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Shueishagakugei

謹んで「平成30年北海道胆振東部地震」災害のお見舞いを申し上げます。

平成30年北海道胆振東部地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復旧がなされ平穏な日々が戻りますよう、心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

謹んで「平成30年7月豪雨」災害のお見舞いを申し上げます。

豪雨により甚大な被害が発生しました。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された皆様におかれましては、すみやかな復興を衷心より祈念申し上げます。

(株)集英社

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ
  • 第4回 熊本地震災害被災者支援基金 募金状況とご報告

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

情報・知識&オピニオン imidas

時事オピニオン

Columns

時事問題や社会現象、文化、スポーツまで現代の動きを各界の専門家が解説。

情報の収集と分類に欠かせない技術、キュレーションについて考える

「知的生産技術としてのキュレーション」前編


 本稿は、一言でいえばキュレーションとは何かについて考える試みである。今日、キュレーションという言葉は様々な観点から注目されているが、ここでは二つに絞って考えてみよう。

キュレーションとは「情報の収集と分類」

 まず一つが、展覧会企画としてのキュレーションである。国立博物館などを会場とした大型展(このような展覧会を、業界用語でブロックバスターという)から、ギャラリーの一室を会場とした小規模な個展に至るまで、世の中には様々なタイプの展覧会がある。そして、規模の大小を問わず、一つの展覧会が発案されてから実現に至るまでには、そのプロセスを通じて様々な業務が発生する。この場合のキュレーションは、展覧会企画にかかわる様々な業務を緩やかにまとめる総称といえる。
 そしてもう一つが、IT用語としてのキュレーションである。検索エンジンに「キュレーション」という言葉を入力すると、「インターネット上の情報を集めること」「集めた情報を分類、整理して新しい価値を与えること」といった説明がヒットする。またその延長線上で、集めた情報を特定のルールに従って分類・公開しているサイトをキュレーションメディアと称することもある。この場合のキュレーションは、SNSの普及によってネットに膨大な情報が溢れかえり、情報の真贋の見極めなどメディアリテラシーの重要性が強調されるなかで、いかなる基準によって情報を取捨選択すべきなのかという関心の高まりに対応したコンセプトといえる。
 展覧会企画とネット検索。一見したところ、この両者は互いに何の関係もなく併存している。実際のところ、両者の関係に注目した議論もごく少数しか存在しない。しかしちょっと考えてみると、両者には情報の収集・分類という紛れもない共通点があることがわかる。展覧会とは様々なモノ(後に触れるが、モノは情報の集合体である)を集めてみせることだし、ネット検索は「インターネット上の情報を集めること」である。端的に言えば、二つのキュレーションの違いは、対象とする情報の違いでしかない。そしていうまでもなく、情報とはあらゆる知的生産の基礎として位置付けられる。本稿では両者の共通性に注目し、キュレーションという言葉の意味の拡張を試みてみたい。
 われわれは高度情報化社会の中に暮らしていて、様々なメディアを通じて、日々大量の情報を摂取しては消費している。だがそれらの情報は一体どこからもたらされるものなのだろうか。情報を消費することが容易なのとは対照的に、情報を生産することは難しい(その落差は、例えば小説を読むことと書くこと、映画を見ることと撮ることを対比すればすぐにわかる)。キュレーションの意義はそこにこそある。本稿がキュレーションに注目するのは、それが情報を生産する技術、すなわち知的生産技術として大いに有効であると考えるからだ。

起源は「人の面倒を見る」ことだった

 キュレーションとは何かについて考えるにあたって、まず語源を辿ることから始めてみよう。キュレーションの語源とされる言葉はラテン語のcurare。これは、未成年者や心身障碍者の面倒を見るという意味の言葉であったようだ。それが現在のような展覧会企画などを意味する言葉へと徐々に変質していったのは、大航海時代以降の博物館の歴史とも大いに関係している。
 よく知られているように、ヨーロッパの著名な美術館や博物館の多くは、王侯貴族の私的なコレクションをそのルーツとしている。それらのコレクションには、当然ながら収集した王侯貴族の趣味が強く反映されていた。多くの資金や労力を費やして収集されたコレクションをどのように分類し、維持・管理するべきか――curareがその意味で用いられたのは、貴重なコレクションが人間の面倒を見ることにたとえられたからでもあったに違いない。
 これらの王侯貴族の私的なコレクションの多くは、1759年の大英博物館開館や1793年のルーヴル美術館開館などを機に国家の所有へと移行して広く一般公開されるようになり、それと並行して収集した当事者とは別に、専門の管理者が管理責任を負うようになる。当時英語でkeeperと呼ばれていたこの責任者が、現在のキュレーターの原型である。その後、世界各地に多くの美術館や博物館が開館し、様々なタイプの展覧会が開催されるようになった結果、展覧会企画者としてのキュレーターの在り方も拡張されて現在に至っているわけだ。

