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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

情報・知識&オピニオン imidas

生きづらい女子たちへ

Columns

雨宮処凛

恋、仕事、人生、思うようにいかないのはなぜ?
そんな女性たちに、時に優しく、時に暑苦しいエールを!

「キャラ」という地獄
「#MeToo」以降、多くの女性が自らの体験したセクハラ被害を訴えている。今までは言えなかったこと、言っても「大したことじゃない」なんて口を封じられていたことが「被害」として認識されるようになったことは、大きな前進だと思う。

 一方で、「被害」なのか「被害じゃない」のかわからない、という経験を抱えて悶々としている人も多いのではないだろうか。例えば、職場などで作られた「キャラ」的に、「こういうことをされて傷付いた」なんて言えない、もしくは言っても信じてもらえない、相手にしてもらえないなど。特に「女芸人キャラ」「女捨ててるキャラ」「何言っても大丈夫キャラ」になっているがゆえに、その手のことを問題にできないなんて女性も少なくないはずだ。

 そんなことを考えていて、思い出したことがある。

 それは数年前。ある取材で、某地方を訪れた際のことだ。一緒に取材に訪れたのは気心が知れた男性編集者。もう長い付き合いで、お互い辛辣なダメ出しをし合うような関係だ。そんな彼の中での私は「過激派キャラ」。「無頼キャラ」と言い換えてもいいだろう。
 なぜ、そのようなキャラなのか。それは私の経歴による。元右翼だったり、初めての海外旅行が北朝鮮だったり2回目の海外旅行がイラクだったり、その後も「活動家」としてしょっちゅうデモなどに繰り出すという事実から、「行動派」で「怖いもの知らず」というようなイメージは常に持たれてきた。が、実は筋金入りの小心者。というのはごくごく親しい人のみが知ることで、「過激派」「無頼」的なキャラはよく私に投影されるものなのでまったく気にしていなかった。


 しかし、ある日、そのキャラは、ちょっとシャレにならない形で私を窮地に陥れた。

 それは取材先の宿泊場所。その日、私は編集者が決めた場所に一人で泊まることになっていたのだが、当日までどんな所かは知らされていなかった。が、取材が始まってすぐ「雨宮さん、今日はここに一人で泊まってもらうから」と指差された場所は、あまりにもあまりな所だった。

 外見は、ボロい一軒家。それだけなら全然いい。しかし、真夏だというのにその一軒家にはクーラーがないという。それもまだ、仕方ない。が、編集者が次に言った一言に、みるみる血の気が引いていった。その一軒家は「事情があって行き場がない人」に開放されているものらしく、なんと刑務所から出所したばかりの男性が滞在しているのだという。もともと空き家だったようで、管理人などはおらず、その時いるのはその男性のみ。ということは、私はたった一人で「出所したての男性」と一つ屋根の下で一夜を共にしないといけないということだ。一軒家は「ザ・日本家屋」といった感じで、外から見ただけでも部屋の仕切りは襖(ふすま)のみということがわかる。当然、鍵がかけられる部屋など存在しない。

「え、ちょっとそれは……」

 言いかけたけれど、「大丈夫大丈夫」と軽く笑って返された。そんなふうにまったく悪気なく言われると、「さすがにそれは無理」という当たり前の言葉をどうしても口にすることができなくなった。同時に、頭の中ではいろんな思考がぐるぐると回る。


 ここに泊まるなんて、嫌だ。とても嫌だ。けど、そもそも私って、「見知らぬ男と二人きりは怖い」とか、そんなこと言えるキャラだっけ? ましてや「知らない男に襲われるかも」とか、自意識過剰なこと考えてるみたいに思われるのでは? っていうか「大丈夫」って言葉には、「誰もお前のことなんか襲わねーよ」って意味も込められているんじゃない? それなのに騒ぎ立てるって、相当恥ずかしい女? なんかそういうことに「怖い」とか言えるのって、可愛くてか弱い女子だけなのでは? だけど、刑務所帰りってことは何かしらの犯罪を犯したってことで、何やらかした人? 窃盗も嫌だし、レイプ犯なんてもってのほかだし、もしかして殺人とか? いや、でも「刑務所帰り」=「危険」とか、そういう決めつけもよくないし、すでに刑は終えてるわけだし、きっと罪を犯した背景にはいろいろと事情があったんだろうし。だけど、だけど……。

 悶々と考えつつも、心の中は「無理」という思いで一杯だった。しかし、せっかく編集者が準備してくれた「宿」に難癖をつけるなんて、そんなことを私ごときがしていいのだろうか? 「こんなとこ嫌だ」なんて、「わがまま」だと思われるのではないだろうか?
 そこまで考えて、あることを思い出した。それは、さまざまな出版関係の人から耳にする「困った作家、困った著名人」伝説。ホテルのランクやレストランのランクなどにいちいち文句をつけるという著名人たちの噂だ。その手の話は「あんな素敵な小説を書く人がそんなことでギャーギャー言うなんて」というガッカリ感に満ちていて、聞くたびに「そんなふうにだけはならないでおこう」と心に決めるのだが、今、私がしようとしてることってそれじゃないの? 「あの人って、貧困問題とかテーマにしてるくせに、宿のランクにうるさいらしいよ」とかそんな噂が広まったらどうしよう……。


