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Nonfiction

読み物

8050問題のいま 黒川祥子

第5回(最終回) 歩き始めた人たち

更新日:2020/01/29

 連載の締めくくりとして、拙著『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』に登場した、一人の当事者の“その後”を紹介しよう。
 第3章「歩き始めた人たち」で紹介した、芳賀薫(仮名、53歳)さんだ。地方都市で開業医の長男として生まれ、幼い頃から、父親による母親への心理的・精神的・社会的DVを見て育った。“暴君”である父に怯え、父に反抗したことはなかった。
 ひきこもりとなったきっかけは、大学受験直前に父が強行した引っ越しにあった。大学受験に失敗し、見ず知らずの土地には友人もいない。実家でひきこもりのような暮らしを続け、三浪して大学の夜間部に合格。大学生活で息を吹き返したものの、教員採用試験に受からず、結果として20代後半から50代前半まで、芳賀さんはひきこもる。この間、働いたこともあったが、激務に心身ともに傷つき、より深くひきこもることとなった。
 2年前の単行本の取材時、支援者である伊藤俊朗さん(仮名、67歳)が見守る中、芳賀さんは「とにかく考えてもどうしようもないから、先のことは考えないようにしていた」とひきこもり生活を語った。
 すでに芳賀さんは、伊藤さんの支えの下、実家を出て、アパートを借り、遺跡発掘のアルバイトを週に4日ほど行なっていた。実家からの仕送りが必要ではあっても、芳賀さんは51歳でようやく、自分の足で自分の人生を歩み始めたところだった。
 なぜ、芳賀さんは実家を出て、こうして社会と関わって生きることができるようになったのか。
 芳賀さんにとって大きかったのは、自分を否定せず、そのまま受け入れるという、伊藤さんの支援だった。無理やり連れ出すのでも、道を決めるのでもない、本人の中から「意思」が湧き出てくるのを待つのが、伊藤さんの支援だった。

 昨年、芳賀さんの父が亡くなったと伊藤さんから聞いた。その後、芳賀さんはどうなったのか。芳賀さんの「その後」をどうしても知りたくて、昨年末、伊藤さんを再び訪ねた。
「芳賀君は今、発掘にのめり込んでるよ。学芸員か調査員を目指したいって、がんばってます。職場はゼネコン系の孫会社で、労働環境はいいとは言えないんだけど、この仕事に興味があるから、気にならないって」
 夫を亡くした母は、芳賀さんとの同居を望んだのではないか。結婚以来、家族の世話をし続けてきたのが彼女の人生だった。
「彼は『同居はしたくない。同居したら同じことを、また繰り返すだけ』と、お母さんに伝えました。私からもお母さんに、『たまに泊まるのはいいけど、一緒に生活する選択はしないでほしい』とお願いしました。お母さんにとっても、踏ん張りどころだったと思います」
 一人暮らしなどしたことがない母親だが、伊藤さんの言葉に従い、彼女自身も新たな一人暮らしを始めた。それは何より、息子の人生を第一に考えた末の結論だった。伊藤さんはこう見ている。
「お母さん自身、薫君との関係性について、いろいろ学んでくれたことが大きかったと思います。夫との関係、息子との関係について、ご自身で考えることができたということです。ひきこもりの場合、親子の関係性を変えるということが一番大切なのですが、親がそのことに気づくのはなかなか難しいですからね」
 気づくことができたのは、伊藤さんという支援者のおかげだった。しかし、伊藤さんと出会った親たちが全員、これまでの過ちに気づくわけではない。
 芳賀さんの母親は、2年前、私の取材にも応じてくれたのだが、「伊藤さんの言うように、私が薫の世話をすることで、薫を手放さないようにしていたのかも」と正直な思いを語ってくれた。これまでの息子との関係性に気づき、それを変えようと、新たな一歩を踏み出した母親の姿がそこにはあった。
 連載第4回で、親が気づくのは難しいと指摘した。しかし、芳賀さんの母親は自らに向き合い、息子とどんな関係性を選択するのが息子にとって生きやすいのか、息子のためになるのかという“気づき”を得た上で、自らの生き方を変えていったのだ。
 伊藤さんは指摘する。
「多くの母親は、母親でいることをやめられないままでいます。子どもが甘えてくれること、子どものままでいてくれることを、子どもに求めている。そうして、子どもを手放そうとしないわけです」
 拙著には、個性豊かな支援者も登場する。
「確かに、もう若くはない。でもここから、自分の生きたかった人生を生きてみようよ」
 50代のひきこもり当事者に、そう呼びかける支援者の言葉にうなずくのみだ。50代になってしまったとはいえ、ここから自分の人生を始めることができるのだ。
 芳賀家の母と息子は今、新たな関係性を生きている。どちらにも寄りかからず、支え合っていけるような関係を。
 ここにこそ、がんじがらめになっている関係性を解きほぐす糸口があるのではないか。8050問題とはある意味、悲惨な状態だ。50代まで自分の人生を生きることができないでいる人間を、数十万人規模で作ってしまったのがこの国だ。
 しかし、親自身が今、子どもとの関係性を見つめ直すことができれば、そこに一つの希望が見えてくるのではないか。子どもの立場に立って考えることができれば、今、何をしなければいけないのかがわかるだろう。第三者を通し、無風状態の家に風を入れ、関係性を動かしていくのだ。
 もちろん、変わるべきは親だけではない。この社会を構成する、私たちもだ。たとえ、50代まで社会との接点のなかった人がいたとしても、多様な生き方のひとつとして、その人たちを受け入れられる社会に変えていくことが、今、私たちに問われている。8050問題は決して、対岸の火事ではないのだ。
(了)

『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』はこちら

著者情報

撮影/葛西亜理沙

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)

ノンフィクション作家。福島県出身。東京女子大学文理学部卒業。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』で、第11回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』『県立! 再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校』『PTA不要論』、共著に『WHO I AM パラリンピアンたちの肖像』。橘由歩名義で『「ひきこもり」たちの夜が明けるとき 彼らはこうして自ら歩き始めた』がある。

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