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Shueishagakugei

謹んで令和元年台風災害のお見舞いを申し上げます。

度重なる台風により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、避難生活や復興の支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、
一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

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時事問題や社会現象、文化、スポーツまで現代の動きを各界の専門家が解説。

権威ではコロナを抑えられない 過去の教訓を生かした韓国の対策


3月11日、疾病管理本部を訪ね、鄭銀京(チョン・ウンギョン)疾病管理本部長(左)の説明を受ける文在寅大統領。青瓦台提供。

 韓国で一人目の新型コロナウイルス感染者が確認されたのが2020年1月20日のことだった。それから2カ月半以上がたち、今や新型コロナウイルスのある風景は韓国の日常となりつつある。

 バスやあちこちの建物には、くしゃみと咳の際のマナー、手洗い、マスク着用という基本原則を扱ったステッカーが貼られ、消毒ジェルも随所に置かれ、手の乾くひまがない。日に数度、携帯電話には政府から一方的に緊急メッセージが送られてくる。ビーッとうるさいため、消音にしていないと寿命が縮む。

 毎朝11時の政府対策本部の記者会見はラジオやテレビで生放送され、新規感染者、検査数合計、死亡者、完治者などの数字が読み上げられるとともに、重要な決定事項が発表される。さらにLINEに登録しておけば、この数字は午前10時過ぎに3通のメッセージとしてグラフ付きで受け取ることができる。

 ラジオでは事あるごとに「ソーシャル・ディスタンシング」、つまり社会的に距離を置こうと呼びかける。隣人と2メートル以上の距離を取ることから、外出はやめよう、仕事が終わったらまっすぐに家に帰ろうとうながす。街路樹にも、同じ内容の垂れ幕が掛かっている。

 さらに物語にも事欠かない。新型コロナウイルスが大拡散した大邱(テグ)市にボランティアに行った医師や、コロナに感染したが完治した市民が自らのエピソードを語りながら「大韓民国はコロナとの闘いに必ず勝てる」と締めるコマーシャルを各自治体などが競って作り、心を揺さぶる。ソウル都心の政府庁舎にも「コロナに勝とう!」と巨大な垂れ幕が下がる。

 原稿を書いている4月8日午前0時時点での感染者は1万384人。累積検査人数は46万6003人、完治6776人、死亡者200人だ。

 この原稿を日本の読者に向けて書くにあたって、何をどう書くのか散々迷った。ただ、筆者は普段から韓国社会の現象や問題を時に眺め、時に体験し、さらには分析して生きている人間である。このため、新型コロナウイルス拡散によりあぶり出された、いくつかの韓国の姿のうち最も大切で政府や人々がプライドを持っている部分、すなわち「開放的かつ民主的に感染拡大を抑えている」という部分を整理してみたい。

韓国政府の「原則」

「開放性と透明性、民主的で自発的な参加」

 これは今や、韓国政府お気に入りのフレーズとなった、韓国の新型コロナウイルス対応における大原則だ。

 3月27日、「中央災難安全対策本部(中対本)」の第1次長を務める朴凌厚(パク・ヌンフ)保健福祉部長官は、世界保健機構(WHO)がテレビ電話で開催したコロナ19定例会議に参加し、WHOの加盟国に対し韓国の防疫体制の現況やその間の経験について説明した。

 この場で朴長官は、「世界化と多元化を基盤にする、民主主義国家に符合する韓国の感染病対応の体系の特徴」をアピールし、自国の対策法を売り込んだ。そして「何よりも開放性と透明性に基づく市民の参加を前提とし、韓国が持つすべての力を総動員しながら、最先端の情報通信技術(ICT)などの創意的で革新的な方法でコロナ19に対応していること」を強調した。

 またこれに先立つ3月9日、金剛立(キム・ガンリプ)保健福祉部次官はソウル市内で行われた外信記者クラブでの政府合同記者会見の席で、「これまでとは異なる新たな感染病対応モデルを導入中で、そのモデルの核心は『開かれた民主社会のための躍動的な対応体系』である」とした。

 そしてその特徴として、(1)透明で迅速な情報公開、(2)開放的な民主主義と共同体精神を尊重する多くの市民の自発的な参加、(3)創意的な方法の模索とIT技術の積極的な活用の三つを挙げた。

 政府の両高官は、当然だが政府の同じ方針を述べている。筆者は在日コリアン出身でソウルに17年以上住むなどそれなりの韓国経験を持っているが、「ずいぶん洒落た哲学でやってるな」というのが正直な感想だった。

