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吉田徹

政治学者の吉田徹が、新旧の名作映画から歴史や現代社会を読み解く。

「資本主義」それは自由か、束縛か

 新型コロナウイルスの広がりで、世界経済は急減速を余儀なくされています。ロックダウンや外出自粛、さらに国境や地域を超えた自由移動の禁止など、人間の活動を停止させれば、経済活動、具体的には人と人、組織と組織、国と国との間のお金やサービスの交換は成り立ちません。IMF(国際通貨基金)は、最近、2020年の世界経済の成長予測をさらに引き下げてマイナス4.9%と、大恐慌に見舞われた1930年代以来の最悪の状態を迎えるとの観測を発表しました。

 人類は、史上4回の大不況を経験したと言われています。最初が1870年代の「長期不況」、1930年代の「大恐慌」、戦後は1970年代の「石油危機」、さらに2008年からの「リーマンショック」です。2020年代は、これらに続く5回目の「コロナ恐慌」となる可能性もあるでしょう。過去の恐慌が市場メカニズムによって引き起こされたものだったのに対し、今回はウイルスによるという違いはあるものの、人類史の中で資本主義の危機は繰り返し生じてきました。

 コロナ恐慌があるとすれば、それはかつてないほど増加した、ヒト、モノ、カネ、サービスの自由移動という、経済と社会にまたがるグローバル化の結果でもあります。1990年代と比べて2000年代に世界の海外直接投資は10倍以上となり、世界経済に占める貿易シェアは1.5倍近くになりました。世界経済の一体化は第一次世界大戦と第二次世界大戦によって寸断させられましたが、20世紀後半の長い平和の時代は、資本主義を加速させ、その後、冷戦の終結と相まって、資本主義による経済市場の拡張を促しました。つまり、資本主義の膨張は、戦争が不在だったことの結果でもありました。

 資本主義の失敗と動揺は、いつの時代も大きな変化をもたらします。普仏戦争が原因の一つでもあった1870年代の不況は、帝政ドイツが第一次世界大戦へと前のめりになるきっかけを作りましたし、1930年代の大恐慌はナチを政権へと押し上げる要因となりました。1970年代の石油危機は、レーガンやサッチャーらによる新自由主義の誕生と冷戦崩壊を導き、そして2008年のリーマンショックに端を発した恐慌とその後の緊縮政策は、各国のポピュリズム政治台頭の理由となりました。だから、おそらくコロナ恐慌は、我々を予想しない混乱にこれから引きずり込むことになるでしょう。

 資本主義という言葉は、19世紀半ばにプルードンやルイ・ブランといったマルクス以前の社会主義思想家が用いて広まった言葉で(マルクス自身は「資本主義」という言葉よりも「資本制」や「資本家」という言葉を好んで使いました)、「様々なものを商品として市場での交換を通じて生産、物流、消費する仕組み」と定義できるでしょう。

 ポストコロナ時代を占うためにも、この資本主義がどのようなものであるのかを知る必要があります。そこで今回は、資本主義をテーマに3本の映画をセレクトしました。


今回紹介する3作品のDVD。左から、『怒りの葡萄』(発売元:20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン)、『マネー・ショート』(発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント)、『ティエリー・トグルドーの憂鬱』(発売元:熱海美術館)

『怒りの葡萄』――1929年の大恐慌

 最初に紹介するのは、20世紀不朽の名作、アメリカ人作家スタインベックの小説を映画化した『怒りの葡萄』(1940年)です。印象的な「怒りの葡萄」という題名は、人間を葡萄に見立てた新約聖書のヨハネの黙示録の一節からの引用だとされています。

 作品は1930年代、不況によって土地を追われる小作農とその家族たちの苦難を描きます。小説を書く上でスタインベックは実際に多くの現場で不況で困窮化した農民や労働者を取材し、小説は彼らの実際の声とスタインベックの語りからなる複雑な構成を持っています。『駅馬車』(1939年)など評価の高い西部劇で知られるジョン・フォード監督が、この物語を上手に映画作品にまとめています。

