集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更 標準

  • Facebook
  • Twitter

Nonfiction

読み物

名画の中で働く人々

第2回
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 『大工ヨセフ』
ジョン・エヴァレット・ミレイ 『大工の家(両親の家のキリスト)』

更新日:2020/11/18


Saint Joseph charpentier(1640)Georges de La Tour
Artothek/アフロ

 夜の作業場で大工仕事に精出す老人を、少しでも手伝おうとロウソクをかざす少年。二人の無言は親密さの証だ。炎は老人の皺深い額を照らし、少年のふっくらした横顔をやわらかく包み、左手の指を透きとおるような朱に染める。
「夜の画家」「ロウソクの画家」と呼ばれたラ・トゥールの明暗表現が冴え、闇を照らすこの光が単なる物理的なものではなく、聖書に記された「世の光」だということを観る者にほのめかす。老人の逞しい腕、ロウソクを持つ少年の小指が立つ様、二人の粗末な衣服、床に落ちている丸まった木屑など、精緻なリアリズム描写に裏打ちされた、心に、精神に、この世に、差し込む光。風俗画の装いをこらした、この『大工ヨセフ』は宗教画なのだ。
 イエスは神の子である。大工ヨセフと婚約中だったナザレの乙女マリアのもとに大天使ガブリエルが出現し、「アヴェ・マリア(=おめでとう、マリア)」と呼びかけた時から世界は変わった。身ごもったマリアをヨセフは婚約解消することなく引き受け、生まれた子の養父となる。親の職業を継ぐのが普通の時代なので、伝道を始めるまでイエスは大工として働いていたと考えられる。
 本作のヨセフはイエスの祖父のように老いているが、この描き方は別に珍しいものではない。マリアの処女性(結婚後もなお)を際立たせるため多くの画家が採用しており、ラ・トゥールもそれを踏襲したにすぎない。結果的に老いと若さ、イエス誕生前の古い世界と誕生後の新たな世界、闇と光の対比になっている。
 ヨセフは今、分厚い角材に穴を穿っているところだ。ハンドル付きの穿孔機(せんこうき)は、その形から明らかに十字架をイメージさせる。ヨセフの沈痛なまなざしは、どこかここにあらざるものへ向かい、またその目はロウソクの炎に潤み、揺らいでいる。神の子の苛烈な運命を予感したかのように。
 イエスがナザレを去ったのは、ヨセフが亡くなってからと言われる。その後荒野での修行を経て、おおぜいの弟子とともに故郷を訪れ、会堂で説教を行ったことがある。この時イエスを見た聴衆の多くが「大工の子ではないか」と驚き、侮蔑した。一日中あくせく働かねばならない職人は説教師や神官のような知的立場にはなり得ない、まして預言者(=神意を伝える者)など、という当時の人々の差別意識が根底にあった。


The carpenter’s shop(Christ in the house of his parents)(1849-50)John Everett Millais
New Picture Library/アフロ

