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Nonfiction

読み物

美麗島プリズム紀行 乃南アサ

第12回 食器にこらずに縁起を担ぐ

更新日:2019/08/21

 台湾に行くようになって、特に最初のうち強く感じたことの一つに「飲食店の食器」があった。多くの飲食店で使われている食器が一律に白くて楕円形であることが多かったのだ。もちろん違う店もある。四角も円形も、柄の入った食器もあるのだが、何しろ「白い楕円形の皿」が妙に印象に残った。
 そういう店に入ると、豆腐料理でも青菜炒めでも、はたまた卵料理も焼き魚も蒸し鶏も海老料理も、餃子も焼きビーフンも炒飯も、汁物以外はどれもこれも同じ大きさの皿に盛られてくる。皿の中央に煮卵がコロコロと転がっているだけの場合もあれば、こんもりと盛られた炒め物の汁が溢れそうになっていることもあるという具合だ。パセリなどの飾り野菜が添えられているなどということは、まずない。それらを取り分けるために各人の前に置かれるのは丸皿と小ぶりの碗。こちらも白の無地だ。醤油や酢などをたらす小皿は無論のこと。
 違っているのは箸やちりれんげ、お茶を注ぐコップなど。道端で営業している露店に毛が生えた程度の店だと、ちりれんげはぺにょぺにょの塩化ビニールらしいものだし、箸は竹製の短い割り箸、コップは紙コップという感じ。もう少し上のランクの店に行くとちりれんげも箸もアルミ製になり、それ以上になると陶器のちりれんげ、箸も木の割り箸や樹脂製になるが、それでも店によっては紙コップか、せいぜいプラスチックのものだったりする。
 こういった器ばかりが並ぶ食卓は、旅の興奮も醒めて冷静になってきた目には、次第に味気なく映ってくる。日本の飲食店では、大衆的な店でも同じ皿ばかり並ぶということは、まずないからだ。色も形も様々だし、材質もガラス、陶器、木製(もどきもある)と使い分けていて、メラミンの食器にさえそれらしい模様が入っていたりする。私たちはそういう食卓に慣れてしまっている。だから、同じ形の白い食器ばかり並ぶ食卓に、もしかしたら抜群に美味しい料理が並んでも、まず目に飛び込んでくる印象で魅力が半減してしまうように感じる。最初に料理を目で味わう楽しさが失われるのだ。
 そういえば商店街などを歩いていると、店番をしている女の子がスーパーのレジ袋のようなものに、じかに入れられている台湾風おこわ、あぶら飯を、そのまま箸を突っ込んで食べている光景を見たりする。台鉄弁当をはじめとして売られている弁当の容器はほとんどが紙製で(コンビニ弁当を除く)、仕切りもなければ銀カップなどが使われていることもなく、もちろんバラン的なものもない。環境問題云々が言われるよりも以前に、要するに簡便で安価なら、デザインや見た目は関係ないという姿勢なのだと思った。同じ理屈で、飲食店も同じ食器ばかり使っているのかも知れない。それなら収納に手間取ることもないし、いくら割れても簡単に補充がきく。
 台湾の人は総じて食器にこだわらないのだろうか。台湾では、こういう食器が大半なんだろうか。
 これがしばらくの間、私の疑問の一つだった。そんなある日、台北にいて一日だけぽっかりと予定が空いた日が出来た。さて、どうしたものかと考えていたときに、ちょっと行ってみないかと誘われたのが鶯歌という街だ。
「焼き物の街です。どんな焼き物でも全部揃っていますよ」
 鶯歌は台北から南西に20キロ程度。台北市内を流れる淡水河の支流である大漢渓を遡っていった先にある。電車でも車でも、ちょっと足を伸ばすといった程度の感覚で着けるという。それにしても鶯歌とは、何というきれいな名前をつけたものだろうか。その字面だけで、いかにも詩情豊かで穏やかな里山といった印象を受ける。
「鶯の声が聞こえるような場所だったんでしょうか。森があるとか」
「森なんかないですよ。鶯も、聞いたことないですね」
 素っ気ない答えだった。まあ、それはともかく、台湾の食器文化に密かな疑問を抱いていた私にとっては、願ったり叶ったりの提案だ。
 風の強い寒い日になった。小一時間程度ドライブして着いた鶯歌で、まず向かった老街は広い石畳の道が緩くカーブしており、背の高い椰子の並木がずっと並んでいる、ちょっとしたリゾート地のような雰囲気の場所だった。道に面して並んでいる建物には統一されたグリーンの日よけが張られていて調和をはかっている。台湾名物と言ってもいいほど、どこに行っても見かける派手で目立つ巨大看板も、毛筆体の漢字の氾濫も、この街とは無縁らしい。
 通りの入口に屋台の綿菓子屋やニセモノ臭いドラえもんの人形焼き屋が出ている。その横で、水笛が売られていた。


