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謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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情報・知識&オピニオン imidas

生きづらい女子たちへ

Columns

雨宮処凛

恋、仕事、人生、思うようにいかないのはなぜ?
そんな女性たちに、時に優しく、時に暑苦しいエールを!

母の信仰、娘の現実
「お母さんなんて、お父さんしか男知らないくせに!!」

 この言葉は、私がこれまでの人生で耳にした、もっとも強烈なキラーワードだ。聞いたのは、高校生の頃。発したのは女友達だ。友人の家に遊びに行った際、「部屋を片付けろ」とか「勉強しろ」とか定番の「小言」を始めた母親と言い合いになった友人が、「お母さんなんて!」と言い、一瞬の間を置いて、叫んだ。

 それを聞いた瞬間の友人母の表情を、はっきりと覚えている。驚愕と、怒りと、悔しさと恥辱。そして勝ち誇った表情の友人の顔も。いや、いくらなんでも、それはいくらなんでも言っちゃいけないやつでしょ……? そう思ったけど、私は「行こ」と家を出る友人に付いて行くことしかできなかった。

 友人とは、幼稚園の頃から仲が良かった。よって彼女の母親も、幼稚園児の頃から知っていた。いつも豪快で優しいオバサンが、はっきりと「女として」傷ついた顔を見て、見ちゃいけないものを見た気がした。

 高校生だった友人の母親は、その時点でおそらく40代。しかし、いわゆる友人の「経験値」は、高校生にして母親より高いのだった。

 北海道の片田舎の女子高生だった友人は、北海道の片田舎の少なくない女子高生がそうするように、地元に赴任していた自衛隊員と付き合い、また別の自衛隊員と付き合い、それから地元の美容師と付き合ったりして女子高生ライフを楽しんでいた。団塊ジュニアの私たちが女子高生だったのは1990年代初めで、女子高生ブームがまだ始まっていない頃。普段は「友達親子」っぽい感じで、何でもあけすけに話す友人と母親の間では「娘の彼氏」の話題ももちろん語られていて、そんな状況を受けてか、母親は母親で夫が「初めての相手」であることを娘に話していたらしい。

 が、そんな「なんでも話す友達親子」であることが、娘の思わぬ反撃を招いた。「女」として、ナメられてしまったのだ。


 突然そんなことを思い出したのは、森友学園の問題で、財務省の太田充理財局長が集中審議に呼ばれた際、「それはいくらなんでも、それはいくらなんでも!」と繰り返すのを見た瞬間だった。

「いくらなんでも!」

 その言葉を媒介にして私の記憶の回路が突然繋がり、友人のパワーワードが蘇ったのだ。

 もう一つの理由は、ここ最近、「子どもにどのような性教育をすればいいのか」と悩む同世代の人々の声を聞いたこと。現在40代の私は独り身・子なしだが、周りには少数ながら子持ちもいる。そんな子持ち友人たちは「#MeToo」ムーブメント盛んな昨今、まだまだ子どもは小さいのに「息子を性犯罪者にだけはしたくない」「女性を傷つけるような男に育てたくない」「フェミな男になってほしい」と口にしつつ、しかし、どんな性教育をすればいいのかわからないと言うのだ。そのたびに、考えてみれば自分たちは学校でも家庭でも「マトモな性教育を受けて来なかった」という話になる。

 自分たちが団塊世代の親から言われたことを要約すると、「ヤるな」「ヤラせるな」「妊娠したら人生オワリ」のみだったし、学校でもそれは同じ。翻って、ヨーロッパの性教育なんかの話を聞くと、まず教わることが「セックスは素晴らしいコミュニケーション」ということだというし、「やるな」という禁止ではなく、親の方も子どもがある程度の年齢になったら性体験をすることを当たり前に受け入れている。

 そのために避妊や性感染症を始めとして、自分を守り、相手を傷付けない方法が教えられる。合意しているかしていないか、意思表示の大切さなどについても教えられるというから日本とのあまりの落差に言葉を失うではないか。


 子連れもいる同世代の女子会でそんな話をしていたところ、一人が言った。

「そもそもうちの親、童貞・処女で結婚したっぽいんだけど、そういう人に子どもにちゃんと性教育しろって言っても無理な気しない? 親自身がマトモな性教育を受けてるわけでもないんだし」