 時代が移るにつれ、ヨセフは聖人化されてゆく。また手仕事によってマリアとイエスを養ってきたことから労働自体の尊さが称えられ、労働を通じて神の偉大さを知り、且つ人間性を高める手段にもなるとの教えが人々の共感を得るようになった。今や労働者の祭典であるメーデー(五月一日)は、労働者聖ヨセフへの感謝の日(ヴァチカン認定)にもなっている。
 ところで「大工」とは、一般には建築の構造部を担当する職人を指すが、当時は石造りの家だったので石を刻んだり積んだりすることも含んだ。また家の内装部分(床や扉や家具など)の木工もあるので、それぞれ担当は違ったはずだ。
 ヨセフはどんな大工だったのだろう? 
 故郷の村自体が貧しく、「ナザレに良きもの無し」と言われたほどなので、近在の町で大掛かりな仕事があれば期間中だけ雇われ、いわゆる出張工事に従事したこともあっただろう。しかしおそらくふだんは、自前の乏しい大工道具(石槌、ノコギリ、鉋(かんな)、穿孔機、コンパスのうちのいくつか)をかついで家々を回り、家具や建具の小さな修理なども請け負っていたかもしれない。その場で仕上がらない場合には家へ持ち帰って仕事を続けたはずだ。毎日日銭を稼げるとは限らず、かつかつの生計だったことは、先述したように、ナザレの住人にすら蔑まれていたことから推測できる。ラ・トゥールが描いたヨセフの姿は、まさにそんな姿だ。ローマ帝国圧政下における、厳しくも清貧な生き方。
 一方、別の説もある。ヨセフは――裕福とまでは言えぬにしても――極貧というわけでもなかったのではないか、親子三人でエジプト逃避ができたのだし、帰国後は自立した大工としてそれなりの作業場を持ち、助手も雇い、普通の暮らしをしていた可能性がある、というもの。その考えをもとに絵画化したのが、ミレイの『大工の家(両親の家のキリスト)』。
 本作が発表された十九世紀半ば、批評家からはそうとう酷評されたという。ラ・トゥールと違って宗教画としてのアイテムは完璧にそろっているにもかかわらず、聖家族像に対する伝統的な理想化が為されていないのが問題視されたらしい。要は、一見してあまりに世俗的、ということだろう。
 細かく見てゆこう。
 ここは大工ヨセフの作業場。画面右、部屋の奥には、大小さまざまの板がたくさん壁に立てかけられている。そうした板を張り合わせて、ヨセフ(頭の禿げあがった中年男性の姿をとる)と、上半身裸の助手が、大きな作業台の上で扉を制作中だ。
 もちろん「扉(=門)」には意味がある。「私は門である。私を通って入るものは救われる」というイエスの御言葉を、クリスチャンは知っているからだ。イエスは、中央の赤毛の少年。目立つように手のひらの傷をこちらへ向けている。傷はかなり深く、赤い血が裸足の左足の甲にまで滴り落ちている。磔刑(たっけい)の際、イエスは両手のひらと両足に太い釘を打ち付けられることになるので、この傷は「聖痕」の先取りだ。
 我が子が怪我をしたので、あわてて駆け寄った聖母マリアの表情が痛々しい。しかも額の皺からわかるのは、彼女が若い母ではなく、十字架から下ろされたイエスを抱いて嘆く、あのピエタ像のマリアだということがほのめかされている。この世でもっとも悲痛な母としてのマリア、その頬に、イエスはそっとキスをする。
 イエスを傷つけた釘は、マリアの背のあたり、作業台に打ち付けられている(台の縁に少し血の跡)。その釘を、台の向こう側に立つ老齢の女性が抜こうとして、工具のヤットコに手を伸ばす。彼女はマリアの母、つまりイエスの祖母アンナだ。彼女も聖人化され、聖ヨセフ同様、大工の守護神とされているため、この場に登場しているのだろう。
 もう一人、イエスと同じ年頃の少年がいる。こちらは「水」をたたえた水盤を持ち、「ラクダの毛皮」を腰に巻いていることから、長じてイエスにヨルダン川で洗礼をほどこす聖ヨハネであるのは明らかだ。
 他にも多くのシンボルがちりばめられている。窓辺から顔をのぞかせる「羊」たちは、イエスを信仰することになるキリスト教徒。手前の赤い花はサボテン。その棘は磔刑時にイエスがかぶらされた「茨の冠」を思い出させる。画面中央の板壁に立てかけられた「梯子」(殉教者を天へ導く)、その上に「鳩」(聖霊の象徴)が止まっている。横には三角定規が掛かっており、「三位一体」を示す。父(神)と子(イエス)と聖霊の三つは一体(唯一神)という教えだ。
 大工ヨセフに再び注目。赤い上っ張りを着ているが、それはマリアの青いドレスと対を為す。受胎告知の画面におけるマリアの定番は赤いドレスと青いマントであり、画家は赤(犠牲の血の色)と青(天上の青)をここに配した。ヨセフの筋肉質の腕には青い静脈が浮き上がり、手は日に焼け、指は節くれだち、肉体労働に従事する者の特徴を示す。だがその表情に粗野なところは微塵もなく、大工という仕事の知的で、時に霊的な(神殿や祭具にも関わる)側面をも伝える。

 最後に日本の大工について少し触れよう。筆者の幼年時代の思い出だ。田舎の大きな屋敷の棟上げ式に、たまたま居合わせたことがある。おおぜいの見物人が見上げる中、棟梁が屋根を葺く前の梁に立ち、お菓子や餅をばらまいていた。そうした風習はもう少なくなってしまったようで、ただ一度きりの記憶だが、子供心に「なんて大工さんはカッコいいのだろう」と思った(今もそう思う)。
 江戸の火消しと同じで、大工ファッションも粋である。現在もたまに見る、ニッカポッカのようなズボンだ。江戸時代の鳶職人や忍者などがはいていた股引というものが原型とされる。高所での危険な仕事にあのズボンはきわめて合理的の由。だぼだぼなので足が曲げやすく、足元の出っ張りに触れたり風にはためくので、危険を察知しやすいのだそうだ。納得!

◆ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652)フランスの画家。ルイ13世の王付き画家となり、生前は人気を博したが次第に忘れられ、20世紀に再発見された。代表作に『いかさま師』『女占い師』『悔い改めるマグダラのマリア』など

◆ジョン・エヴァレット・ミレー(1829~1896)イギリスの画家。ラファエル前派の創設者の一人。代表作に『オフィーリア』

著者情報

中野京子(なかの きょうこ)

北海道生まれ。ドイツ文学者・作家。西洋の歴史やオペラ、美術など芸術の幅広い知識を生かして雑誌や新聞などの連載やテレビ出演など幅広く活動。2007年発表の『怖い絵』シリーズは大ヒットを記録し、シリーズ刊行10周年を記念して、2017年には自身が特別監修者を務めた「怖い絵」展も開催された。主な著書に『怖い絵』シリーズ(角川文庫)、「名画の謎」シリーズ(文春文庫)。『美貌のひと』(PHP新書)、『画家とモデル』(新潮社)、最新刊に『西洋奇譚』(中央公論新社)など。著者ブログは「花つむひとの部屋」https://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

令和2年7月豪雨被災お見舞い

このたび令和2年7月豪雨により各地で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、被災地等におきまして、避難生活や復興支援など様々な活動に 全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く謝意と敬意を表します。一日も早く 復旧 がなされますよう衷心よりお祈り申し上げます。

株式会社集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ
  • 第5回「集英社・熊本地震災害被災者支援募金」募金状況とご報告
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.