鶯歌老街のメインストリート。お洒落なカフェでも並んでいるような印象の街並み。


実に色々なキャラクターが並んでいる人形焼きの露店。


鉄道のガードにつけられたプレートも、いかにも陶器の町らしい。住居表示なども工夫されていた。


安価な水笛が売られていた。店番をしていた少女がピロピロふく音が懐かしく響く。

「へえ、懐かしい」
 幼い頃に縁日などで見かけたことのある素朴な笛が、今こんな場所で売られているとは思わなかった。笛を吹きながら店番をしている髪の長い少女はせいぜい小学校3、4年生といったところだろうか。
「今日、学校は?」
「日曜日だから」
 あ、そうかと、そこで初めて気がついた。旅をしているとついつい曜日の感覚が薄らいでしまう。道理で道行く人の数が多いはずだった。みんな焼き物に興味のある人たちなのだろうか。
「ここと、すぐ近くの三峡という場所は、どちらも観光地ですから、休みの日は人が大勢来るんです」
 そんな説明を受けながら、軒を連ねる陶器店を覗いていく。
 何だ、こんなに色々とあるんじゃないの。
 それが最初の印象だった。ひと山いくらで売られている安い茶碗から高級レストランやホテルにでも置かれていそうな、人の背丈ほどもある磁器の壺まで、なるほど、ありとあらゆるものが揃っている。茶器ばかり扱う店には中国茶を淹れるための急須がずらりと並び、また、各家庭で使われている昔ながらの壺ばかりが並んでいる店もあった。米用、泡菜(キムチ)用、火鉢などなど。実に色とりどりだ。いつも飲食店で目にしている楕円形の白い皿など見当たらない。
 すると、業務用の食器を製造販売している場所は、また別なのだろうか。
 とにもかくにも、台湾の食卓が常に素っ気もないわけではないと分かってほっとする。そうして歩き続けるうち、多くの店の前に柿の実の置物らしいものが売られていることに気がついた。直径2センチほどの小さなものから、野球ボールくらいの大きさまで、陶製にガラス製、中空になっているものからずしりとした重さのものまで、どうしてこんなにもと思うほど柿の実が売られている。
「これ買うんだったら、2個買わないとダメなんですよ」
 案内してくれている人が言う。2個? 何で?
「『柿』の発音はシィーね。これは『事』の発音と同じです」
 だから柿を二つ並べると「シィーシィー」となり、「事事」と書くのと同じ発音になる。そして「事事」という文字からは「事事如意」という言葉が連想されるのだそうだ。「事事如意」とは、「物事がすべて思い通りにうまくいく」ということ。つまり、縁起の良い言葉に合わせた、柿の実は語呂合わせなのだった。
 そういう語呂合わせは他にもある。ヒョウタンは中国語では「フールー」と言い、その発音が「福禄」と似ていることから、やはり縁起物として好まれるし、コウモリは「ビアンフー」という発音が「変福」の発音と似ていることから、福に変わる、福をなすという縁起物として扱われるのだそうだ。そう言われてみるとヒョウタンもコウモリも、中国文化圏ではストラップから家具の意匠、屋根瓦にもと、実に色々なところに使われている。こうして歩いていても、店頭に置かれている絢爛豪華な巨大な壺などに無数のコウモリが描き込まれていたりした。