現代アートで多用されるキュレーション

 ところで、様々なタイプの展覧会と書いたが、現代の日本では「キュレーション/キュレーター」や「curated by__」という表記が用いられる展覧会は、どういうわけだかほぼ現代アートの展覧会に限られている。日本語版ウィキペディアの「キュレーター」の項目にはわざわざ現代アートに範囲を限定した説明が載っているし、美術館に所属しないインディペンデント・キュレーターの活躍の場もほぼ現代アートに限られるといっていい。キュレーションという言葉は展覧会企画全般を指す言葉のはずなのだが、これはいったいどういうことなのだろうか。
 その答えは、現代アートとそれ以外のアートを対比することで鮮明になるだろう。印象派展などが典型だが、近代以前の作品の展覧会は言わば一種の定番商品である。そこで求められるのは安定した人気のあるコンテンツであり、企画者は有名作家の代表作を数多く揃えるなどして、可能な限りその要望に見合ったパッケージを仕立てて提供することが求められる。従来とは異なる新解釈が打ち出されることもあるが、なにぶん扱っている対象が既に長い時間を経て評価の定まっているものばかりのため、たった一度の展覧会で作家作品の評価が大きく変化するようなことはまず起こらない。
 それに対して、現代アートとはすなわち現在進行形のアートの動向の総称である。多くの作家はまだ存命中で、今後過去とは全く異質な作品を発表するかもしれないし、キャリアの乏しい新人の展覧会が開催されることも少なくない。当然、その評価も不安定で、定まるまでには長い時間の経過を待たねばならない。その意味では、逐一例を挙げるまでもなく、現代アートの展覧会は、他の展覧会と比べて、美術史に新たな1ページを書き加えること、すなわち従来とは異なる新しい価値を提示するという実験的な側面が格段に強いことがわかる。キュレーションという歴史の浅いカタカナ翻訳語は、この側面と強く結びつくことによって自らその意味を狭めていったように思われる。

学芸員とキュレーターの違い

 ここで、展覧会にかかわる業務を簡単に整理しておこう。一つの展覧会をまとめる上で発生する業務といえば、企画立案、人選、出品交渉、予算調達、スポンサーとの交渉、助成金の申請、会場計画、カタログ執筆、プレス対応、各種広報、設営作業、保険対応といったところが挙げられる。もちろん、対象とするコンテンツや規模・予算の大小によって業務の内容や分業の仕方は千差万別であるが、いずれの業務も「モノとしての情報」に深くかかわっていることに違いはない。
 ところで、日本には多くの公立博物館・美術館があり、そこで作品の保守管理や展覧会企画を職業とする多くの学芸員が働いている。学芸員は博物館法が厳密に規定する国家資格が必須の職業であり、学芸員として公立の博物館・美術館に勤務することを志望する者は、まず大学での学修を通じて資格を取得しなくてはならない。だが、この連載で扱うキュレーションがそうした資格とはまったく別個のものであることは断っておきたい。
 とはいえ、学芸員とキュレーターを混同するのも致し方ない一面がある。英和辞典でcuratorという単語を引くと「学芸員」という訳語が載っていることがあるし、私の手元にある各館の学芸員の名刺にも、裏面には決まってcuratorと記載されている。だが学芸員とキュレーターは必ずしも厳密に対応しているわけではない。欧米ではcuratorというと館長かそれに準ずる職位を示す場合が多いようだし、所属する博物館・美術館の業務全般を担当するゼネラリストとしての学芸員と展覧会企画に特化したスペシャリストとしてのキュレーターを対比する意見は以前から少なくなかった。学芸員をキュレーターと訳すのは他に適切な訳語が存在しないという消極的な事情による部分が大きい。そもそも、スペシャリストとしての展覧会企画者にかかわる法的規定は国ごとに異なっているし、現在では正規雇用の身分で博物館や美術館に在職していることがキュレーターとしての絶対条件というわけでもなくなっている。学芸員資格を有しない者が小規模なギャラリーで企画したささやかな展覧会はもとより、もはや展覧会とすらいえない見本市やショールームでの商品展示や書棚の配架や陳列でさえも、それが「モノとしての情報」の分類・整理である以上は、れっきとしたキュレーション足りうるはずだ。少なくとも私はそう考えている。