 主人公は、オクラホマ州に暮らす、元囚人で反骨精神に溢れるトム・ジョードとその家族です。仮出所となって実家に戻ったトムですが、そこに彼を迎える家族はいませんでした。干ばつと農業の機械化によって小作農だったジョード一家は、土地を所有する資本家に立ち退きを命じられたのでした。

 資本主義には、顔もなければ、名前もありません。立ち退き命令を出す農業経営の社長に彼らは怒りをぶちまけますが、代理人は「社長は銀行の指示に従うだけだ」と、資本主義の論理を振りかざします。「黒幕は誰だ?」「私にも分からん。分かってたら言うさ」。

 トラクターでもって小作農の家屋を破壊する任を命じられた若者はこう言います。「日当3ドルのため(にやってるん)だ」「俺が死んでもすぐ代わりが来る」。マルクスが言ったように、資本家とは資本が人格化しただけのものであって、その魂の化身でしかありません。

 資本主義の特徴は、あらゆるものを商品化していくことにあります。有名な経済史家カール・ポラニーは、19世紀になってから土地、労働、貨幣という、本来は商品化されていなかったもの、してはならなかったものまでを商品化していったことに現代資本主義の原型を見出しました(*1)。ポラニーの指摘の通り、土地が投機の手段となったのに加えて、労働までもが商品へと成り下がったことに、おんぼろトラックに乗って国を横断するルート66を渡ってカリフォルニアにたどり着いたトムとその家族は気付くことになります。


映画『怒りの葡萄』より

 カリフォルニア州で果樹園の仕事があると吹聴された農民や困窮者たちは、避難民のように大挙してこの地に押しかけていました。しかし、深刻化していた不況で、労働力はあり余るようになっていました。30年代のアメリカの失業率は25%と、記録的な水準に達していました。

 働き手の過剰は、賃下げの原因になります。果樹園の日給も、1日5ドルだったのが、半額に引き下げられることになります。日雇い労働者たちは、ストライキでこれに抗議しますが、ストを呼びかける者は共産主義思想かぶれの「扇動者」として排除・解雇され、すぐに別の労働者に置き換えられることになります。賃下げ、スト、解雇、賃下げという、悪循環を前に絶望したトムとその家族は果樹園を後にし、連邦政府の経営する農場キャンプに転がり込みます。このキャンプは、大恐慌を受けて、当時のローズヴェルト大統領の肝いりで着手された歴史的な経済政策である「ニューディール」の賜物でした。上下水道が整備され、医療設備も完備されたこのキャンプも、その一環の事業であることが示されています。

 文化史家シヴェルブシュは、イタリアのファシズム体制、ドイツのナチズム、そしてアメリカのニューディールは、政治体制こそ違えども、恐慌に際して同じ解決法を模索した、と印象的に論じています(*2)。すなわち、いずれもが財政支出を通じて不況を克服しようとし、都市と農村の格差を解消することを目標にしていたのです。

 トムは、労働権を求める運動をしていた親友が殺されたことをきっかけとして、労働運動に身を投じることを決意します。「何が誤りかも分かってくる。それを正す方法も」。そして、このトムの言葉の通り、第二次世界大戦を経て、工業国では労働者の権利が公式的に認められるとともに、自由貿易を原則とした上でその弊害を是正することで合意し、資本主義の負の効果を抑制するための制度や組織が国際的に作られることになります。政治経済学者シュトレークの卓越した表現によれば、資本主義は戦後、国家を介して民主主義と強制結婚をさせられたのでした(*3)。

『怒りの葡萄』は、労働と家族愛、そして貧困の中での絶望と希望がどのように生まれるのかについての物語でもあります。トムの家族が旅をする途中、食物を調達しようと、ダイナーに立ち寄るシーンがあります。パンを10セント分だけ売ってくれないかと懇願する叔父に、うちはサンドイッチしか売っていないよと女性店員はにべもなく断りますが、店主はパンを売るよう、彼女に言い渡します。2人の子どもたちは、キャッシャーの前で売っていたキャンディに興味深々、それを察した叔父が値段を尋ねると、店員は、本当は1本5セントのキャンディを、2本で1セントよ、と言って値引きして渡します。そして、そのやり取りを見ていたトラック運転手たちは、会計時に、釣りはいらないよ、といって食事の代金を大目に払って店を後にします。このシーンには、単なる商品と貨幣の交換に留まらない、人と人との間の互酬関係があります。同じような構図は、トムの家族がキャンプで子どもたちに食事を与える場面でも描かれます。

