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Shueishagakugei

謹んで令和元年台風災害のお見舞いを申し上げます。

度重なる台風により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、避難生活や復興の支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、
一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

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時事問題や社会現象、文化、スポーツまで現代の動きを各界の専門家が解説。

痴漢は日本社会でどう捉えられてきたのか。〈痴漢=性暴力〉と認識されないのはなぜか。

娯楽として消費され、被害よりも冤罪に注目が集まる。「痴漢研究」から見えてきたこと

2019年秋、画期的な本が出版された。『痴漢とはなにか――被害と冤罪をめぐる社会学』(エトセトラブックス)――これまで日本社会において痴漢がどう捉えられてきたのかを社会学の視点で研究した本だ。女性なら誰もが、満員電車や夜道での痴漢行為の被害を思い起こすだろう。著者の牧野雅子さんに、出版への思いを聞いた。

性暴力を矮小化してきた「痴漢」という言葉

──牧野さんは19年11月、2冊目の単著となる『痴漢とはなにか』を出版されました。本の帯に、「これまでなかった痴漢研究の書」とありますね。

牧野 これまで痴漢というものは、議論の対象として取り上げられることがあまりありませんでした。特に、痴漢に対する社会意識がどうつくられ、どう変化してきたかという、社会学的な視点からの議論はほとんど行われてこなかったと思います。
 それは「痴漢」という言葉が、紛れもない性暴力を非常に軽く、面白おかしく扱うようなものとして長く流通してきたからかもしれません。その言葉に乗っかって性暴力を矮小化してしまう危険性があることを考えると、テーマとしては扱いづらかった面があると思います。
 でも、これから痴漢という性暴力をどうなくしていくのかという議論をするためには、まずこれまでの知見をしっかりと共有する必要がある。そうでなければ話が噛み合わないですよね。その議論の前提をつくるというのが、この本を書いた目的の一つです。

──第一部では、「事件としての痴漢」と題して、警察などの公的機関において痴漢被害がどのように把握され、扱われてきたのかが解説されています。そもそも、痴漢事件の大半が刑法上の犯罪ではなく、自治体が制定する「迷惑防止条例」違反として検挙されているという事実に驚きました。

牧野 強制わいせつ罪で検挙されているのは、着衣の上から触れるのでなく下着の中に手を入れるといった「より悪質性の高い」場合のみで、痴漢事件の9割以上は条例違反として扱われています。
 その「条例」がどういうものなのかも、なかなか知る機会がないと思うのですが、痴漢行為を禁止する根拠となっているのは、迷惑防止条例の「卑わいな行為の禁止」 条項です。ただし、どの自治体の迷惑防止条例の条文中にも「痴漢」という文言自体は含まれていません。唯一、新潟県迷惑行為等防止条例の第2条の見出しに「痴漢行為等の禁止」とあるのみです。
 そして、驚かされるのは、すべて の自治体において、その「卑わいな行為」が成立する要件として「性的羞恥心」が挙げられていることです。

──被害者に「性的羞恥心」を感じさせたという事実がなければ、「卑わいな行為」には当たらない、と?

牧野 そうなります。被害者が「性的羞恥心」を感じるということが、痴漢という犯罪の成立要件となっているのです。このため、警察は被害者が実際にどう感じたかとは関係なく、「性的羞恥心を感じた」ことを立証しようとします。私が話を聞いた中には、警察に痴漢被害を届け出たところ、取り調べの際の供述調書に「恥ずかしくてたまらなかった」など自分が言ってもいないことが書き込まれており、修正を申し出ても聞き入れてもらえなかったというケースもありました。
 電車で痴漢に遭って声を上げることもできず10分以上も触られ続けたというような場合も、なかなか理解されません。 痴漢行為をされたら恥ずかしくてすぐに逃げるなり声を上げるなりするだろう、という発想ですね。抵抗しない、イコール受け入れている、というふうに認識されているのかもしれません。

──怖くて動けない、声も出せない、という発想がないんですね。

牧野 初めて条例中のこうした要件について知ったときは、「なんだこれは」と思って頭に血が上りました。性暴力やジェンダーに対する警察の考え方が、ここに如実に表れていると思います。
 よく、痴漢は日本特有の犯罪で……と言われたりします。でも、そんなことはありません。電車内などで女性の身体を触るといった犯罪はもちろん外国にもあります。そして、きちんと「性暴力事件」として扱われています。「痴漢」という言葉が日本で使われること自体が、社会としてその行為を軽く扱っていることの反映なのではないかと思います。

──警察も、被害件数さえきちんと把握していない、ということを本書で初めて知りました。

牧野 被害に遭っても警察に届け出ない人がたくさんいるのはもちろんですが、警察に行っても被害届を出すところまでいかず、「相談事」として処理されてしまうケースもあります。犯罪統計の「認知件数」とは、刑法犯にかかる被害届が受理された件数を言います。「相談事」は含まれないのです。さらに、痴漢事件の多くに適用される条例違反は、被害届が出されても犯罪統計上の認知件数には反映されません。
 確かに、正確に調査するのは難しい部分もあります。でも、もし警察に本当に痴漢犯罪を減らそうという意思があるのなら、まずなんとか少しでも実態を把握しようとすることから始めるはずです。せめて「相談事」として届けられたケースの数を、公的な議論の中だけでも公開するくらいのことは考えていいのではないでしょうか。


牧野雅子さん

「娯楽」として消費されていた痴漢被害

──そうした「痴漢は犯罪」だという意識の薄さがこれ以上ないほど表れているのが、新聞や雑誌で「痴漢」がどのように扱われてきたのか、戦後すぐから2000年代までにわたって分析した第二部「痴漢の社会史」です。何人もの著名人が痴漢をした経験を堂々と話していたり、「痴漢の多い」沿線の選び方などが解説された「痴漢のススメ」的な記事があったり、「女性も楽しんでいる」との表現が散見されたりと、今の私たちから見ると信じがたい内容でした。

