既刊情報

ジャンル:単行本 随筆 ノンフィクション 他

消える大学 残る大学

消える大学 残る大学 全入時代の生き残り戦略


著者 : 諸星 裕

  • 判型 : 四六判
  • 頁数 : 224ページ
  • ISBN : 978-4-08-781392-0
  • 価格 : 本体1,400円+税
  • 発売日 : 2008年07月25日

大学は誰のためにあるのか!?
よい大学とは何か? 全入時代の大学に必要なのは、大学独自の役割(ミッション)と、学生にマッチした授業と、それを実現するための改革とそのための惜しみない努力。新しい時代の大学の姿を提言。

試し読み
はじめに

 大学改革はなぜ必要か
 まず自己紹介を兼ねて、本書のテーマ、趣旨をお話しておきましょう。
 私は一九七〇年に渡米して大学院に入学、途中カナダでの役人生活を経てアメリカの大学院に戻り、七六年末に大学院博士課程を修了。翌七七年から、ミネソタ州立大学機構の大学であるセント・クラウド州立大学で新米の助教授として第一歩を踏み出しました。
 八六年に教授になり、八七年には学部長代行、八九年から九四年までミネソタ州立大学機構秋田校の学長を務めました。九八年に桜美林大学大学院教授、翌年には教学担当副学長に就任し、同大学の改革を手がけた、主として教学部門における大学の行政管理のプロフェッショナルです。
 このように、日米を通して三十数年を大学人として過ごしてきましたが、その中で、九五年から九七年までは国際交渉を主たる生業とし、プロの国際交渉人として、七回のオリンピックや、二〇〇二年のワールドカップ日韓大会開催にもかかわってきました。その後桜美林大学から招聘を受け、今日に至っています。
 さて、それではなぜこのようなテーマの本書を著すことになったのか、経緯を説明しておきましょう。
 私が四十年ほど前に学んだのはICU(国際基督教大学)です。そこでは日本の他大学とは比較にならないほどの勉強量が要求され、極めて厳格な成績評価が行われていました。そしてアドバイザーによる個人的な指導から始まり、履修科目や専門の選択など、様々なことがアメリカの大学と同様に行われていました。
 ICU卒の多くの例にもれず、私はアメリカの大学院に進学したのですが、何の違和感もなくアメリカの大学院のやり方に順応できました。その後二十年あまりを北米大陸で過ごすことになるのですが、その大半を大学で教鞭を執り、行政管理者として大学の運営、経営に携わりました。
 そういう意味において、桜美林大学は私が直接関与した初めての日本の大学でした。桜美林に着任して随分いろいろなことに驚かされました。これほど日米の大学に違いがあるとは思ってもみませんでした。
 そしてアメリカにいる間に、多くの日本の大学教員の留学のお世話をしたり、日本の大学から来られていた多くの教授諸氏と親交がありました。随分たくさんの方が、いろいろなことを学んで帰国されたと思っていましたから、日本の大学はもう少し効率的に運営され、学生の立場を考えて教育活動を行い、開かれた組職になっているだろうと思っていたのです。
 しかし、日本の圧倒的大多数の大学では、相変わらず学生や社会一般に対する責任感は薄く、教員は教育者というより研究者としての意識があまりにも強く、そしてなによりも、学生が受益者であり、大学存在そのものを支えているのだということがほとんど理解されていないことに気がつきました。
 そのようなことがきっかけになり、日本中の大学で大学改革の必要性を説き、また机上の空論ではなく実務経験者として、多くの大学の改革のお手伝いをさせていただくようになりました。現在、勤務校では行政管理者としては退き、大学院の教員としてプロの大学教職員に対して教育、啓蒙活動をしています。

 改革すべき点は何か
 私が現在大学で何を教えているのか、どういう活動をしているのかということについて述べておきましょう。
まず教えるほうでは、桜美林大学の大学院に大学アドミニストレーションという専修がありますが、ここで大学の経営管理、行政管理を教えています。このアドミニストレーション=administrationという英語は、本書の重要なキーワードでもありますので、ぜひ頭の中に入れておいてください。
 私の授業を受講しているのは、ほとんどが大学の教職員、とりわけ事務職の人たちが中心です。ですから、皆さん全員、大学の行政管理のプロ。大学をどうやって経営していくのか、運営していくのか、そして、それぞれの大学で、学生諸君にどうやって充実した学生生活を送ってもらおうか、ということを日々考えている、現役の大学人です。
 平均年齢は四十歳前後。大学運営の中核を担う人材です。そういう人々が、北は北海道から南は沖縄まで、私の授業に集まってきます。
 こういう、大学内部の人たちの視点から見えてくる現在の大学の問題点は、他の誰が語るよりも、どんなえらい先生のお説よりも、真実味を持っています。
 そして、大学外の活動としては、東京、京都、神戸などを先駆とし、各地域で多くの大学関係者が集まって協議をするコンソーシアムという場がありますが、そこに招かれて講演をします。もちろん、単体の大学から要請を受けて、その大学の改革を理事長、学長など幹部をはじめ、教職員と計画、立案、そして実行していくことも多々あります。
 私が話すテーマは何か。このところの大学に関する話題では、かなりの数の私立大学で「定員割れ」しているという現実があります。それに伴って「大学の経営危機」ということを取り上げます。ちょっと前までなら、冗談だろうと言われたに違いない「母校消滅」も、現実のことになっているのです。
 そういった状況の中で「どうやって大学を立て直していくか。改革すべき点は何か」というテーマを具体的に話し、実際に改革のプランを提示し実行することが、私に求められています。そのためには、たとえ古い大学人から苦い顔をされたとしても「ここが日本の大学のダメなところ、致命的な欠陥ですよ」と指摘していきます。

 大学の任務は学生を教育すること
 私には、大学改革についての明確なビジョンがあります。そして、その改革は誰のためにあるのかと言えば、受益者のため、です。では受益者とは誰か。圧倒的大多数の大学において、受益者は学生です。つまり、大学は学生を教育するためにあるのです。
 多くの大学人、とりわけ教員は、ここまで本書を読まれると「大学の大きな使命は教育だけではない。研究も同じように大事である」と異議を唱えられると思います。それには反論するつもりはありません。
 大学が行う学問研究活動は、社会に対して負う大きな使命のひとつであることは万人の認めるところです。しかしながら、全ての大学が研究を第一義的な目的としているわけではありません。むしろ、多くの大学は研究機関であるよりも、教育機関として社会から負託を受けています。特に多くの私立大学においては、その収入の圧倒的大部分を、学生からの納入金、つまり入学金や授業料で賄っています。
 全国の私立大学の平均を見ると、各大学は収入の約八十二パーセント以上を学生からの納入金に頼っています。ですから、学生としてはその大学が行う活動の八十二パーセント分は、自分たちの教育にダイレクトに還元してくれなければ困るのです。
 というわけで、本書では「教育機関としての大学」という観点から話を進めていきたいと思います。
 ひとつ断っておくことがあります。私の行ってきた大学改革は基本的にアメリカ・モデルです。アメリカでの経験に基づいた改革、アメリカの大学の高い効率性などが基本になっています。しかし、根拠なきアメリカ至上主義ではありません。
 アメリカ以外の国々にも素晴らしい高等教育機関がたくさんあります。もちろん、日本の組織にも素晴らしい点がたくさんあります。しかしながら、アメリカは大学教育を大衆化(ユニバーサル化と最近の大学人は呼びます)した初めての国です。そして長い高等教育の歴史の中で、最も改革を早く行い、効率的に運営している国です。 (…この続きは本書にてどうぞ)