 批評家の柄谷行人は、人間社会における交換様式は、互酬、略取・再分配、商品交換の三つしか存在しない、と指摘します(*4)。この3つは、それぞれ社会、国家、市場の果たす役割に対応しています。

 絶望的な状況を描く中でも、『怒りの葡萄』が希望をつむぐことができているのは、家族やその他の人々との間の互酬関係が描かれているためでしょう。「(私たち民衆は)永遠に生きるのよ」――このトムの母親の言葉のように、登場人物の詩人のような台詞がたくさん出て来ることとも関係しているかもしれません。

『マネー・ショート』――カジノ化した資本主義

 時代は打って変わり、金融市場に踊らされる今の資本主義を理解する上で欠かせない作品が『マネー・ショート』(アダム・マッケイ監督、2015年)です。この映画は、投資銀行「リーマン・ブラザーズ」の2008年の破綻をきっかけとした、世界的な金融・経済恐慌「リーマンショック」の構造を、極めて理知的かつスリリングに描き出します。

 リーマンショックは、2010年頃から深刻化するヨーロッパのユーロ危機の要因ともなり、IT企業を中心に2000年代から成長を続けてきた先進国経済を一気に冷え込ませました。2009年、世界は戦後初めてのマイナス成長を経験します。日本も雇用情勢が急激に悪化し、2008年末には「年越し派遣村」が日比谷公園に設置されました。今回のコロナ禍のように、政府が初めて国民に直接給付金を支給したのも、この時のことです。

 作品は、実在する人物である天才肌の投資家マイケルが、「サブプライムローン」のからくりを見抜き、その下落を予測するところから始まります。リーマンショックの直接的なきっかけとなったサブプライムローンとは、信用度の低い(借金返済能力がない)人たちに向けた住宅購入用ローンで、住宅バブルに沸いていたアメリカで急速に広まった金融商品でした。問題は、高いリスク商品であるこのローンが、不動産担保証券(MBS)、さらにそれを証券化した債務担保証券(CDO)となって、証券市場で売買されていたことでした。いわば、悪質な債権と良質な債権とを混ぜ合わせて、毒饅頭のように中身が何のか分からないようにして、世界の金融市場にばらまかれたのです。映画では、この複雑な金融商品の仕組みを、2017年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者リチャード・セイラーと歌姫セレーナ・ゴメス本人がカジノを舞台に分かりやすく説明しますが、それはまさにカジノ化した資本主義の姿でした。住宅価格の上昇を見込んで、金利変動があってもローンを借り換えることで返済することを前提として返済能力がない人に低金利でローンを組ませ、その債権を他の証券と混ぜて世界に売り飛ばすこの金融商品は、マイケルの言葉を借りれば「詐欺的なシステム」ということになるでしょう。

 ただ、アメリカ人の多くにとって、マイホームを持つことは、欠かせないアメリカンドリームの一つでした。先に紹介したシュトレークは、70年代の石油危機以降に低成長を余儀なくされた資本主義は、民間部門を借金漬けにすることで生き延びることになったと主張しています。彼や別の論者はこれを「民営化したケインズ主義」と名付けていますが、ニューディールのように、政府が国債を発行して借金してまでも社会に投資するようなかつてのケインズ主義的な政策が財政赤字によって不可能となったため、個人に貸し付けをすることで、資本主義はまったく別物へと変容していきました。

