集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更

  • Facebook
  • Twitter

文字サイズを変更

Nonfiction

読み物

美麗島プリズム紀行 乃南アサ

第9回 端午節の一日・ドラゴンと猫

更新日:2019/05/15

 昔むかし、中国に楚という王国があった。紀元前、春秋戦国時代のことだ。群雄割拠のその時代、楚は西隣の強国・秦と結ぶか、または北東に位置する斉と同盟を結ぶかという決断を迫られていた。このとき親斉派の先頭に立っていた政治家がいる。名を屈原という。
 屈原は詩人としても名を馳せていた、非常に有能な人だったらしい。王様の信任も厚かった。ところが外交問題に関しては、王は屈原の意見を聞き入れずに、斉とではなく秦と結ぶ道を選ぶ。結果的に、この判断が楚の滅亡を招くことになるのだが、無論そんなことになるとは思っていない王様は、異を唱えていた屈原を退けて、遠く離れた汨羅江(べきらこう)という川の近くに追いやってしまう。流された屈原はその地で静かに詩を詠んで暮らしていたが、楚の都が秦に攻め込まれたことを知って大いに絶望し、ついに汨羅江に身を投げる。
 その様子を見ていたのだろう。汨羅江の漁民らは、これは大変なことになったとばかり龍舟で川に漕ぎ出し、屈原を助けようとした。だが結局、屈原は見つからず、漁民たちも諦めるより他なかった。せめて屈原の遺体を魚がついばんだりしないようにと、葉に包んだ糯米を川に投げ入れて、その死を悼んだ。その日が5月5日だったことから、端午の日には龍舟(ドラゴンボート)と粽子(ちまき)が欠かせなくなったという話がある。
 日本の5月5日といえば、言わずと知れた「こどもの日」。男の子のいる家では鯉のぼりを揚げたり鎧兜や五月人形を飾って菖蒲湯に入り、柏餅やちまきを食べて子どもの健やかな成長を願うという日だ。ゴールデンウィークに組み込まれていることから、レジャー感覚で過ごすという印象も強いだろう。本来の「端午の節句」という言い方も、近ごろではめっきり聞かなくなったし、ましてや屈原の故事などとは無縁の感がある。中国文化圏と辛うじて共通しているのが、ちまきを食べることだろうか。
 一方の台湾では、5月5日は現在も「端午節」という日で、やはり祝日となっている。ただし、この日付は旧暦のものだ。旧正月という表現をよく耳にするように、台湾も含めた中国文化圏では、他にも七夕や中秋節など、伝統的な行事に関することは旧暦(農暦)で定められている。日本ではすべてが新暦で行われることになっているから、たとえ同じ日に同じような風習を持っていたとしても、実際にその行事が行われる日はずれており、しかも毎年、新暦に照らし合わせると違う日になるところが、ややこしい。
 多民族で形成されているとはいえ漢民族系が大部分を占めている台湾でも、やはり屈原の故事から、端午節には各地でドラゴンボートのレースが行われ、粽子を食べるのが習慣だと聞いて、そんな休日の過ごし方を見てみたいと思った。