 それと同時に、「いつからこういうコンセプトを持ち始めたのか」が大いに気になった。

 感染者が増えるや豪腕をふるって武漢市を封鎖した中国や、死者があふれスケートリンクに遺体を並べるスペインの姿を見れば分かるように、感染病との闘いというのはもっと現実的で泥臭いものだという先入観と、韓国の青臭い理想論は対極にあるように思えたからだ。

準備を重ねてきた韓国

 実は今回の新型コロナウイルスへの対策は、韓国にとって「三度目の正直」だった。

 韓国では11年前、2009年5月から新型インフルエンザ(H1N1)が大流行し、同年の年末までに約75万人が感染し、うち263人が死亡するという事態が起きた。

 当時、韓国政府の対応の遅れと危機意識の低さは問題視された。特に、5月に発生したにもかかわらず、危機警報を全4段階のうち、3段階目の「警戒」に引き上げたのが7月21日、最高レベルの「深刻」に引き上げたのが11月3日と、遅れが指摘された。

 初めての死者が出たのは8月、10月の時点ではすでに、1000を超える全国の学校で新型インフルエンザが拡散、休校する学校が相次ぎ小学生の死者も出ていたからだ。

 韓国政府の感染病危機管理マニュアルでは、「深刻」にレベルを引き上げると、全国の学校の休校を検討し、大規模なイベントを禁止できるようになる。

 状況が沈静化した後、政府の中対本はこうした失敗の教訓、中でも「情報の共有不足や患者の発生状況」「疫学調査官の不足」などの項目を明記し700ページを超える白書にまとめ、改善を誓った。

 それから6年後の2015年に、韓国政府はふたたびウイルスの挑戦を受けた。

 5月20日に一人目の感染者が確認され12月23日に終息宣言が出されるまで、韓国をMERS(中東呼吸器症候群)の流行が襲ったのだった。当時186人が感染し、うち38人が死亡、隔離者は1万6693人にのぼった。

 日本では感染者がいなかったため大きな話題とならなかったが、韓国では当時、致死率の高さや大病院が感染元となったことなどから、少なからず恐れられた感染病だった。一部ではインスタントラーメンや缶詰などの買い占めも起きた。

 だがここでも韓国政府は「失敗」し、自らこれを認めている。

 韓国の保健福祉部は16年7月に『2015 MERS白書』を刊行した。副題は「MERSから教訓を得る!」。政府刊行物に似合わない「!」を使っていることからも分かるように、感染病対策を変えるという明確な目的をもって書かれた報告書だった。分量は488ページにわたる。

 その冒頭で、鄭鎭燁(チョン・ジンヨプ)保健福祉部長官(当時)はこう述べている。

「5月20日から6月8日まで、政府はMERSに対する情報と専門家の不足、情報公開の遅延などで初動対処をしっかりとできなかったという評価を得た」

 またしても「情報公開の遅延」である。

 実際に、当時の朴槿恵(パク・クネ)政権は感染者が出た病院名の公開をすぐにしなかった。さらに感染者確認から20日たってから官民合同対策本部を発足させるなど、指揮系統が定まらず右往左往する姿を見せたことで、強い批判にさらされた。

 こうした経験を踏まえ上記の報告書では、疾病管理本部の強化、地方自治団体の感染病管理組織の確保と強化、医療機関の感染管理力強化、中央と地方自治体、医療機関間のネットワーク構築、危機時の意思疎通(コミュニケーション)力の強化などを課題に挙げている。全面的な強化に他ならない。

 その結果、政府の疾病管理本部(KCDC)は格上げされ、本部長も次官級となった。16年には緊急オペレーションセンターや感染病診断管理課などが新設され「次」に備えた。

 幸運も重なった。韓国政府は昨年(2019年)10月末には「エボラウイルス」の韓国初の侵入に備えた訓練を国を挙げて行い、同年12月17日にも未知の病原体に対する検査技法を整える訓練を実施していた。疾病管理本部の幹部は今年3月のロイター通信とのインタビューで「運が良かった」と明かしている。

 そして新型コロナ感染者が600人を超えた今年2月23日、韓国政府は2009年の新型インフルエンザ流行時以来11年ぶりに、国家の危機対応段階を「警戒」から「深刻」に引き上げた。そしてやはり09年当時と同じく、「中央災難安全対策本部(中対本)」を設置した。

 09年と異なるのは、対応の速さだけでなかった。05年にこの制度ができあがって以降はじめて、国務総理が本部長となった。国務総理とは、行政を統括する韓国のナンバー2にあたる職務である。

