既刊情報

ジャンル:単行本 随筆 ノンフィクション 他

夏から夏へ

夏から夏へ 


著者 : 佐藤 多佳子

  • 判型 : 四六判
  • 頁数 : 312ページ
  • ISBN : 978-4-08-781390-6
  • 価格 : 本体1,500円+税
  • 発売日 : 2008年07月25日

日本代表リレーチーム、メダルへの熱き挑戦!
『一瞬の風になれ』で本屋大賞を受賞した著者が、2007年の世界陸上から日本陸上選手権大会までを日本代表チームに取材し、世界に挑む日本のトップアスリートたちの熱き闘いを描いたノンフィクション。

試し読み
 第一部 世界陸上大阪大会


  1 北サイド・スタンド

 2007年8月31日、北サイド・スタンドの席に着くまでに、スタジアムのまわりを半周以上は絶対歩いた。ゲートを間違えたというより、わざわざ無駄に逆方向に歩いたらしい。外側をまわると、スタジアムというものの巨大さがリアルに身にしみる。汗びっしょりで何とか席にたどりついて、ほっと一息つくと、まず思った。
 今日は涼しい。

 世界陸上大阪大会の七日目。観戦は二度目で、100m決勝の行われた26日にも来ているが、その夜はただ座っているだけでも気が遠くなりそうな酷暑だった。夜が更けてもまったく気温が下がらず、昔、大学の卒業旅行で行って熱中症で倒れた赤道直下のモルジブを思い出した。比喩でなく、まさに熱帯の夜だ。31日は、皮膚に粘りつくような湿気は同じだが、気温が5度くらい低くて本当に楽だった。選手たちも楽だろう、ずっとこのくらいだったら良かったのに、競技結果も違っていたかな、とふと思い、それは無意味だと考え直した。一つの競技において条件は同じだ。どんなに暑くても力を出せる人は出せるし、1位の人は1位だ。

 世界陸上――と呼ばれているが、要するに、陸上競技の世界選手権大会である。第一回が1983年の第一回ヘルシンキ大会で、以来四年に一度、1991年の東京大会からは二年に一度、開催されている。オリンピックの誘致みたいに騒がれることはないが、毎回、場所を替え、世界中で行われる。日本では、1991年の東京大会についで、16年ぶり、二度目の自国開催となる。
 91年の東京大会は、30歳でピークが過ぎたかと言われていたカール・ルイスが100mで世界新記録を出して優勝したり、高野進が400mで決勝に残ったり、日を追うごとに盛り上がって観客もどんどん詰めかけた。私もテレビにかじりついて毎日見ていた。すばらしいスポーツ・イベントだったが、まだ、日本人選手の多くは世界レベルに遠く、外国人のスター選手の活躍を楽しむ大会だった。
 それから16年。日本の陸上は進化を続けている。マラソン勢以外にも、高野進、末續慎吾、室伏広治、為来大らが、短距離、投擲、障害とそれぞれの種目で世界大会のメダリストやファイナリストになり、伊東浩司や朝原宣治がアジア記録を更新したりヨーロッパのグランプリをまわったりして、世界の一線で闘えるアスリートが増えていった。今回の大阪大会でも、参加する、ベストを尺くすという以上に、大きな勝負をして大きな結果を期待された選手たちは多かった。
 野球やサッカーに比べて、あるいは同じ陸上の中でもマラソンや駅伝と比べて、トラック&フィールドは決してメジャーなスポーツではない。試合のテレビ中継は少ないし、競技経験のない人が普通に趣味でスタジアムに観戦に行くこともそんなに多くはないだろう。
 私は、高校陸上のスプリンター達をモチーフにした小説を書くために、陸上部の練習や試合を四年に渡って見るという経験をして、この世界の魅力に取りつかれた。スタジアムで見るナマの陸上競技は、半端でなく面白い。高校生からトップ・アスリートまで、それぞれのレベルで胸躍る戦いやチャレンジが繰り広げられる。知れば知るほど奥が深いのだが、なかなか入口が見つけづらいのが、もったいないことだと思う。
 そのトラック&フィールドの魅力を世の中にもっともっとアピールし、浸透させるための絶好の機会として、この世界陸上大阪大会は、日本代表選手たちに意識されていた。すごいパフォーマンスを見せて、できればメダルを取って、華やかな活躍でスタジアムを盛り上げて、どんどん人を呼んで、様々な種目の魅力を選手の個性を忘れがたいものにしたい。活躍が期待される選手、陸上界を背負う立場の選手は、そのことを使命のように口にし、自らに戒めていた。モチベーションになるか、プレッシャーになるか、両刃の剣のようなもので、残念ながら、今回は、悪いほうにざっくりと切れてしまった。
 力のある選手たちの信じがたい惨敗、連鎖反応のような連日の脱落。戦って敗れたというより、まともに戦うことすらできなかったという印象を強く世間に与えた。もちろん、こんなふうにひとくくりにして書くのは正しくない。日本選手全員が力を出せなかったわけではない。凄いレースやパフォーマンスもあり、実力通りの確かなチャレンジもあった。また、敗戦にしても、一つひとつ、原因も経過も意味合いも違っている。
 ただ、ムードが悪かったのは確かだ。スタジアムは空席が目立ち、メディアは酷評した。
 8月31日、大会七日目、閉幕まで後二日を残すその夜も、観客は多くなかった。日本人選手への期待が大きくふくらんでいたとも言い難い。ただ、その夜は、リレーがあった。男子4×100mリレーの予選。