甕や壺の専門店。金魚鉢からキムチ甕まで様々だが、特に食品貯蔵用に「満」という願いが書かれているところが、いかにも漢字文化。


伝統的茶器の店の急須いろいろ。なるほど同じものは一つとしてないが、素人には良し悪しが分からない。


二つ置かないと意味がないと教えられた柿の実の置物。人気商品なのか、または手軽な土産物になるからか、どこででも山盛りで売られていた。

「柿の実がねえ」
 こういうもの一つにも必ず何らかの意味づけがあるのかと思うと、幸福や成功への強烈な欲求というものが感じられる。だが、そういう語呂合わせにはあまり興味のないこちらとしては、とにかく茶碗でも皿でも、何か気に入ったものを見つけたい、台湾の思い出にしたい一心だった。それでもなかなか見つからない。そうこうするうち「鶯歌光點美學館」という建物の前まで来た。
「ここは新しいんですよ。ここにあるものは文創ですね」
 文創とは「文化創意」の意味で、この数年というもの台湾で一つのブームを巻き起こしている動きだ。古い技術や建造物などを活かしつつ新しい文化を生み出し、さらに経済活動につなげようというもので、事業として申請して認可が下りれば国からの補助金も受けられるらしい。この一環として、日本統治時代の古い建造物なども次々にリノベーションされ、ギャラリーやカフェ、商業施設になるなど新たな利用価値を生み出しているし、ビジネスチャンスを狙う若者たちが、どんどんと新しいことに取り組んでいるらしい。