 しかし、考えれば考えるほど、私が気にしているのは泊まる場所の「ランク」などではないのだった。最低限の安全とプライバシー、それが確保されていないことなのだ。一軒家であれば、トイレも風呂も一つ。「出所したての男」と顔を合わせないで一夜を過ごすのは無理だろう。というか、泊まるのであればどういう人なのか、最低限、知っておきたい気持ちもある。同時に、見知らぬ男にすっぴんやパジャマ姿を見られる可能性があると考えただけで冷や汗がにじむ。それに、襖しかないような家なのだから、寝ているところを覗こうと思えばいくらだって覗けるだろう。さらに「やたら社交的な人」だった場合、もっとやっかいだ。夜中までおしゃべりに付き合わされる可能性だってある。そこに「酒」なんか入ったら最悪だ。しかし、編集者の中の私は、そういうすべてをまったく気にしないどころか「楽しめる」キャラになっているようなのだった。

「今夜の宿」を知らされてから、取材はまったくうわの空だった。「どうやって断ろうか」、そればかり考えていたからだ。結局、この日は丸一日取材したものの、今になっても何の取材だったかまったく思い出せない。結構な数の人と会って話をしたはずだが、顔も名前も覚えていない。ただただ生きた心地がしないまま、夜が来ないことだけを祈っていた。

 そうしてすべての取材を終えた頃、編集者は私を宿泊場所まで送って行くと言った。今しかない! そう思った私は急に体調が悪くなったふりをして「すみません、ちょっと体調悪いんで今日は帰ります!」と有無を言わせない感じで宣言。脱兎のごとく逃げ出すことに成功したのだ。


 しかし、今思う。その日はたまたま宿泊なしでも取材に支障がなかったからよかったものの、次の日も朝から予定がびっしりでどうしてもそこに泊まらなければならなかった場合、私は果たして断れただろうか、と。その時の私は、「空気を壊す」ことが何よりも怖かった。強く言われていたら、きっと泊まっていただろう。そしてもし、そこで「何か取り返しのつかないこと」が起きたとしても、私はおそらく編集者には何も言えなかったと思うのだ。仕事を失うのが怖いから。面倒な奴、と思われるのが嫌だから。自分の身も自分で守れないなんてダメな女、と思われたくないから。事が重大であればあるほど、たぶん、言えない。

 東京に戻り、そんな顛末(てんまつ)を何気なく友人に話したところ、彼女は烈火のごとく怒り出した。

「ちょっと、そんなとこに一人で泊めて、襲われでもしたらどうすんの?」「一軒家で知らない男と二人きりで、何がどうして大丈夫なの?」

 本気で怒る彼女を見て、「ああ、これってやっぱり怒っていいことなのか」と泣きそうになった。編集者にしてみれば、ちょっとした悪ノリというか、私に対する「サービス」ですらあったのかもしれない。また、「出所者のシェルター」になっているような場所だからこそ、私も関心を持つと思って選んだ可能性もある。

 もちろん社会問題としてそういう場所に関心はあるが、それと「そこに一人で泊まる」というのはまったくの別問題だ。でも、彼の中で私は過激派・無頼キャラ。「見知らぬ刑務所帰りの男と二人きり」なんて状況にビビること自体が、想定外だったのだと思う。が、友人は、私がいかに小心者かを知っている。そしてその環境が、女性にとってはどれほど恐怖に満ちたものかも知っている。


 だけど、私は言えなかった。そして誤魔化して逃げ出した。

 そうして、思った。「ちゃんと怒る」って、なんて難しいのだろうと。

 普段から、私たちは「怒り」を封じられている。ちょっと怒ったら「モンスター○○」なんて言われかねない世の中だし、メディアには時々店員に土下座をさせるような「クレーマー」が登場し、世間の大バッシングを受けている。「怒っている人」=「おかしな人」という刷り込みがある上、小さな頃からとにかく「従順でいろ」と言われてきたので怒れない。いつからか「怒る」ことへのハードルは恐ろしく高くなっていて、だからこそ、本当に必要な時に意思表示をすることができない。「正当な怒りの表明」は、瞬発力がないとできないのだ。日頃から訓練していないと不可能なのだ。

「怒れない」背景には、自己肯定感の低さもある。自分なんかはこの程度のことで怒ってはいけないのだ、という縛りは、今に始まったことではなく子どもの頃から私に染み付いている。その上で「自分に期待されているキャラ」を演じなければ、という余計な義務感が加わってしまうと、「怒る」など異次元の話だ。そうして怒ったところで「冗談の通じない奴」扱いされてバカにされて終わる。そんなことを経験しているからこそ、怒れない。

 このことについて、何が「正解」だったのか、今もずっと考えている。ちなみにその編集者とは、今も親しく付き合っている。このことを話題にしたことはない。だけど「対等」だと思っていても、あの時、私が誤魔化すことしかできなかったのは「仕事をもらっている」という立場があったからなんだよな、と思う。そんなこと、普段はまったく気にしていない。逆に私の方が「悪ノリ」でいろいろと辛辣なことを言っているくらいだ。だけどあの時、私は「断れない」と思い込んでいた。そういう時、それまでまったく見えなかった力関係がはっきりする。きっと相手はその力の差に気付いていない。すべてのハラスメントの芽は、ここにある。だからこそ、自省も含めて意識的でいなくては、と思う。


 活動家で、怖いもの知らずの行動派キャラ。それは私の一部分ではあるけれど、当然すべてではない。素の自分は、むしろ正反対だ。しかし、男女問わず多くの人が知らず知らずに自分に投影されたキャラを演じ、いつの間にかそれに縛られ、そのことで苦しんだり、時には身に危険が及ぶような事態になっていると思う。それでも、「そんなキャラを作ったお前が悪い」と自業自得を突きつけられる「キャラ地獄」。正当な怒りの表明の仕方と同時に、すべての人が「自分のキャラ」との付き合い方を考えるべきなのかもしれない、と改めて思ったのだった。

雨宮処凛
(作家、活動家)

雨宮処凛(あまみや かりん)

作家/活動家
あまみや かりん 1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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