 韓国政府によると、中対本は「『災難および安全管理基本法』により行政安全部に設置される汎政府の最高レベルの非常対策機構であり、大規模災難の予防・準備・対応・復旧などに関する事項を統括・調整するコントロールタワー」と位置づけられる。

「開放的」とは

 こうした過去の上に、先に述べた「開かれた民主社会のための躍動的な対応体系」という政府高官の発言があった。

「開かれた」という言葉から読み取れるように、そして過去の苦い経験を基に、韓国政府は今回の新型コロナウイルス対応において情報の公開に力を注いでいる。これは『2015MERS白書』でも引用しているように、世界の感染病対策をリードする米国の疾病対策センター(CDC)が「何よりも重要」と評する「大衆と政府の信頼構築」に欠かせないものだ。

 だが、時にそれは「やり過ぎ」と感じることもある。

 国民の携帯電話はGPSで追跡され、ショートメッセージを通じてその場所に合った感染者に関わるメッセージが届く。例えば、筆者は普段は京畿道金浦(キンポ)市に住んでいるため、金浦市や仁川(インチョン)市など付近の情報が届く。だが、ソウルの光化門に取材に行くと、携帯電話には光化門がある鍾路(チョンノ)区や隣接する恩坪(ウンピョン)区の情報が入ってくるといった具合だ。

 さらに、感染拡大を防ぎ、接触者の検査をうながすために、感染者の動線がこと細かく公開されている。

 地方自治体のホームページでは、その地域に住む感染者がいつどこで何をしたのかが時間単位で分かるようになっている。感染者全員には1から9000番台まで番号が振られ、誰が誰の接触者なのかの説明もあり、どこで検査を受け、今はどこに隔離されているのかも一目瞭然だ。この情報をあぶり出すために、監視カメラに加えクレジットカードや、交通カードの利用履歴などのデータが活用されているのは言うまでもない。

 こうした政府の動きの根拠は「個人情報保護法」第58条1項第3号にある。「公衆衛生など公共の安全と安寧のために、緊急に必要な場合に一時的に処理される個人情報」に対しては、個人情報収集の制限から除外される。

 2015年のMERS拡散当時すでに、外交部(海外渡航歴)、教育部(学生名簿)、国土交通部(移動制限)、行政自治部(住民登録番号の提供)、国民安全処(既往歴)などの情報がやり取りされていた。

 さらに、2020年3月に「コロナ3法」と呼ばれる「感染病の予防および管理に関する法律」「検疫法」「医療法」が改定され、政府の権限を強化し、外国人にまでその対象を広げる措置を取った。

 名前は公開されないものの、当初は確診者(検査陽性者)が住むマンション名や年齢まで出ているため、若者がラブホテルに行ったりしている情報が出ると、ネットにおもしろおかしくさらされるという動きもあった。

 実際にソウル大学が2月に発表した世論調査結果によると、「自身が確診者となった時に、周辺から非難や追加の被害を受けることが怖い」とコロナ感染の恐怖について答えた人が最も多かった。

 こうした動きを受け、国家人権委員会は3月9日、「感染者の内密な私生活を守る方策を考え、求めるべきだ」との勧告を出した。今は、具体的な居住地は公開されなくなっているというが、それでも地域で確診者を知らせる速報でマンション名が出たりするなど、対応はまちまちだ。

 政府の情報公開を行う姿勢と、一人1台のスマートフォンから得られるデータ、さらに一人一つの住民登録番号で紐づけられる様々な社会的な足跡の記録が、「開放性」の正体だ。


ソウル市での確診者データの一例。#9864は韓国内で9864番目の確診者ということ。宿泊していたホテル、発症後に行ったレストランやカフェなど、細かい動線が記されている。現在の入院先も分かる。

「31番患者」を前に起きた専門家の論争

 話を少し戻す。2月23日に政府が危機警報を「深刻」段階に移行した際、すでに韓国第4の都市・大邱市では感染爆発が確実視されていた。「31番患者」と呼ばれる61歳の女性は、高熱や悪寒などの自覚症状があったにもかかわらず、500人近くが参加する新興宗教「新天地」の礼拝に参加し、知人の結婚式に出席するなど深刻な拡散者となった。

 大邱市ではちょうど、2月23日を境に確診者が大きく増え始めた。23日は310人であったが、1週間後の3月1日には2705人まで増えた。その後、大邱市さらに隣接する慶尚北道地域では、4月1日現在8000人を超える確診者が出た(大邱市6704人、慶尚北道1302人)。全体の8割を超えるため、その集中ぶりが分かる。

