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ジャンル:単行本 随筆 ノンフィクション 他

最後の冒険家

最後の冒険家 


著者 : 石川 直樹

  • 判型 : 四六判
  • 頁数 : 214ページ
  • ISBN : 978-4-08-781410-1
  • 価格 : 本体1,600円+税
  • 発売日 : 2008年11月21日

「どうやって生きのびるか。それが最大の課題だった」太平洋横断飛行に挑戦する彼らの生き方は、なぜわれわれの心を揺さぶるのか。北太平洋に消えた熱気球冒険家・神田道夫と過ごした4年半の記録。第6回開高健ノンフィクション賞受賞作。

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   は じ め に

 2008年2月15日、北太平洋上空で熱気球に乗ったまま行方がわからなくなった神田道夫の捜索は打ち切られた。2月1日に神田と日本の遠征本部との連絡が途絶えてから2週間以上の時間が経過し、アメリカの沿岸警備隊はその間も捜索を継続してきたが、神田が最後にいたと思われる地点から北東に約560キロ離れた上空で何かの漂流物を見た、という雲をつかむような情報を得ただけで、気球もゴンドラも、そして神田自身も発見できなかった。つまり、いまも彼は行方不明のままである。
 最後となるかもしれない彼の遠征について、それが成功しても失敗しても詳細な記録として残したい。その気持ちがこの文章の出発点である。そして、それはぼくが書く。2004年におこなわれた最初の太平洋横断遠征に同乗したパートナーとして、あるいは気球の技術を一から教えてもらった弟子として、そして生死を共にした年若い一人の友人として。


   第一章 「出会い」

 こうやって人は死んでいくんだろうな、と思った。自ら命を絶とうとしているわけではもちろんないし、病気にかかっているわけでもない。ビルの屋上などにある貯水槽を改造したクリーム色のタンクの中に入って、ぼくは冬の太平洋の真ん中を漂っている。上にあるハッチの隙間から時々海水が入ってきて、溜まった水がタンクの底のほうでちゃぷちゃぷと不快な音を立てている。
 今は膝下までの水位しかないけれど、やがて太ももまで浸かって、胸まできて、首を越えて……、と考えていくと、そこで思考を打ち切らざるをえなかった。タンクが沈む前にハッチを開けて脱出し、今着ている分厚い羽毛服の上下のまま、真っ暗な海に飛び込んだらどうなるだろう。水を吸った羽毛服は身体を浮かせてはくれないはずだ。でも冬の海で衣類を脱いで飛び込んだら、間違いなくハイポサーミア、つまり低体温症になって、生き延びることはできない。外に浮かんでいるはずの球皮につかまってみようか。いや、だめだ、すぐ沈むに決まっている。
「死ぬかもしれない」と思ってからも、どうやって生きるかということを冷静に考えてみるだけの余裕はあった。時化のために上半身を起こしただけで激しい酔いに見舞われるものだから、身体も満足に動かすことができず、頭の中で思案することしかできなかったのだ。ぼくは半分まぶたを開いて、薄暗いクリーム色の壁の先にある天を仰ぎながら、高度8000メートルの空から海までやってきて、次はどうすれば陸地へ戻ることができるか、ということを長いあいだ考えていた。2004年1月28日未明、ぼくは神田道夫とともに漆黒の太平洋上を漂うタンクの中から脱出できないまま、海に沈みかけていた。


 冒険家・神田道夫とはじめて出会ったのは、2003年夏の暑い日、東京・青山のとある喫茶店である。当時ぼくは26歳で、まだ大学院の学生だった。もうその喫茶店がどこにあるのかさえも忘れてしまった。店内はおよそ青山という場所に似つかわしくなく、メニューはサインペンによる手書きで、ありがちなオフホワイトの壁紙はタバコのヤニで汚れていた。
 ぼくは表参道で打ち合わせを終えた帰りで、神田さん(以下、敬称略)には「19時に青山で会いましょう」とだけ伝えてあった。待ち合わせ場所を決めていなかったので、彼は現地でその喫茶店を見つけ、店内から電話をかけてぼくに場所を案内してくれた。
 どうして神田がぼくに会おうとしているのか、その理由はあらかじめ知人から聞いていた。54歳だった神田は、翌年に実行を計画している熱気球による太平洋横断遠征のパートナーを探しており、共通の知人を介してぼくに連絡をくれたのだった。そのときはまだ太平洋横断もなにも、気球がどういうもので、神田がどのような計画をたてているのかもまったくわからなかった。ただ、神田は冒険や探検の世界では有名だったし、気球に無知なぼくも名前くらいは聞いたことがあったので、単純にどんな人か会ってみたいという気持ちだけはあった。
 喫茶店は閑散としており、客はほとんど入っていなかった。奥の方に初老のサラリーマンが座っていただけで、多少大声で話したとしても誰かの耳に届くことはない。神田は先に到着していて、4人がけのテーブルに一人で座っていた。ネクタイにジャケットを羽織っていたので、仕事帰りなのだろう。どちらかというと小柄で、痩せても太ってもいるわけではなく、一見するとどこにでもいそうなお父さんである。豪放だけどちょっとだらしない冒険家タイプでもなかったし、ゴーグル焼けの黒い顔から目だけぎらぎらさせているような登山家タイプでもない。長年世界を旅してきた旅行者のような達観した空気をもっているわけでもないし、自転車乗りや長距離ライダーのような荒っぽい野性味もなかった。今まで出会ってきた数々の旅人とはあきらかに異なるタイプで、このような機会がなければ、日常生活でぼくと彼が言葉を交わすことなどなかっただろう。
 お互い名前を名乗って挨拶をした後、「お会いできて嬉しいです」とぼくは言った。決して社交辞令ではなく、彼と会えてぼくは本当に嬉しかった。神田はヒマラヤの8000メートル峰、ナンガパルバットを熱気球で飛び越えた功績によって2000年度の植村直巳冒険賞を受賞している。噂は空の世界と縁がなかった自分のところにも届いてきており、そのような人物に会えて嬉しくないわけがなかった。
 神田はぼくに名刺を2枚差し出した。彼が勤めている埼玉県の川島町役場の名刺と個人の名刺があり、個人の名刺には「日本熱気球飛行技術研究会会長」とある。不思議な肩書きだと思った。一般的に想像できる冒険家らしい堂々とした態度はなく、どちらかといえば謙虚で実直な印象だった。しかし、無口という雰囲気ではない。
 彼はカバンをまさぐりながら、自分の冒険の履歴が年表になっている雑誌記事のコピーを取り出すと、一気に話し始めた。人ははじめて会えば世間話や雑談からはじまり、どこでお互いを知ったかなどを話したりするものだが、彼の場合は一切そういうことがなかった。単刀直入である。余計なことは喋らない。声は大きいが、いくぶん伏し目がちで、ほとんど目を合わせようとしなかった。
 その履歴は箇条書きになっていた。 (…この続きは本書にてどうぞ)