 リーマンショックはまた、先にみた大恐慌時代のニューディール時に制定された「グラス・スティーガル法」が廃止されたことの結果でもありました。この法律は、金融機関が預金業務と投資業務を兼ねるのを禁止するものですが、金融業界からの圧力で99年に廃止され、その結果、銀行がMBSやCDOといった金融デリバティブ商品の売買に乗り出すことを可能にし、金融市場が一気に拡大することになりました。


映画『マネー・ショート』より

 マイケルは、サブプライムローンによって空前の株価高が下支えされていることを見抜き、邦題のタイトルにもなっている「ショート」によって利益を上げることを目論みます。「ショート」とは、「空売り」のことで、株価が下がることを見越して、株価が高い時に証券会社から証券を借りて売り、株価が下落した際に借りた証券を買い戻すことで利ざやを得る手法です。マイケルや、類似の情報を聞きつけた数人の投資家たちは、数十億ドルにも及ぶ資金を投じて、CDOが焦げ付いた時の保険となるサブプライムローン用のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という商品を作り、これを購入します。いわば「逆張り」ですが、これで証券が値下がりした時に、大金を手にすることが可能になるからです。このCDS市場は2007年時点で58兆ドルと、アメリカ一国のGDPの4倍以上の市場規模を誇るまでになっていました。

 ここに大きな逆説があります。それは、市場の失敗によって資本主義はさらなる大きな利益を生むことができるようになったことです。やはりサブプライムローン市場の破綻に賭けた冷静な投資家の一人、ベンはこう言います。「俺たちが勝てば、国民は家や仕事や老後資金を失う。失業率(が)1%上昇(すれば)4万人(が)死亡(するんだ)」。金融市場に懐疑的な別の投資家は「人間は経済が破綻するといつも同じ行動に出る。移民や貧困層への攻撃だ」と、リーマンショックが現実のものとなったことを嘆き、トランプ大統領の出現を預言させるかのような言葉を吐きます。世界のグローバルマネーは2012年になって早くもリーマンショック以前の水準を回復しました。

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』――自由なき資本主義

 最近刊行された白井聡『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年)は、マルクスの長大で難解な『資本論』を丁寧かつ感覚的に読み解いた本です。ここで白井は、共産主義革命や社会民主主義といった歴史的な階級闘争の戦略はもはや成り立たず、それゆえ、個人が「これは当たり前ではない」「これはもう我慢できない」という感覚こそが、新たな階級闘争の始まりとなるはずだ、と主張しています。

 ただ、資本主義と戦うためのこうした感覚は、必ず有効なものでしょうか。それというのも、資本主義は、人々の自由を求める歴史と軌を一にするものでもあったからです。歴史家ジェリー・ミュラーは、哲学者ヴォルテールやヘーゲルなど西洋の歴史に名を残した16人の書を読み解いて、市場には利点があると常に見られてきたと説明します(*5)。なぜなら、市場は人種や宗教といった属性を超えて人と人との間に関係を築き上げることができ、個人が伝統的な共同体に依存せずとも生きていくことを可能にするからです。例えば、地方から都会に出てきてアパートを借りたいとしましょう。その時、保証人になる家族や友人がいなければ、保証会社が用意した制度を利用することもできます。これも市場の論理ですが、それがあるお陰で人は自由を手にすることができるのです。このように、様々なものを商品化する資本主義は、貨幣で交換できる対象を増やすことで、人間に時間と空間を超えた自由を作り出していきます。すなわち、資本主義は人間の自由と解放と一体になっているからこそ発展してきたと言えるでしょう。絶対王政を打倒することになった19世紀のブルジョワ社会が自由主義と資本主義の担い手になったことを忘れてはなりません。そして、こうした歴史的潮流の中から、契約の自由や法の支配からなる市民社会が生まれてきました。だから、個人が自由を希求する存在である限り、資本主義が終わることはないでしょう。

 ならば、人を自由にしない資本主義は、その限りで否定されるべきものだということになります。そのことを最後の一本、「市場の法則」という原題を持ったフランス映画、『ティエリー・トグルドーの憂鬱』(ステファヌ・ブリゼ監督、2015年)で見てみましょう。