「モノとしての情報」とは……

 さて、先ほど「モノは情報の集合体だ」と書いたが、これがどういうことなのかごく簡単に説明しておこう。まずアート作品を例に取ってみたい。会場に置かれた美術作品の傍らには、キャプションと呼ばれる小さなプレートが張られていて、タイトル、作者名(及び生没年や出生地・死没地)、制作年代、ジャンル、素材などの情報が記載されている。これは美術館の展示に限らず、博物館やショールームに展示されている考古学資料や商品にも当てはまる。キャプションに記載のない情報でも、例えばサイズや色彩は簡単に判別できるし、またそれぞれのジャンルに精通した者であれば、作品や資料に接することによってさらに多くの情報を引き出すことができるはずだ。
 またモノの有する情報は必ずしも言語情報ばかりではない。例えば金属や木材、セラミックなど様々な素材のテクスチャーはその素材がどういう性質をもっているのかを教えてくれるし、またドアノブはその形状によってドアの開け方を教えてくれる。知覚心理学やデザインの分野では、モノと周囲の環境の間に成立する意味のことをアフォーダンスと呼ぶが、アフォーダンスもまたれっきとした情報であるということができる。同様に、生け花や盆栽などの生体をモノの一種とみなすなら、それらが有する遺伝子もまた生命情報であることは言うまでもない。
 大雑把ではあるが、こうして「モノとしての情報」の在り様を確認すると、様々なモノを展示する展覧会の意義も理解されるだろう。展覧会企画としてのキュレーションは、様々なモノを配列し再構成することによって、個々のモノの持つ情報を引き出すと同時に、モノとモノの関係にも新たな情報を生み出して可視化する高度な知的生産技術なのである。

データベース整理術としての『知的生産の技術』

 様々なタイプの展覧会が存在する以上、キュレーションの方法もまた千差万別だが、知的生産技術という観点から、私がその仕事に強い関心を持っている一人が梅棹忠夫である。梅棹は、日本の文化人類学や民族学を代表する先駆的な研究者の一人であり、世界各国をフィールドワークして回った成果は、多くの著作へと結実している。また国立民族学博物館(大阪府)の設立にも尽力し、1974年に開館してからは長らく初代館長の任にあって、同館で開催された多くの展覧会にも関わっていた。だがここで梅棹を取り上げる何より決定的な理由は、『知的生産の技術』にある。1969年に岩波新書から出版された同書は、それから約半世紀経過した現在もなお絶版となることなく、多くの読者に読まれ続けている。本格的なIT時代を迎え、出版当時とはデスク周辺の環境が一変してしまっているにもかかわらず、果たしてこのことは何を意味するのだろうか?
 一例として、同書で提唱されているカードの使い方を見てみよう。梅棹はカードとノートを対比し、組み換えができるカードの利点を指摘した上で「カード法は、歴史を現在化する技術であり、時間を物質化する方法である」と強調する。梅棹は主にB6サイズのカードをキャビネット、二つ折りファイル、オープンファイルなどに保管していたほか、必要に応じてこざねや付箋なども使い分け、膨大な情報を自在に組み換えつつ、数々の著作や展覧会のアイデアを生み出していた。
 一般に、カードを活用した情報整理法は、17世紀に提唱された「抜粋術」(ars excerpendi)の流れを汲むものとされ、もちろん同書にはそうした側面もある。だがここで提唱されているのはデータベース整理術そのものであり、紙のフォルダーをデスクトップのフォルダーに置き換えて考えてもほとんど違和感がない。このIT時代にも十分通用する先駆性こそ、『知的生産の技術』が今でも多くの読者に読まれている最大の理由ではないだろうか。

いかに生活一般の技術として応用するか

 ところで梅棹は、同書の「はじめに」で以下のようにも述べている。

 そこで、知的生産の「技術」が重要になってくる。はじめは、研究の技術というところから話をはじめたが、技術が必要なのは研究だけではない。一般市民の日常生活においても、「知的生産の技術」の重要性が、しだいに増大しつつあるようにおもわれる。

 資料をさがす。本をよむ。整理をする。ファイルをつくる。かんがえる。発想を定着させる。それを発展させる。記録をつける。報告をかく。これらの知的作業は、むかしなら、ほんの少数の、学者か文筆業者の仕事だった。いまでは、だれでもが、そういう仕事をしなければならない機会を無数にもっている。生活の技術として、知的生産の技術をかんがえなければならない理由が、このへんにあるのである。

 ありていに言えば、この一節で提唱されている「知的生産の技術」は、私がここで考察しようとしているキュレーションとほとんど同一のものである。一つの展覧会を組織するにあたって、「モノとしての情報」をいかにして収集・分類し再構成すべきなのか。またそれはいかにしてネット検索のみならず、生活一般の技術としても応用することができるのか。梅棹は、今日は情報の時代であるとし、また知的生産の技術は一部の知識人だけのものではなく、現代人であればだれでも必要な実践的素養であることを強調している。知的生産技術としてのキュレーションの在り方について、後編(2019年10月23日更新予定)では実例を挙げながら考えていきたい。

暮沢剛巳(東京工科大学デザイン学部教授)

暮沢剛巳 (くれさわ たけみ)

東京工科大学デザイン学部教授
1966年、青森県生まれ。美術・デザイン評論。著書に『オリンピックと万博』(ちくま新書、2018年)『エクソダス―アートとデザインをめぐる批評』(水声社、2016年)など多数。

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