端午節に欠かせないという粽子。これは知人の奥さま手作りのもの。ホテルに届けられた。

「端午節が過ぎると本当の夏です。その前までは台北でも急に涼しくなる日があったりするんですが、この日からは真夏です」
 その日一日、私たちにつきあってくれることになっていた劉くんが、きっぱりと言った。旧暦の5月5日は新暦だと例年6月の上旬から中旬くらいになる。確かに陽射しはぐんぐん強くなり、湿度も増す頃だ。実際にその日も朝のうちこそ多少は過ごしやすかったものの、瞬く間に気温が上がり、汗が止まらないほど暑い日になった。しかも、陽射しが強い。痛いほどだ。帽子を被ってこなかったことを後悔した。
 取りあえずは市場に行って、粽子が売られている様子を見てみることになった。普段は惣菜などを売っている店でも、端午節のときにはほとんどが粽子売りに変身するのだそうだ。
「へえ、すごい数」
 なるほど実際に市場を覗いてみると、どの店でも一つ一つ竹の皮で巻いてある三角の粽子を、いくつかまとめて束にしたものが紐ですだれのように吊されていて、握りこぶし大の竹の皮のかたまりで店先が膨れ上がりそうになっていた。こんなに山ほどの粽子が、今日一日で本当にすべて売りきれるものかと心配になるほどだが、心配無用とばかり人でごった返している。
「北と南でも味が違うし、客家(ハッカ)の粽子も違います。甘いのもあるし、しょっぱいのもあります。昔はどの家でも自分たちで作っていたんですが」
 私が知っている日本のちまきは、同じように竹の皮で包んであっても小ぶりの円錐形をしていて、中身はあんを包んだ餅だった。そんな「菓子」とは異なり、こちらの粽子は糯米を蒸したもので、特に南の方で食べられている粽子は肉や卵、落花生などといった具材がたっぷり詰まっているのだそうだ。
「年に一度のご馳走なんですね」
「でも若い人たちは飽きてきています。この頃になると近所からももらったりして、粽子が毎日続くこともありますからね。もう、ウンザリします」
 たった今、粽子を渡されたように顔をしかめる劉くんに、私も内心で「そんなに続くのは確かにたまらない」と苦笑しながら、すだれ状に粽子がぶら下がる市場を一巡した。今日一日の糯米の消費量だけでも大したものに違いない。これだけの竹の皮をどこから仕入れてくるのだろうかなどと考えたが、店の人は誰も忙しそうで、とても話など聞けそうな雰囲気ではない。買い物客の方も少しばかり殺気立った雰囲気で、とにかく人混みをかき分けて歩いては好みの粽子を買い漁っている。気がつくと市場の外にまで屋台を出している粽子売りが姿を現していた。
「どれか買ってみますか」
「でも、どれがいいか分からないし、結構、重たいんでしょう? これから動くのに荷物になるものね」
「そうですね。暑いから腐るとヤバいです」
 日本への留学経験もあるという劉くんは「ヤバい」という言葉をさらりと使い、では河の方へ行きましょうかと言った。いよいよ、ドラゴンボートレースだ。
 私の思い描いたイメージは、河に浮かべられた勇壮かつ煌びやかなドラゴンボートが先を競い合って進むのを、河畔に鈴なりの人々が鉦や銅鑼を打ち鳴らして「やんややんや」の応援合戦になっている、というものだった。年に一度のその日を誰もが心待ちにして、浮かれているのに違いないとも思っていた。場所は、台北市街の北側を流れる基隆河だという。いよいよ期待し始めた私に、ところが、劉くんは醒めた表情で「大したもんじゃないですよ」と言った。
「以前は学校とか職場とかでまとまって、大勢で参加するものだったんですが、最近は数が減りました。本当にやりたいと思ってる人なんか、そんなにいないです」
「どうしてですか?」
 劉くんは、人並み外れて大柄だが肌の色がとても白くて度の強い眼鏡をかけている。大好きなものは日本のアニメだという、見るからに運動が苦手そうなタイプの若者だ。彼は、「だって疲れるし」と、つまらなそうな顔で答えた。
「それに、せっかくの休みです。好きなことをしたいでしょう」
 劉くん自身、かつて一度としてレースに参加したことなどないという。なるほど、それも時代の流れなのだろうかと、少しばかり出鼻を挫かれた気分でたどり着いたのは、松山空港にほど近く、すぐ先に台北のランドマークの一つにもなっている円山大飯店が見えている大佳河濱公園。河川敷が広々とした芝生のスペースになっていて、いかにもイベントなどで利用されそうな場所だった。