 その言葉に、一同深く、頷いた。そうして冒頭の言葉を思い出したという次第である。

 だけど、「お母さんなんて、お父さんしか男知らないくせに」というのは、高校生だった頃の私たちが少なからず共有していた感覚でもあった。真偽のほどはわからないし、実際に母親に向かって言うことはないものの、女同士で話している時に、そんな話によくなった。

 例えば母親たちの多くは、女子高生の娘に「自分を大切にしろ」とよく言った。それは暗に「すぐヤラせるな」という意味だった。究極の理想はやはり「結婚するまでヤるな」。もったいぶってじらして自分を高く見せて、できるだけ条件のいい男にゲットさせろ、というような意味。そうやって母自身が生きてきたのだろうことを、娘たちはなんとなく知っていた。

 そうして母親たちは、自分がしてきたのと同じことを娘たちに求めた。一人の男性に見初められ、(できれば処女で)結婚して、添い遂げる。何かの信仰のように、母親たちが「それこそが女の幸せ」と信じている節は日常の様々な場面から垣間見えた。

 しかし、当の母親たちが幸せそうなのかと問えば、はなはだ疑問なのだった。何より、母親がそのような手を使ってゲットした相手は自分の父親であり、その父親はと言えば、女子高生の目からは「テレビの前で野球見ながら放屁するオッサン」でしかなく、なんか、なんかお母さん、「一人に見初められて添い遂げる」ってすごくいいもののように言ってるけど、お母さんはこの人生でよかったの? 私たち子どものために我慢してるんじゃないの? という思いがどこかにあったからだ。

 そうしてそんな団塊女性の子どもが生きる世界は彼女たちが思春期を過ごした頃よりずっと性が商品化され、「性に奔放であれ」というメッセージが溢れ、子どもの一部は実際に性生活を謳歌しまくっているのだ。そしてそんな子どもに対し、「ヤるな」ということしか言えない団塊世代の姿に、当時からいろいろと限界を感じていたのである。


 さて、先に団塊母の「信仰しているもの」について書いたが、これには名前がついている。「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」だ。団塊女性について書かれた信田さよ子氏の『母・娘・祖母が共存するために』(朝日新聞出版、2017年)には、以下のような説明がある。

「しかし多くの団塊女性はしぶしぶ結婚したわけではない。ロマンティック・ラブ・イデオロギー(RLI)への信仰も大きな駆動力となっていた。これは恋愛と性と結婚の三位一体を基本とする考えで、多くの映画や青春小説、ディズニーのアニメなどによる『白馬の王子さま』に愛されてたった一人の男性と添い遂げることが至上の幸福であるという幻想を信じて、彼女たちは結婚に踏み切ったのである」

 本書によると、この国でお見合い結婚と恋愛結婚の数が逆転したのは団塊女性たちが結婚する少し前の1960年代半ば。私が生まれた75年にはお見合い結婚は30%台にまで減少し、恋愛結婚は60%強まで増加していたという。

「言うなれば、友達同士、価値観を共有する男女が恋愛から結婚に至るというコースが王道となったのである。お友達同士で年齢差もない関係(友愛的コミュニケーション)によって成立する家族は、当時ニューファミリーと呼ばれた。核家族で子ども二人といういわば標準家族は、サラリーマンの夫、専業主婦の妻、郊外のマイホームなどという要素から成り立っていた」(前掲書)

 我が家も恋愛結婚した自営業の父と専業主婦の母(結婚前は銀行の受付)、そして3人の子どもからなる家族だった。両親の年齢差は、3歳。
 しかし、団塊女性たちの多くは、その後、信仰していたロマンティック・ラブ・イデオロギーに裏切られていったようである。信田氏の本には、以下のような記述がある。

「彼女たちが信じた三位一体の結婚生活は、しだいに夫の仕事の後方基地へと変質していった。孤独な育児とともに、守ってもらうどころか夫をケアしなければならなかった。時に夫は浮気をし、責めれば逆切れをされて開き直られたりした」


