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ジャンル:単行本 随筆 ノンフィクション 他

いいかげんが いい

いいかげんが いい 


著者 : 鎌田 實

  • 判型 : 新書判
  • 頁数 : 256ページ
  • ISBN : 978-4-08-781405-7
  • 価格 : 本体952円+税
  • 発売日 : 2008年10月24日

難しく考えないことが、幸福への近道だ
不自由な身体でも旅に挑戦する人、パソコンで株取引を楽しむ人、70代で車椅子の女性を妻に迎える人。鎌田實が東で西で出会ったのは、考えすぎて立ち止まったりしない、素晴らしい人々だった。

試し読み

 まるで少年のように

 二〇〇八年の二月末、生まれて初めて、海外ヘスキーに出かけた。行き先はスイスのツェルマット。目標は二つあった。冬の氷河を見ることと体力増強。氷河を見て歩いている。環境問題を自分の目で確かめたくて、北極や夏のシャモニーなどの氷河を見てまわっている。同時に、下半身の筋力アップのために、いのちがけで滑る。まるで少年のように。
 ぼくは風になった。マッターホルンの支峰、標高三八八三メートルのクラインマッターホルンの頂までロープウェイで登り、氷河を滑った。降りると、休みなくゴンドラに乗って、違う頂に登る。今度は、スイスから国境を越え、イタリアヘと滑り降りた。マッターホルンを見ながら、一日六〇キロ滑るのだ。
 一〇人のチームの中で、ぼくが最年長だけど元気。『ちょい太でだいじょうぶ』(集英社)で紹介した「がんばらないスクワットの深部筋強化」が効いている。
 ホテルに戻ると、ご高齢の日本人がディナーをとっていた。ポツンとひとりぼっちの後ろ姿が少し寂しそう。でも、うれしそうにも見えた。スイスワインをチビリチビリと楽しんでいる。
 不思議な空気があった。その男が気になって、声をかけた。
「一人旅ですか。寂しくないですか」
「寂しいですね。でも満足しています。
 一〇時くらいに起きて、遅い朝食を食べ、赤い小さな登山電車に乗ってゴルナーグラートの山頂駅まで行きます。山小屋でマッターホルンやモンテローザの山並みを見ながらホットチョコレートを飲んで、ゆっくり一時間かけてツェルマットの町まで滑り降りてきます。それだけ。一日一本だけです」
「わあ、おしゃれですね」
「いやあ。じつは去年の九月に肝臓がんの手術をしたんです。死を意識しました。三分の二、肝臓を取りました。もうスキーはできないと思った。でも、でも、もう一回と…。
 ヨーロッパじゅうのスキー場をまわったけれど、ここのスキー場が一番好き。もう六回目です。いつもこのホテル。本当は友達と二人で来るはずでしたが、病後のぼくに万一のことが起きたら大変と、彼は家族に止められた。来られなくなってしまった。でも、ぼくは来たかったんです。一人でも。どうしても来たかった。
 だから、寂しいけど、うれしいんです。滑れるだけで、うれしい。今七五歳。あと二年は生きたいと思っています」
「最近は、肝臓がんはよく治ります。二年なんて言わず、あと五年、八〇歳までここでスキーをしましょう」
 男は、ほほえんだ。
「そうですね。おっしゃるとおり、がんに負けないで、八○歳までスキーをする夢をもちましょう」
 外国でのスキーを毎年続けている。お金持ちかと思った。
「ケチケチ旅行でね。レストランで夕食をとらないようにしています。スーパーで地元の手ごろなワインと食べ物を買ってきて、部屋で食べる。年金生活です」
 ますますこの男が好きになった。いいなあ。
「今日はツェルマットの最後の夜。だから、ホテルで一人ディナーです。ワインも奮発しました。肝臓がんだから、加減を考えながら、チビリチビリです」
 男は少年のように笑った。
「いいんです。こんなときの少量のワインは。心と体に元気をくれます。シーハイル、スキー万歳!」
 ぼくの心はなんだか知らないうちにあたたかくなっていた。人間っていいなあ。
 大人になって、しがらみの中で生きていると、自分の中に残っている「少年」が見えなくなってしまう。この男の生き方はおしゃれだなあと思った。誰だって少年に戻れるのだ。
 少年のような七五歳の男の背中に、ぼくは声をかけて別れた。
「きっと夢はかなう。あと五年。グッドラック!」





 鎌田實がパニック障害になりかけた

 日本の二〇世紀は「がんばる」世紀だった。明治維新以降、欧米列強に追いつこうとがんばってきた。豊かになりたいと思って、いくつもの戦争をした。第二次世界大戦で負けた。すべてを失った。にもかかわらず、ぼくたちはがんばった。奇跡的な復興を果たした。世界第二位の経済大国となった。確かに豊かになった。でも大事な何かを失いはじめているような感じがした。
 奇跡といわれた経済成長を支えてきたのが、会社や組織が一枚岩となってがんばる社会だった。一枚岩は、物事が順調にいっているときは大きな力を発揮する。しかし、ひとたび何かあれば、ポキンと折れてしまう脆さがある。
 二一世紀を迎え、日本はかつてのように右肩上がりの成長を続ける社会ではなくなった。五年後、一〇年後さえ見えない状態だ。若者はどう生きていけばいいのかわからず、生活も不安で、未来を語れない。
 みんなで豊かになりたいとがんばってがんばって、息苦しい社会をつくり出してしまった。「いい加減」の本来の意味を忘れて、がんばりすぎをよしとしてきた。
「がんばる」というメンタリティは、ストレスやうつと背中合わせにある。うつ病と診断されなくても、うつうつとしている人、物事をネガティブに考えてしまう人が、日本人の八人に一人いるというデータがある。
 社会は豊かになったのに、多くの人が喜びよりもストレスを感じている。「いい加減」はマイナスイメージの言葉になっていた。「いい加減」という言葉の復権をしたいと思った。
 がんばる人間だけで一枚岩になろうとしてきた日本社会。しかし、そうじゃない人間がいたっていいじゃないかと、ぼくは思う。がんばれない人間やがんばらない人間を排除しない社会は、強い。危機的な状況に陥ったとき、異質な人間のしたたかさや、がんばらない人間のしなやかさが強みを発揮することがあるから。多様な人がいる組織は鋼のように、たわみながらなかなか折れないのだ。 (…この続きは本書にてどうぞ)

著者情報

鎌田 實

鎌田 實 (かまた みのる)

医師、作家、公立諏訪中央病院名誉院長。著者『がんばらない』(集英社刊)が2000年、ベストセラーになる。
他に主な著書として『あきらめない』『それでも やっぱり がんばらない』『ちょい太で だいじょうぶ』『なげださない』『病院なんか嫌いだ』『いいかげんが いい』『空気は 読まない』『人は一瞬で変われる』がある。また、読む絵本に『雪とパイナップル』『アハメドくんの いのちのリレー』があり、(以上、集英社刊)いずれも好評発中。現在日本テレビ系「news every.」にレギュラー出演中