台北の大佳河濱公園に一日だけ登場したゲーセン。小さな子が夢中になって遊ぶ。


夜市でもお馴染みの臭豆腐の串焼き。名前の通り匂いに癖があるが串焼きは匂いもマイルドになるとのこと。


暑いから汗だく。でもしゃぼん玉は楽しいよね。

 強い陽射しの下を、汗を拭き拭き歩いて行くにつれて、空に浮かぶアドバルーンが大きく見えてきた。真っ白い風船玉に赤十字のマーク。救護所だろうか。そのうちに、芝生の上で遊んでいる小さな子たちの姿が目立ってくる。しゃぼん玉などを売る人が歩き回り、やがて見えてきたのは屋台の列だ。移動遊園地や、子ども向けのゲームコーナーなども出ている。
 こんな炎天下でイカや臭豆腐を揚げている人は、商売とはいえしかめっ面だ。時折、心地好い風が吹くお蔭で、油や食べ物の匂いはあまり気にならない。そんなものを眺めながら歩くうち、河のそばまでたどり着いた。Tシャツに短パン、ウエットスーツ、また上半身裸になっている男性などが、それぞれグループになって大勢集まっている。一方、河では確かにドラゴンボートのレースが繰り広げられていた。太鼓が微かに聞こえ、橋の下からスタートしたボートが、一斉に川面を滑っていった。
 私のイメージは基本的には間違っていなかった。ドラゴンボートは確かに龍の姿をかたどっているが、いわゆるレース仕様のカヌーに近い。舳先にはチームの旗が掲げられ、太鼓を叩く係がいて、選手たちがオールを動かすリズムを整えている。そのボートの龍が、中国的な雰囲気を醸し出していなくもないが、その割に「伝統芸能」的な雰囲気は、さほど感じない。
 出走を待つ人たちの中には、すっかりリラックスした様子の人たちも、また、筋骨のたくましさがTシャツの上からでも分かる人たちもいた。日頃の運動不足を痛感しているのか、苦笑気味の中高年サラリーマングループに、どこか戸惑い気味に見える外国人のグループ。実際に一定の間隔で二艘ずつ漕ぎ出すボートの選手たちも、意外なくらいに熱くなっている様子はなく、むしろ冷静で、楽しいのかつまらないのかも分からないといった顔つきの人も少なくなかった。
「だから言ったでしょう? 駆り出されてる人が多いんですよ。大体、関係者しか応援してないんだし」
 劉くんが、白い顔に汗の雫を垂らしながら言った。確かにレースなどにはまったく関心がないとばかり、向こう岸を自転車で通過していく人もいれば、ただ屋台目当てに手つなぎデートを楽しんでいるカップルもいる。小さな子を連れた人たちは、単にのんびりとピクニックをしているだけにも見えた。もはや、端午節だからと言って誰もが一斉にドラゴンボートレースに興じ、声を揃えて大応援をするという時代ではないらしい。


このチームのマドンナなのか、ボートの舳先で微笑む美女。


ドラゴンボートレースのスタート。選手たちは太鼓に合わせて懸命にオールを漕ぐ。


出走を待つ屈強な男たち。彼らのそばから離れない台湾犬はマスコットか。

「こういうところで楽しんだりしない人は、どうしているんですか」
 意外とあっさり見終わってしまいそうな雰囲気に、さすがに多少ガッカリしながら劉くんを見上げると、彼は、若い人たちなら思い思いに好きな場所に遊びに出かけているだろうと答えた。
「台湾は日本のように祝日も多くないですから、せっかくの休みなら、例えば動物園とか、最近だったら侯硐(ホートン)とか、そんなところに行くかな」
「侯硐? 何があるんですか?」
「猫村って言われていて、猫がいっぱいいるんです。まあ、それだけなんですけど」
 日はまだまだ高く、時間は十分にある。では、その侯硐へ行ってみましょうと提案してみた。すると、劉くんは少し面倒くさそうな顔になって「台鉄に乗らなければならない」と言った。台湾鉄道、つまり在来線のことだ。
「すごく遠いんですか?」
「宜蘭より手前です。1時間くらい」
 それくらいなら、どうということでもないではないかと劉くんを急き立てて台北駅へ向かった。劉くんは渋々といった様子だったが、台北駅でおぼろ豆腐に似た冷たい豆花(トウファ)にあんこをたっぷり添えたものをご馳走すると機嫌がよくなった。
 新北市瑞芳区にある侯硐は、かつては猴硐と書く方が普通だったのだという。猴(サル)の住む洞が多いことから、その名がついたのだそうだ。日本統治時代から、その周辺で採掘される石炭の積み出しで栄えたということで、実際に台鉄に揺られて侯硐駅まで着いてみると、すぐ駅前に選炭場の廃墟があった。よくもこんなものを放置しておくと思うほどの重々しい存在感に、しばし目を奪われた。「猫村」という響きとは、あまりにそぐわない風景だ。
「猫村は、線路の反対側だそうです」
 劉くんが、傾斜地になっている方を指さした。いつの間にか空には低い雲が立ちこめていて、湿度は大変なものだが、暑さはさほどではなくなっている。線路の向こう側に行くために跨線橋を渡り始めると、早くもいた。猫だ。壁にも可愛い猫のイラストが溢れている。今さっき見たばかりの鉄さび色の廃墟とは、あまりにも雰囲気が違う。
「もともと炭鉱がだめになって、ここの仕事もだめになりましたから、人がすごく減ったんだそうです。空き家も増えました。それで、淋しくなったお年寄りたちが野良猫に餌をやったりして面倒を見ていたら、自然に猫たちが増えていって、それが少し前から話題になったんだそうです」
 確かに集落全体はずい分と古びていて、寂れた感じがある。遠目に見ても斜面にへばりついた時代遅れの田舎町という印象だ。だが、そんな町が、今まさに猫のお蔭で息を吹き返そうとしているのかも知れなかった。