 たとえ浮気や、もしくはDVなどがまったくなかったとしても、孤独な育児や家事ばかりの生活に、多くの団塊女性は失望しただろう。団塊ジュニアの私も、どこかで母の微かな失望を嗅ぎ取っていた。

 だからこそ、思っていた。お母さんのようにはなりたくない、と。父親と子どもの世話をするだけの人生なんてまっぴらだと。

 母親は、まるで自分の人生の不全感を取り戻すかのように、私が10代の一時期、過剰な期待をした。成績優秀であることを求め、いい高校いい大学に入り、いい仕事につき自立することを求めた。しかし同時に、「自分と同じように生きること」も求めた。一人の男性に選ばれ、添い遂げることが「女の幸せ」と信じて疑わなかった。

 しかし、私は小さな頃からそんな物語は嘘だとどこかで知っていた。結婚や男に自分の人生を根底から歪められるなんてまっぴらごめん、と思っていた。それは多くの団塊母たちに、失望の匂いを嗅ぎ取っていたからかもしれない。

 結局、母親とは衝突を繰り返した。あれほど衝突した背後には、今思うと、団塊女性の失望も深く関係しているように思うのだ。団塊女性の世代感覚について、信田氏は「あの深い絶望にも似た裏切られ感は、それ以前にもそれ以降にもない独特のものだという気がする」と書く。

「こんな果実が味わえますよ、この道をまっすぐ行けばどんどん風景は美しくなりますよ、絵に描いたような幸せは本当にあるんですよ……、団塊世代の女性たちはこのような言葉を信じたのである。信じたからこそ、幻想だと知ったとき深くやり場のない思いが彼女たちを襲った。女性であることを呪ったかもしれないし、夫を恨んだかもしれない」(前掲書)


 先に書いたように、団塊ジュニアで40代の私は独り身、子なしだが、団塊女性たちの多くには、「結婚しない」「子どもを持たない」という選択肢などほとんどなかった。クリスマスケーキになぞらえて、25を過ぎたら「いき遅れ」などと言われた団塊女性の30代前半の未婚率は9.1%。が、団塊ジュニア女性の30代前半の頃の未婚率は32%。3倍以上だ。

 団塊世代が若かりし頃、「女は結婚したら仕事を辞める」のは当たり前で、「結婚せずに働き続ける女」や「結婚しても働く女」の椅子など、一部職種を別にして、そもそも用意されていなかった。「女の人生」は今よりもずーっと幅が狭く、「どんな男と結婚するか」で恐ろしいほど左右され、「ハズレ」を引いてしまっても、離婚に踏み切ることすら難しかった。「経済力」という壁が何をするにしても立ちはだかり、生殺与奪の権限は、常に夫や夫の家が握っていた。

 母に限らず、団塊世代の女性たちの人生を、私はずっと理不尽で、とてつもなく窮屈だと思っていた。だからこそ、男に人生丸ごと預けたくなんかない、と強く強く、思った。

 こんなことを書きながら思い出すのは、フリルやレースやパッチワークなんかがたくさんある実家のリビングだ。母は『クロワッサン』(マガジンハウス)や、インテリアの雑誌とかが好きで、家には昔から料理や家事の本がたくさんあった。だけど、母が料理も家事もそんなに好きじゃないかもしれないことを、私は30歳を過ぎたくらいに初めて知った。同時に、この世代の女性には、料理や家事の雑誌くらいしか「逃げ場」がなかったのかもしれない、とも思った。

 女性の選択肢が、今よりもずーっと少なかった時代を生きてきた団塊女性たち。彼女たちは今の娘世代、その下の世代を、そして「#MeToo」の動きなんかをどんなふうに見ているのだろう?

 はからずも、太田理財局長が思い出させてくれた友人のキラーワードから、今、親世代の女性たちの軌跡に思いを馳せている。そうして、友人の母が冒頭の言葉を娘に吐かれたのって、今の私と同じ年くらいなんだよな、とふと思って、戦慄している。

雨宮処凛
(作家、活動家)

雨宮処凛(あまみや かりん)

作家/活動家
あまみや かりん 1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。イミダスの連載「生きづらい女子たちへ」はこちら!

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