日本でも見かけるような器。ただし、「文創」と呼ぶほどには新鮮とは感じられない。


飲食店で見かけるのと同様に楕円形だが、成形も整っていて絵付けもされており、何となく安心した。


店頭に置かれていた特売品の茶碗。鮮やかさが目をひく。

 とにかく寒い日になった。風は絶えず吹いているし、今にも雨粒が落ちてきそうだ。ここは寒さをしのぐためにも、「鶯歌光點美學館」に入ってみることにした。
 三階建ての建物は中央が吹き抜けになっていて様々なブースが設けられていた。中には鶯歌の陶器とはまったく関係のないアクセサリーや小物類、健康器具なども売られている。それでもさすがに焼き物の郷らしく、陶芸の体験教室のようなスペースもあったし、デザイン性の高い食器が並んでいる場所もある。たしかに、ずっと歩いてきた道筋の、昔ながらの陶器店から比べると、色彩は豊富だしデザインも様々だ。電子レンジ対応と表記されているものもあった。日本で見かけるのと変わらない。
「これ見て下さい。温度が変わると、絵が出てくるんですよ」
 ぶらぶら歩いているうち、マグカップを扱っているブースに行き当たった。
 これも不思議なことの一つなのだが、台湾で見かけるマグカップは、これまたほとんど同じ形をしている。背が高くて少し裾がすぼまっている大ぶりのもので、カフェで見かけようとシティホテルに行こうと、みんな同じ。ただ、入っているロゴや絵柄が違うだけだ。そのブースで扱っているマグカップも同じだった。そこに熱い湯などを注ぐと特殊なインクのせいで常温のときには見えない色彩が浮かび上がってくる。エプロン姿の若い女性が、にこにこと笑いながらいくつかのマグカップに次々に湯を注いでくれた。
 九份の風景に赤い提灯が浮かび上がる。
「ね、すごいでしょう?」
「そうですね」
「こっちも、可愛いでしょう?」
「たしかに」
 せっかく一つ一つ見せてくれるのだが、どうも好みに合うものが見つからない。
「じゃあ、こっちはどうですか。お人形さん、ありますよ」
 あまりに反応が悪かったせいか、案内してくれた人が手招きをする。今度は金色の翼を持った仏様が並んでいた。同じものを台北松山空港のショップでも見たことがある。
「──そうね、たしかに、文創ですよね」
 可愛らしい顔をした素焼きの仏様の、天使のような翼や衣だけが目映(まばゆ)い金色に染められている。仏様の表情もデザインも、まさしく文創と呼んでいいものだろう。
 それにしても。
 ここでまた疑問が浮かんでしまう。台湾で人形というと、仏像や道教の「神さま」か、稀に「水牛と少年」などといった、かつての台湾の民俗的風景をうかがわせる置物などは見かけることがあるのだが、いわゆる子どもが「ごっこ遊び」するおもちゃの人形や、箪笥の上などに飾る類いの人形は見た記憶がない。たとえばタクシーのダッシュボードに置かれている人形も、金運の神さまである「財神爺」が大半。他に見かけることがあるとすれば、ほぼ間違いなく招き猫やキティちゃんなど日本発のキャラクターだ。
 唯一、布袋劇(ほていげき)という、もともと中国から伝わった指人形のような民間芸能があって、現在ではその進化形の人形劇がテレビでも放映されている。「布袋」という表現からは遠く離れた人形の豪華な美しさと宇宙的かつ壮大なストーリー展開とで根強い人気を誇っているが、その人形を模して売られているものは「フィギュア」と言っていいようなもので、子どものおもちゃにはなりそうにない。
 台湾の女の子は人形遊びをしないんだろうか。ひな人形や五月人形のように、子どもの成長を願って飾るようなことはないんだろうか。旅先の土産物として買うようなものはないのか、好き嫌いは別として、何となく昔から家に飾られているこけしや博多人形のような類いのものはないのだろうか。
 あれこれと考えるうち、ふと以前、日本語世代と言われるお年寄りが口にしていた言葉を思い出した。
「台湾にはかつて一度として独自の皇帝のような存在がいたことも、王室や宮廷があったこともない。だから宮廷から生まれた文化というものがないんです。豪華な料理、美しい着物、絵、音楽、装飾品、そういった暮らしを豊かにするものは、宮廷や貴族から生まれて庶民に広がるものでしょう」
 そういう存在が、台湾にはいなかった。庶民たちは、いつの時代も生き抜くことに必死で、せめて縁起を担ぎ、神に祈って、あとはひたすら懸命に働くしかなかった。その名残が、現在の台湾の生活にもあちらこちらに垣間見えるのかも知れなかった。
「じゃあ、三峡に行きましょうか。すぐ近くです。あそこはクロワッサンが有名ですよ」
 よほどつまらなそうな顔をしていたのだろうか、気を取り直すように提案された。建物の外に出ると、頭に大きな羽根飾りをつけてネイティブアメリカンの格好をした人が、ケーナを吹きながら南米の音楽っぽいメロディーにのせて台湾語の歌を歌っていた。
「台湾はちゃんぽんの国ですから。民族も、歴史も、何でもちゃんぽん。まぜこぜね」
 貧しかった時代の記憶と、何でもちゃんぽん。それが今の台湾の文化ということか。それでは、その古い街で流行っているクロワッサンとやらを食べに行こうと、私たちは鶯の声など聞こえない鶯歌を後にした。


日曜日の陶芸教室。初めて土に触れる楽しさを味わっているらしい人たち。


金の衣をつけた仏様。格調を保ちつつしかつめらしい表情ではないのも文創の影響だろう。


鶯歌の土産物屋の店先に下がっていた獅子。こちらも財運を招くようにという願いが書かれている。


メインストリートから外れると寒そうにしている人たちの数も減る。それにしても陶器を買ったらしい人が見えないようだった。

協力◎一般社団法人日本台湾文化経済交流機構 ◎プロジェクト「まごころ日本」
©Project Magokoro Nippon  ※日本台湾文化経済交流機構は日本統治時代の歴史建造物等の保存及び伝承、台湾と日本の良質な文物を相互に伝える活動を行っています。

著者情報

乃南アサ(のなみ・あさ)

1960年東京都生まれ。早稲田大学社会科学部中退後、広告代理店勤務を経て、1988年『幸福な朝食』が第一回日本推理サスペンス大賞の優秀作に選ばれ、作家デビュー。1996年『凍える牙』で直木賞を、2011年『地のはてから』で中央公論文芸賞を受賞。2016年に『水曜日の凱歌』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。他の作品に『花盗人』『団欒』『いつか陽のあたる場所で』『しゃぼん玉』『六月の雪』『美麗島紀行』『ビジュアル年表 台湾統治五十年』などがある。

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