 映画の主人公は、エンジニアの職を整理解雇された中年男性ティエリー。この映画も、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ監督、2016年)でも揶揄の対象となった職業安定所の理不尽さを描くところから始まります。1990年代後半から先進国では、労働市場で働けなくなった失業者を保護するのではなく、むしろ職に就けさせることを目的にする、いわゆる「雇用可能性(エンプロイアビリティ)」が重視されるようになりました。労働者を市場の法則から守ることを「脱商品化」と言いますが、労働者を「再商品化」するのがトレンドとなったのです。しかし公共機関が介入しても、雇用の需要と供給をマッチングさせるのは困難です。ティエリーも、重機械の操作の職業訓練を受けますが、職業安定所は、紹介先の会社が経験者しか採用しないことを知らないままでした。

 それでも彼は、高校生である障害を持つ長男の介護費用のためにも、賢明に職探しに邁進します。履歴書の書き方や模擬面接を経て、ティエリーは大型スーパーの警備員の職に就きます。コロナ禍の中で「エッセンシャル・ワーカー」や「キーワーカー」として知られることになったように、現代社会はこうした低賃金で小売り販売・流通に携わる人々にますます依存するようになっています。


映画『ティエリー・トグルドーの憂鬱』より

 スーパーで彼にあてがわれた任務は、80台の監視カメラを使って、万引き客とレジ打ち係の監視でした。実際、ユーロ危機が深刻化する中、フランスでは万引き件数が2007年頃から急増、2013年には7万2000件と、2000年と比べて1.5倍となり、こうした監視をする職種への需要が高まりました。スーパーの経営会社は、客に対して対外的には奉仕の精神を謳いながら監視を怠らず、レジ打ちの従業員がポイントカードを不正利用したり、客が捨てたクーポンをポケットに入れたりすることを咎め、人減らしの口実にします。

 ティエリーは、過去に自分を解雇した会社との法廷闘争に加わらない理由を、自分の中でケリをつけて前に進みたいからだと仲間に対して雄弁に説き、生活資金を得るためにアパートや別荘を売却するのを拒否する、誇りの高い人物として描かれます。しかし、映画の後半、スーパーの警備員となってからの彼の台詞はどんどん少なくなり、徐々に表情と感情をなくしていきます。喜びや悲しみという感情すらも、意識的に封じ込めなければ、働くことがままならないからです。

 この作品には、ティエリーが妻とともに、社交ダンスクラブでレッスンをするシーンが長々と挿入されています。失業中のささやかな社会生活であるとともに、ぎこちないティエリーを描くことで、資本主義が要求するリズムに乗ることのできない彼を象徴的に捉えています。『ティエリー・トグルドーの憂鬱』は、『怒りの葡萄』のように資本主義を非難するのでも、『マネー・ショート』のようにその冷酷なメカニズムを描くものでもありません。人から自由を奪い去るばかりか、奪い去っていることをも忘れ去らせてしまう資本主義が、果たしてその名に相応しいのかどうかを、私たちに静かに問いかける作品です。資本主義が本格的に誕生した19世紀の時のように、それが私たちの自由に奉仕するものであるのかどうかを精査すること――そんな観点から資本主義を捉え直すことも必要なのかもしれません。

*1
K.ポラニー『[新訳]大転換』野口建彦・栖原学訳、東洋経済新報社、2009年

*2
W.シヴェルブシュ『三つの新体制』小野清美・原田一美訳、名古屋大学出版会、2015年

*3
W.シュトレーク『時間かせぎの資本主義』鈴木直訳、みすず書房、2016年

*4
柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年

*5
J.ミュラー『資本主義の思想史』池田幸弘訳、東洋経済新報社、2018年

吉田徹(北海道大学法学研究科教授)

吉田徹 (よしだ とおる)

北海道大学法学研究科教授
1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)などがある。

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令和2年7月豪雨被災お見舞い

このたび令和2年7月豪雨により各地で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、被災地等におきまして、避難生活や復興支援など様々な活動に 全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く謝意と敬意を表します。一日も早く 復旧 がなされますよう衷心よりお祈り申し上げます。

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