 だが大邱市ではこの時、知られざる葛藤があったという。この時の専門家の様子を、自身も慶尚南道でコロナ対策にあたる、慶南発展研究院の李官厚(イ・グァヌ)研究員(政治学博士)は31日、筆者にこう説明してくれた。

「感染病専門家の人たちによると、『新天地』信者の31番目の確診者を見つけるとともに、大邱市だけで1000人以上の有症状者を確認した時点で、今後数千人の感染者が出ることが確実視された。この時に専門家のあいだで『この水準の拡散なら、もはや統制は不可能だ。集団感染をさせて免疫を得る方向に変えて、生き残る人を生き残らせるしかない。それが教科書に出る方法だ』という立場と、『今は教科書を見る時でなく、一人でも多くの命を救う時だ。韓国の行政リソースとIT技術を組み合わせて、5000人でも1万人でも検査をしよう。私たちの方式でやってみよう』という立場のあいだで大論争となった。専門家たちが年齢や序列も関係なく、感情をむき出しにして論争をした。そして全数検査をすることで決まり、政府はそれに応えた。一種の冒険だった」 

 同様の内容を、国立がんセンターの奇牡丹(キ・モラン)教授(予防医学)も3月31日の韓国のラジオ番組で証言している。

「大邱での状況(31番確診者の存在)に気づいた時、すでに4000~5000人の患者がいた。そしてベッドが足りない2000人の患者が家で入院待機をし、亡くなっていった」
「研修施設などを開いて患者を受け入れなければならないが、市や道(県に相当)の知事が1週間ほど決められなかった。その後、(軽症者用の)生活治療センターができて入院患者が軽減されていった。この1週間、専門家の間で『大邱は何をやっているんだ』と怒声が行き交った」(奇教授)

 筆者はこれを「確診者へのこだわり」と表現したい。韓国では感染者よりも「確診者」という言葉がはるかに多く使われる。これは医学的には検査を行い、新型コロナウイルス陽性となった人を指す。筆者はこの言葉を、新型コロナ感染者を不気味な、目に見えない存在ではなく、透明で開放的な情報公開の上で社会の一員として位置づける概念とあえてとらえたい。

 2月22日、韓国の丁世均(チョン・セギュン)総理は緊急会見でこう述べている。

「政府は状況を隠さず明かしている。国民も同じようにしてくれれば、ウイルスが隠れる所はない」

 この言葉は、当時から日に1万人以上の検査をやり続けている韓国政府の対応を特徴づけるものといえる。ある病院やビル、教会で集団感染が発生した場合、韓国政府はすぐに全数検査を行う。一度目が陰性でも、潜伏期間を考慮し二度目、三度目と続け、情報を明かしていく。この姿勢こそが、新型コロナウイルスに対する民主的な対応を続けようとする、韓国社会の動きを引き出した。

「民主的」の妙

 金剛立保健福祉部次官は3月9日の、外信記者向け記者会見でこう述べた。

「伝統的な感染病への対応体系は、封鎖と隔離を重要視し、それなりの効率性を持っているが、閉鎖性と強制性、硬直性に短所があった。これにより私たちは民主主義の毀損と、市民が受動的な存在に転落するなどの弊害も経験してきた」

 これを克服するための第1段階が前述してきたような情報公開と、新型コロナウイルスに逃げ場所を与えない政府のやり方だった。

 そして、社会はこれに「共同体精神」と「自発的な参加」で応えた。例えばマスク不足。一時は文在寅(ムン・ジェイン)大統領まで乗り出して、政府を叱咤するほど韓国ではマスク不足が続いたが、サムスンなどの大企業が増産支援に乗り出す一方で、政府はマスクに関するあらゆる情報をオープンにした。2月28日から今まで毎日、公的なマスク供給量を会見で明かしている。

 3月初頭から一人あたり週に2枚のマスクを買える制度が導入されたが、この時にも政府が関連情報を公開したことで、市民はマスクの入荷情報が分かるアプリを開発したり、最もシェアのある地図アプリで入荷情報がリアルタイムで確認できるようになるなどの改良がいち早くなされた。

 同じように、大邱での感染爆発についても政府は隠さなかった。ギリギリの状況を公開しながら2月24日の時点ですでに全国の医療関係者に協力を呼びかけた。無償ではなく派遣された民間の医師や看護師、臨床検査技士などにも報酬を支払うことを明記した。