道ばたの石には昔ながらの「猴洞」という文字。ここに猫でなく、サルがたくさんいた時代があったのか。


侯硐駅前に残る選炭場の廃墟。「猫村」とは無縁だった頃の面影を残す。


侯硐駅前に佇む猫。人が通ろうが犬が通ろうが、まったくお構いなしのマイペース。


ワイルドに木登りを楽しんでいた三毛。この後見事なジャンプを見せてくれた。

「あ、ここも」
「いたいた、あそこも」
 確かに、人が歩いているすぐそばで、ゆったり寝そべっている猫が、ここにもあそこにも見えた。いずれも人慣れしているらしく、まるで逃げる気配もないし、触れられても平気で寝ている猫もいる。
 訪れている客は圧倒的に若者のグループやカップルが多かった。くつろぐ猫を見つけては一緒に写真を撮り、そっと手を伸ばし、抵抗されないと分かると、安心して撫でたりする。野良猫という意識があるためか、またはそこまでの接し方を猫が嫌がるせいなのか、抱き上げている人は見かけなかった。
 歩く道は細い坂道や石段がほとんどだ。普通の民家に混ざって、猫に関する様々なグッズを売る土産物屋も出来ていた。下がっている提灯も猫、看板も猫、標識も猫。どれも手作り感満載だ。犬も結構な数を見かけるのだが、こちらはリードでつながれているものも少なくなく、何となく肩身が狭そうなのが面白い。また、猫も観光客も関係ないとばかりに、開け放った戸口から先祖を祀る祭壇だけが見えている小さな家の前に竹製の椅子を置いて、ぼんやりと座っている下着姿の老人の姿もあった。その少し先には、窓から戸まで崩れ落ち、煉瓦が残るだけの廃墟がある。それでも、どれだけ歩いていても、猫の糞を見かけることがないのは大したものだ。悪臭もしない。土産物を枕に我が物顔で眠っている店先の猫もきれいに手入れされているし、首輪をしている猫も少なくなかった。地域の人たちが、猫を大切にしていることがよく分かる。
「何が楽しいんですかねえ」
 醒めた劉くんが、またつまらなそうな顔で呟いた。坂道だらけの町を歩くのが、よほど面倒くさいのかも知れない。ドラゴンボートレースを見ていたときに比べれば陽が遮られている分だけでも涼しく感じるのだが、彼はやはり汗をかいている。
「猫は嫌い?」
「関心ないです。第一ここに来てる男は彼女連ればっかりじゃないですか。彼女がいない僕なんて、ここに来る理由がないです」
 そこまで話してくれなくてもいいのに、劉くんは「彼女いない歴」について一くさり語ってから、余計に憮然とした表情になっている。こちらはつい苦笑しながら、それでも前に進むより他にない。
「こういうところに来る若者たちにとっては、端午節なんて、あんまり関係ないのかな」
「そうでしょう。こいつらは、粽子だってきっと食べませんよ」
 ますます不機嫌になってきたらしい劉くんの視線の先には、可愛い女の子と頰を寄せ合って、二人でスマホを構えて写真を撮っている若者がいた。そのとき、ぽつり、と雨が落ちてきた。劉くんは、待ってましたとばかりに「帰りましょうよ」と言う。はいはい、そうしましょう。それにしても、たった一日だけ、私たちの旅につきあってくれた劉くんに「面倒な日本人と一緒でつまらない端午節だった」という思いだけを残したくはない。台北に戻ったら、劉くんおすすめの美味しいご飯屋さんに連れていってねと話しかけて、彼はようやく笑顔になってくれた。


侯硐から台北方面に向かう台鉄。なぜか花柄。運転士さんがずっとこちらを見ていた。ポーズか?


どんなものにも猫の顔が描かれている猫村。ところで、これは何なのか。


お土産屋さんの商品の上でくつろぐキジトラ。お店の人はどかしたりしない。

協力◎一般社団法人日本台湾文化経済交流機構 ◎プロジェクト「まごころ日本」
©Project Magokoro Nippon  ※日本台湾文化経済交流機構は日本統治時代の歴史建造物等の保存及び伝承、台湾と日本の良質な文物を相互に伝える活動を行っています。

著者情報

乃南アサ(のなみ・あさ)

1960年東京都生まれ。早稲田大学社会科学部中退後、広告代理店勤務を経て、1988年『幸福な朝食』が第一回日本推理サスペンス大賞の優秀作に選ばれ、作家デビュー。1996年『凍える牙』で直木賞を、2011年『地のはてから』で中央公論文芸賞を受賞。2016年に『水曜日の凱歌』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。他の作品に『花盗人』『団欒』『いつか陽のあたる場所で』『しゃぼん玉』『六月の雪』『美麗島紀行』『ビジュアル年表 台湾統治五十年』などがある。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 集英社ビジネス書
  • e!集英社

Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.