは「ユダヤの女」の意)。
――亡夫から土地財産、及び多くの召使や家畜を相続した富裕な寡婦ユーディトは、町がアッシリア軍に包囲された時、果敢に立ち上がった。煌びやかに装い、侍女ひとりを伴い、アッシリア軍大将ホロフェルネスを訪れて曰く、自分はアッシリアにひれ伏すことに決めた、エルサレムまで道案内しましょう。
 その言を信じたホロフェルネスは彼女を自分の天幕へ入れ、酒に酔いしれて眠ってしまう。ユーディトはその首を斬り落とし、侍女に持たせて町へもどった。将を失ったアッシリア軍は逃げ去り、ユーディトは救国の美女として讃えられた。めでたし、めでたし。

 ホロフェルネスの首とユーディトの図は、洗礼者ヨハネの首とサロメの図同様、西洋絵画で非常に好まれたテーマで、さまざまなシーンが描かれている。単に首をもっての記念撮影風、殺害現場、逃亡途上、町の人々に首を掲げる場面、etc.
 侍女は登場しなかったり、登場してもほんの小さな脇役だったりということが多い。しかも後者の場合、ユーディトの美しさを際立たせるため敢えて醜い老婆として描かれるのが通例だ。ユーディトが剣を握って奮闘しているというのに、傍でぼうっと突っ立ったまま袋を拡げ、首を入れてもらうのを待っている。これではどちらが主人か、わかったものではない。
 珍しいのはクラナッハが描いた宴会シーンで、ここではユーディトと同じくらい着飾った侍女がホロフェルネスの部下たちに秋波を送っている。確かにこの方が戦略としては効果的だろう。ウージェニー皇后が美女に取り囲まれることでいっそう格を上げているように、ユーディトも貧相な老婆を従えるより美しい侍女と一緒の方が、相手を油断させられるに違いない。
 十七世紀イタリアの女性画家アルテミジアのユーディトには、まるで戦友のように全力で殺人に加担する若い侍女が登場し、脇役といえども強烈な存在感を見せつける(拙著『怖い絵』<角川文庫>参照)。
 おそらくこのアルテミジア作品の影響も大きかったと思われるのが、イタリアで活躍したフランス人画家トロフィーム・ビゴー(1579~1650)作『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』。


Judith Cutting Off the Head of Holofernes(circa 1640)Trophime Bigot
©ALBUM/アフロ

 光と闇の著しい対比、ホロフェルネスの逆さになった顔の位置などはほぼ同じだが、アルテミジア作品のように、画面全体が発する激烈な動きは少ない。
 ただしユーディトの剣の使い方は、ぞっとするほどリアルだ。右手で柄を握り、左手は上から刃に体重を乗せて押し付ける。固い食材を切る時の動作そのものだ。あと一押しで首は転げ落ちるだろう。
 侍女は若くはないが、老人とまでは言えない。片手でホロフェルネスの手首を握って動きを制し、蝋燭をかざして彼の顔を見つめる。惨劇の終盤を見届けようとしている。彼女は女主人から計画を打ち明けられ、命の危険を覚悟してついてきたのだ。若さの勢いはないので、失敗して捕まった場合をあれこれ考えただろう。その上での今だから、腹もすわっている。そんな顔だ。
 奮闘したこの侍女の、名前くらいは残してくれてもよさそうなものだが。 

 かくも侍女というのは多彩である。王妃や寵姫の座を狙い、政治を動かし、着飾り、高収入を得、派閥を作り、噂話を広め、時には人も殺す仕事。

◆フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター(1805-1873)ドイツの画家・版画家。イギリスのヴィクトリア女王はじめ、19世紀のヨーロッパの王侯貴族の肖像画を多く手掛けた。代表作に『オーストリア皇后エリーザベト』(1865)など。
◆トロフィーム・ビゴー(1579-1650)フランスの画家。ラ・トゥールなどに代表される、ろうそくの光を使ったドラマティックな作風で、バロック期のローマや南フランスで活動した。

著者情報

©文藝春秋/三宅史郎

中野京子(なかの きょうこ)

北海道生まれ。ドイツ文学者・作家。西洋の歴史やオペラ、美術など芸術の幅広い知識を生かして雑誌や新聞などの連載やテレビ出演など幅広く活動。2007年発表の『怖い絵』シリーズは大ヒットを記録し、シリーズ刊行10周年を記念して、2017年には自身が特別監修者を務めた「怖い絵」展も開催された。主な著書に『怖い絵』シリーズ(角川文庫)、「名画の謎」シリーズ(文春文庫)。『美貌のひと』(PHP新書)、『画家とモデル』(新潮社)、最新刊に『運命の絵 なぜままならない』(文藝春秋)など。著者ブログは「花つむひとの部屋」https://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006

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令和2年7月豪雨被災お見舞い

このたび令和2年7月豪雨により各地で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、被災地等におきまして、避難生活や復興支援など様々な活動に 全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く謝意と敬意を表します。一日も早く 復旧 がなされますよう衷心よりお祈り申し上げます。

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