 陸上の日本代表チームにおいて、4X100mリレーは、常に期待される種目だ。2000年のシドニー・オリンピックから五つの世界大会(五輪、世界選手権)で連続して入賞している。入賞というのは、8位以内ということで、つまり、必ず予選は勝ち上がっている。これは、すごい結果だ。100m10秒前後のタイムを持つトップ・スプリンター達が超高速でバトンをつなぐ、このスピーディーなレースは、失敗と常に背中合わせで、走力では敵なしのアメリカが(ただし、そのために、ほとんどバトン練習をしない)時々ミスで自滅する(世界選手権だけで、95年からの10年間に3回予選落ちしている)。そんなにたやすく決勝を走れるわけではない。
 ルール改正で、2004年のアテネ五輪から出場国が16カ国に絞られ、準決勝がなくなったため、予選、決勝の2本のレースになった。選考基準は、大会前約一年間の資格大会でのベストとセカンド・ベスト(二番目にいい記録)の平均タイムによる。出場条件が厳しくなったので、バトン練習をあまりやらなかった国も熱心になったとか、選手権で四人のメンバーがちゃんと揃わずにエントリーできないとか、4×100mリレーをめぐる状況は変化してきている。出場するのはむずかしくなったが、決勝に進める確率は高くなったということだろう。
 4×100mリレーは、400mトラックを四人の走者がバトンをつなぎながら100mずつ走る(厳密には95mだったり、120mだったり、ポジションや走力や戦術によって少し変わる)。もう一つのリレー競技、4×400mリレー(通称マイル)は、一人の走者がトラックを一周してつないでいく、1600mリレーになる。4×100mリレーのほうが、誰もが馴染みのある運動会のリレーにイメージが近いだろう。クラスで最も速い四人が、思いきり全力で走ってバトンをつないで勝負する、いわゆる“リレー”だ。四人でバトンを中継するため、四と継をとって、四継、ヨンケイとも呼ばれている(以下、4継と表記)。
 日本代表チームの4継は、メダルにはまだ届いていないが、アクシデントがなければ取っていたかもしれないと言われているレースが二つある。一つは、2000年のシドニー五輪で、3走の末續慎吾が肉離れを起こし、6位に終わったレース。もう一つは、2001年のエドモントン世界陸上でやはり3走の藤本俊之が隣のレーンの選手に激しく接触されて5位になった。このシドニー、エドモントンの頃は、世界的に短距離のレベルが落ちていた時期でもあり、エドモントンは特に強豪国がバトンミスで予選敗退していたので、稀に見るビッグ・チャンスだったという。
 今年の大阪大会も、世界のレベルの中で、日本の実力は、かなり期待できるものだった。四人のスプリンターの走力は高い。そして、幾つもの世界大会での経験や、毎月行った代表合宿での練習により、メンバー同士の連係は確固たるものがあった。 (…この続きは本書にてどうぞ)