牧野 若い女性タレントに痴漢に遭った体験を語らせる雑誌記事などもかなり人気があったようです。一部のメディアでは、痴漢というものが完全に「性暴力」「犯罪」ではなく「娯楽」として扱われていたことが分かります。中でも、痴漢を取り締まる立場であるはずの警察の、しかも警視総監が著名な文学者との対談の中で、痴漢を話題に笑いながら話している記事があったのは衝撃的でした。

──そうした状況に変化が起こったのは2000年代。きっかけは「痴漢冤罪(えんざい)」に注目が集まったことだった、と本書では指摘されています。

牧野 1988年の「地下鉄御堂筋事件」を機に発足した「性暴力を許さない女の会」などの女性グループが交通機関への申し入れやアンケート調査を行ったり、それを受けて警察も取り締まりを強化したりということはありましたが、それだけでは社会の意識はあまり変わりませんでした。痴漢被害をあたかも娯楽のように扱う雑誌記事が急速に減っていったのは、2000年に「痴漢冤罪」による無罪判決が相次いだことや、07年の映画『それでもボクはやってない』(周防正行監督)が公開されたことなどによって、「痴漢冤罪」に注目が集まってからです。つまりは、男性が痴漢冤罪によって「被害者」になる危険性がクローズアップされたことで、それまでとは異なる形で痴漢が社会問題化していったのです。
 痴漢被害の当事者などがずっと要望の声を上げていた「女性専用車両」も、実際に導入が進んだのは「痴漢冤罪」問題が注目を集めた2000年代に入ってからでした。

──しかも、「痴漢冤罪」に注目が集まる一方で、被害者の声は置き去りにされたままです。

牧野 痴漢被害を「でっち上げて」男を陥れる女、というしばしば持ち出されるストーリーも、多くは男性の中でつくられたものですよね。そして、痴漢冤罪被害が語られる際には、痴漢被害者への配慮を徹底的に欠いた、女性蔑視に満ちた言説も少なくありません。


「鉄警おおさか」(平成7年号外) 資料提供・「性暴力を許さない女の会」

必要なのは、性差別のない社会をつくっていくこと

──それでも最近になって、痴漢が「娯楽」ではなく「犯罪」だと、少なくとも表向きには認識され始めたことは、いい傾向だと考えるべきでしょうか。

牧野 ただ、先にお話ししたように、条例にさえ「性的羞恥心が云々」と書かれているのが現状なわけですよね。公権力がその程度のジェンダーや性暴力に関する意識しか持っていない状況で、犯罪として訴え出たからといって被害者が確実に守られるとはとても思えない。かといって、訴え出ずにやり過ごしたら、いまだに根強い「痴漢くらい大したことない」という社会意識に加担してしまうことになる。どちらに転んでも地獄だ、とも言えるかもしれません。

──そうした状況を変えるために、何が必要だと思われますか。

牧野 痴漢問題を性暴力という観点から捉え直すこと。その過程で、法や取り締まりのあり方、関係機関の性暴力についての認識を問い直すことも必要だと思います。
 そして警察も、ただ「被害に遭ったら相談に来てください」と言うのではなくて、警察にしかできないことがあるはずです。たとえば、制服の警察官が駅のホームに立つだけで犯罪の抑止になるでしょう。1995年に警察官が駅ホームで警戒に当たるようになったところ、東京と大阪での痴漢の検挙件数が1.5倍になったという前例もあります。警察官がそこにいれば、被害に遭った人も「この人、痴漢です」と声を上げやすいですよね。
 さらに言えば、大きい話になってしまうかもしれませんが、性差別のない社会をつくっていくこと。やはり、それがすべての根本にあるんだと思います。
──「おわりに」には、〈痴漢についての言説を集め、読むことは、とても辛い「作業」だった〉とあります。それでも出版までこぎ着けられた原動力は、痴漢や性暴力が蔓延する社会への怒りでしょうか。

牧野 それもありますが、もっと言えば今の時代に生きる人間としての責任感かもしれません。
 私は、80年代からの性暴力に抗する女性運動をリアルタイムに見ていた世代に当たります。性差別的な広告が社会問題化したり、職場での嫌がらせに被害者が「セクハラです」と言えるようになってきたりしたのは、声を上げ、社会の意識を変えてきた女性たちがいてくれたからです。
 自分たちもそうした、上の世代の女性たちが頑張ってつくり出してくれた流れをちゃんと引き継いでいかなくてはならないし、今のままで次の世代に手渡してはならない、痴漢問題に限らず、こんな性差別的な社会はいい加減に終わらせなくてはならないという思いは強くあります。今、#MeTooなどの新しい動きが出てきていて、それは非常に力強くうれしいことではあるのですが、若い世代に過去の議論や運動がほとんど知られていないという側面があるのは、私たちの世代がきちんと伝えてこなかったからだと反省もしています。かつての運動をリスペクトするとともに、それをしっかり次につなげていきたい。今回、社会史を振り返るような本を書いたのには、そういう意味もあるんです。


これまでなかった痴漢研究の書『痴漢とはなにか』エトセトラブックス刊

牧野雅子(龍谷大学犯罪学研究センター博士研究員。社会学者)
(構成・文/仲藤里美)

牧野雅子 (まきの まさこ)

龍谷大学犯罪学研究センター博士研究員。社会学者
1967年富山県生まれ。龍谷大学犯罪学研究センター博士研究員。専門は、社会学、ジェンダー研究。警察官として勤務した後、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。著書に『刑事司法とジェンダー』(インパクト出版会)、『生と死のケアを考える』(共著、法蔵館)

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