 医師には45万~55万ウォン(約4万~5万円)、看護師には同30万ウォン(約2万7000円)を日ごとに支払うとした。最低1カ月の勤務なので、しっかりした報酬が補償されることになる。また、派遣期間が終わっても14日間の報酬を補償し、参加へのハードルを下げた。結果、500人以上の医師や看護師、臨床検査技士などが駆けつけ、医療崩壊を防ぐことができた。そして、メディアはこうした物語を拡散した。

「自発的な参加」は、政府の内部にも存在したという。先の李官厚氏はこう語る。

「慶尚南道の場合もそうだが、今は中央や上部の指示を待って動くという雰囲気ではない。創意的なアイデアがあれば、知事が『責任は自分が取るからやろう』となる。これが中国という権威主義的国家との差だと思う。新型コロナ拡散初期に、疾病管理本部が企業と協力して検査キットを急いで作ったのも、ドライブスルー検査も同様だ。それができる土台がある」

 李氏は「2015年のMERSの教訓が大きかった。権威主義ではウイルスを統制できないということだ」と続けた。4月に入り、大邱市での新規確診者は20人以下に減った。韓国は大量の死者を出すかもしれなかった大邱市の危機で国力を結集し、都市封鎖をしないまま乗り切った。

社会的弱者を想いながら

 ふたたび、『2015 MERS白書』を見ると、355ページに「公衆保健危機時の個人の自由と権利制限時の考慮事項」という表があり、以下のように記されている。

一 個人の自由と権利を制限する措置が、法により提供され実行されなければならず
二 一般の善(general good)の正当な目標を持った場合にのみ留保可能で
三 そうした目標を達成するために、民主的社会で厳格に必要な水準で
四 同一な目標に向かうためには最も浸湿的(既存の規則を侵す方法)でなく制限的な手段で
五 科学的な根拠に基づき
六 任意に賦課したり差別的な方式であってはならず
七 公衆のために個人の人権と自由が制限されるとき、国家は彼らが不当に害を受けないよう保障し支援するべきだ(互恵性の原則)


 注によると、このうち6つ目までは国連が定める「シラクサ原則(人権を制限する場合の詳細な原則)」とのことであるが、こうした点も考慮して準備してきた点は印象的だ。

 最後に、この文章を終えるにあたって日本社会にどうしても強調しておきたいことがある。

「最も有効な被害の克服と景気改善対策は、1日も早く新型コロナ禍を終息させることだ。一旦、耐えてこそまた立ち上がれる。確診患者も耐えてこそふたたび立ち上がれる。今苦しんでいる零細企業の商工人もふたたび立ち上がれる」

 3月2日、洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相兼企画財政部長官(財務省に相当)は国会を訪れ、追加補正予算の成立をこう訴える途中で涙を流した。別に洪長官は、取り立ててリベラルな人物ではない。どちらかといえばシビアな財政専門家に分類される。だが、こうした姿を見て人々は、政府の対応の原則がどこにあるのか判断する。

 ソウル市の朴元淳(パク・ウォンスン)市長も事あるごとに、社会的弱者への支援を強調する。こうした姿勢は市民が落ち着いて、安心して暮らすには欠かせない。国家的な感染症に対する姿勢は「まず社会的弱者から」となるべきだ。

 見てきたように、韓国政府の新型コロナへの対応は「感染病拡大時に最も必要な『信頼』を得るために政府が情報公開を行い、社会がそれに応えた」という原則を徹底したものだ。4月15日に迫る総選挙を政府の頑張りの理由に持ち出す人もいるが、それだけでは説明できないことが多い。その間のプロセスはこれから分析され、落ち着いた頃にやはり白書として功罪がまとめられることになるだろう。

 ただ一つ言えることは、韓国政府と韓国社会は「開放的で民主的な」今回のやり方に自信をつけつつある。個人情報の取り扱いや今は支援から除外される外国人へ対応など、諸々の重要な問題も今後、この土台の上で折り合いをつけていくだろう。どれも予断を許さないものの、襲い来るウイルスに対する新たな第一歩としては、うまく踏み出せたのではないかと筆者は思う。

徐台教(ジャーナリスト)

徐台教 (ソ・テギョ)

ジャーナリスト
1978年、群馬県生まれ。韓国・高麗大学東洋史学科を卒業後、ソウルで人権NGOを立ち上げ北朝鮮人権問題に関わる。2009年からは記者として日本、韓国で一貫して朝鮮半島の報道を行っている。日本語ウェブサイト「The Korean Politics(コリアン・ポリティクス)」を運営する傍ら、Yahoo!JAPAN「個人ニュース」や「週刊エコノミスト」などに寄稿。韓国に「永住帰国」した在日コリアン三世。ソウル在住。

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